written by Moonstone
ここは・・・何処?真っ暗・・・。何も見えない・・・。
みんな・・・何処?ねえ、誰か!返事してよ!
何処なのよ、ここは!私をどうするつもり?!
出てらっしゃい!とっちめてやるから!
・・・シンジ・・・何処?返事してよ・・・。寂しいよ・・・。
目の前に誰かいる・・・。こっち向いてる・・・。あなた誰?
こっちに来る。何処かで見たことがある・・・。誰だっけ?
・・・何?俯いて・・・。何だか・・・宙に浮いてるみたい・・・。
・・・浮いてる。本当に浮いてる・・・。な、何なの?あんた。
手もだらんとして・・・足も・・・だらんとしてる・・・。
・・・嫌・・・こっち来ないで・・・!気持ち悪い・・・!
来ないで。来ないで!来ないでったら!あっち行きなさいよ!
さ、さては幽霊ね!あたしを驚かそうたって、そうはいかないわよ!
あんたなんか、あの世に送り返してやるんだから!覚悟なさい!
・・・何よ。そんなところで止まっちゃって。こっち来たら?
それにしても、何処かで見たような・・・。何処かで・・・。
誰だっけ・・・何処だっけ・・・。何時だっけ・・・。
・・・見たことある。あたし、あんたを知ってる・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嫌。来ないで。あっち行って。
あたしは知らない。あんたなんか知らない。忘れたのよ、もう。
あたしはもう、あんたなんか要らないの。シンジがいるから。
忘れたことは思い出せないものなの。あんたのことも思い出せないの。
・・・来ないで。来ないでって言ってるでしょ!
嫌ぁ!こっち来ないでぇ!あたしの心を犯さないでぇ!
Prologue 悪夢、刃の記憶
What she need is parental love,especially paternal one.
「アスカ、アスカっ!」
激しい体の揺れが、アスカの瞼を強く閉ざす閂を外す。
急に開けたアスカの視界いっぱいに、今にも泣き出しそうなシンジが映る。
「夢・・・か・・・。」
全身を震わさんばかりに激しく脈動する自分の鼓動を感じながら、アスカは呟く。
アスカの全身にどっと汗が溢れ出す。眼前の光景が夢だったと分かった安心感が、全
身の硬直を解きほぐす。
今、眼前にあるのは「あの光景」ではない。見つけ出した心の拠り所、シンジが居る。
危篤状態の家族を案じる表情が、アスカの目覚めによって峠を越えた安堵のそれに変
わる。
いずれにしても、僅かな刺激で−一言だけでも、微笑むだけでも、手を握るだけでも
−涙腺の防波堤が
崩れそうなことには変わりはない。
アスカは口元に微かな笑みを浮かべ、自分の両腕を掴むシンジの腕に手を添える。
「起こしちゃったね・・・また・・・。」
アスカの囁きでシンジの瞳から安堵の清流が迸る。
「良かった・・・。アスカがうなされてたから、心配で・・・。」
シンジの涙がアスカのTシャツに染みをつくる。
自分を心から案じるその雫が、悪夢で乾ききったアスカの心を潤していく。
アスカは右手をシンジの腕から離し、その頬に触れる。温かい。
生きていることの確かな証が、悪夢で冷え切ったアスカの心を包んでいく。
アスカはシンジの頬をそっと撫でる。女性を彷彿とさせる滑らかな肌触りが心地良い
。
シンジは眼を閉じる。溢れ続ける涙を拭うことはない。
アスカの両腕がシンジの首に回り、一気に引き寄せる。
アスカの柔らかさを全身に感じながら、シンジはアスカの背に両腕を回して抱き寄せ
る。
互いの存在を確かめ合うときに、言葉は要らない。
抱き合うことで互いの吐息を、鼓動を、温もりを感じることが出来るから。
暫く強く抱き合った後、二人は名残惜しそうに腕の力を緩める。
二人は向かい合い、軽く唇を触れ合わせ、向かい合ったままベッドに横になる。
横向きになったアスカは徐々に体重をずらし、向かい合うシンジを仰向けにさせ、
その胸に頬を摺り寄せて眼を閉じる。
「・・・心臓の音、聞こえる・・・。」
アスカはシンジの心音が最もはっきり感じられるところを、頬を伝わる微かな揺れ
で探す。
シンジはアスカの栗色の髪に指を通す。絹糸のような肌触りが指に纏わり付く。
心音の中心地点を探し当てたアスカは、シンジの胸に頬擦りをして顔を上げる。
「・・・もう、泣き止んだ?」
「うん。」
「泣き虫さんね。シンちゃん。」
からかい調子のアスカに、シンジは苦笑いを浮かべる。
「あ、もう笑ってる。赤ちゃんみたいでちゅねー。」
「誰だよ、さっきまでうんうんうなされてたのは。心配したんだよ。」
「んー。御免ねぇ、シンジぃ。」
アスカは涙の跡が残るシンジの頬に唇をつけ、なぞるように動かす。
その心地良い感触にシンジは自然に眼を閉じる。
「くすぐったいよ、アスカ。」
「だーめ。涙をちゃんと拭かないとね。」
アスカは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、シンジの頬に、首筋に唇を這わせる。
つい先程までの緊迫感は何処へやら、月明かりで仄かに輝く閉じられたカーテンだけ
が
唯一の灯りのシンジの部屋は、二人だけの幸せの空間へと様変わりする。
そこは無粋な訪問者を許さない、二人が造り出す、二人だけの絶対領域。
葛城家−半ば若き恋人同士の愛の巣と化している−に朝の光が差し込み、
眠っていた部屋の空気が温もりを含み始める。
目覚しがなると同時に目覚めたシンジは、自分の胸を枕にして安らかな寝息を立てる
アスカに
そっとキスをした後、音を立てないようにベッドから出る。
カーテンの輝きが増しているが、アスカが目覚める気配はない。
アスカが起きるのはもっと後。シンジの声の目覚しでないと起きることはない。
シンジの朝は早い。3人+1匹分の朝食を用意して、3人分の弁当を用意する忙しい朝
。
その忙しさもルーチンワークとなった今ではあまり感じない。
それに自分の料理を口にした時の、アスカとミサトのいかにも美味そうな表情
−弁当を食べている時のアスカの表情は勿論のこと−を見ると、忙しさは充実感に形
を変える。
ミサトに至っては、Nervの食堂やリツコの部屋などあちこちで「シンジ君手製のお弁当
よ−」とのたまい、
弁当を見せびらかしていると、シンジは以前リツコから聞かされたことがある。
シンジの第2の仕事場でもある台所に来ると、シンジはエプロンを着け、
朝食の準備と弁当作りを同時に始める。
弁当のおかずは昨夜のうちに下準備を整えてある。以前はビール貯蔵庫だった冷蔵庫
から、
昨日のうちにタレに浸した鳥肉を取り出す。アスカの好物、から揚げの材料。
フライパンと揚物用の鍋をコンロにかけ、慣れた手つきで鳥肉を溶き卵に通し、片
栗粉をまぶす。
作り置きの煮物を取り出し、野菜を切って3つの弁当箱に並べていく。
フライパンから微かに煙が立ち昇ると、すぐに卵を割る。甲高い卵の焼ける音が台所
に響く。
「ふあぁ−っ、おっはよぉ、シンちゃん。」
ボサボサの髪と寝ぼけ眼の、この家の主ミサトが大きな欠伸をしながら台所にやっ
て来る。
「あ、おはようございます。ミサトさん。」
「今日も仕事かぁ。あー眠い眠い。」
ミサトは冷蔵庫を開けて、恒例の朝の一杯を探す。
横倒しにされた500mlの缶ビールを取り出し、早速プルタブを引っ張り、泡一つも逃す
まいと
すぐに口を付けて缶を傾ける。
シンジは予めテーブルに並べた皿に、卵焼きを盛り付ける。
「っかーっ、やっぱ、これよねぇ!」
「ミサトさぁん。せめて朝ぐらいビールは・・・。」
「シンちゃーん、固いこと言っちゃ駄目よぉ。目覚めのビールの為に私は生きてるの。
分かる?」
「・・・昨日の夜、確か『風呂上がりの一杯の為に私は生きてるの』って言ってません
でした?」
呆れ顔のシンジに、ミサトは椅子に腰掛け、ニヤリと笑みを浮かべる。
逆襲の笑み。この笑みが現れた時、シンジはミサトに「苛められる」ことになる。
「そりゃあ、誰かさんとの愛の為に生きてるシンちゃんはいいわよねぇ。」
シンジは頬をさっと紅く染める。この反応が楽しくてミサトはからかう。
「昨日だって、随分賑やかだったじゃなーい。誰かさんの部屋。」
「あ、あれは、アスカがまたうなされて、僕が起こされて、その・・・。」
「ふふーん。それで?」
「だ、だから、一緒に寝てただけで、別に変なことは・・・。」
「あらぁ?変なことってなあに?お姉さんに話してごらん、ん?」
「・・・あっと、揚物するんだった。」
旗色が悪くなって来たシンジはコンロの方を向き、十分に熱された揚物用の鍋に鳥
肉を放り込む。
軽やかな音を立てて、油の中で衣が形作られていく。
「うーん残念。上手く逃げたわね。今時の青少年の実態を把握する絶好の機会だっ たんだけど。」
ミサトは残念そうに缶ビールを一気に飲み干す。500mlの缶ビール1本はミサトにと
っては水同然。
シンジは続々と揚がるから揚げを油紙の古新聞に乗せ、十分に油を切った後、弁当箱
に詰めていく。
慣れた手つきに、見慣れたことながらミサトは素直に感心する。
「今日はから揚げかぁ。美味しそうねえ。一つくらいいいでしょ?」
「駄目ですよ。これはお弁当ですから。」
シンジが窘めるとミサトはやはり残念そうな顔をする。
葛城家で繰り広げられる、朝の平凡な、しかし大切な家族の時間。
「ところでさ、シンジ君。」
ミサトの表情が急に真剣なものになる。
「アスカ、また例の夢にうなされたの?」
「・・・ええ。」
弁当箱を奇麗に包み、パンをトースターに入れながら、シンジは短く答える。
シンジの表情には真剣さと同時に深刻さも浮かぶ。
例の夢−首を吊ったアスカの母が暗闇から現れ、アスカの前に晒されるという悪夢
−にアスカが
ほぼ毎夜うなされていることはミサトも知っている。
最初の頃は目覚めてから錯乱しかけたこともあり、救急車を呼んだこともある。
最近では落着いて来てはいる−シンジが添い寝するようになったのが大きい−が、激
しくうなされることには
変わりはない。
思い出したくもない記憶から生じる夢魔に翻弄されるアスカの精神疲労もさることな
がら、毎晩のように
起こされるシンジの心身の負担もミサトの心配の種である。
使徒との戦いも終わり、作業用重機として都市機能復旧に動員されるエヴァを乗り
こなす
数少ないパイロットとして、アスカやレイは勿論、シンジの存在は欠かせない。
そして何より、家事能力皆無の自分や修行中のアスカに代わって、家事全般を一手に
担うシンジが
床に臥すことになれば、1週間ともたずに葛城家はゴミ捨て場同然になる。
美味しい手料理が一転して、レトルト食品の陳列会と化す。洗濯が滞って着るものも
なくなってしまう。
シンジが1週間ほど出張で家を空けた後の散々な状況−シンジが我が目を疑い、玄関先
で呆然と
立ち尽くした−を思い浮かべると、ミサトはシンジの健康を案じずにはいられない。
「ここんとこ毎日じゃない?」
「はい。もうあれから随分経つっていうのに・・・。」
アスカが心の奥底に追いやり、封印していた筈の記憶を呼び戻すことになった、第
15使徒との戦い。
心に深い傷を負ったアスカが自己崩壊を来たし、一時は「用済み」の烙印を押された。
エヴァに乗り、高い戦闘能力を示すことで周囲の注目と賞賛を集めることで、あまり
にも脆いガラス細工の
心にプライドという鎧を纏っていたアスカにとって、それは二重に残酷な仕打ちとな
った。
時の流れは心の傷を癒す良薬という。
だが、アスカの心の傷は3年の歳月では癒されないほどに深く、大きなものなのか。
「薬や注射でどうにかなるようなもんじゃないしねえ。」
ミサトは組んだ両手に顎を乗せてぼやく。
「・・・僕はアスカに何もしてやれないんです・・・。ただ、うなされるのを見て
るだけしか・・・。」
「シンジ君のせいじゃないわよ。シンジ君はいつもアスカの傍に居るじゃないの。
」
「でも、何も出来ないんです・・・。何もしてあげられないんです・・・。」
自分の無力さを責めるシンジの表情に暗雲が立ち込める。
「シンジ君が傍に居ることが、アスカにとっては何よりも嬉しいのよ。」
内罰の奈落に転げ落ちようとするシンジを、ミサトが引き止める。
「今のアスカには自分を受け止めてくれるものが必要なの。シンジ君はそれが出来
る。いいえ、シンジ君にしか
できない。なのにシンジ君がそんな弱気じゃ、アスカを受け止められないでしょ?
」
「ミサトさん・・・。」
「アスカがシンジ君の胸に飛び込んで来た時、一緒に倒れてちゃ何にもならないわ。ど
ーんと構えてなさい。
どーんと。『さあ、僕の胸に飛び込んでおいで』ってね。」
ミサトは微笑む。
幾度となく自虐の回廊に迷い込んだシンジに、出口を指し示す希望の光。
何時共倒れになっても不思議でない二つの砂上の楼閣が持ちこたえられるのも、ミサ
トの存在が大きい。
シンジの表情を覆っていた暗雲が徐々に晴れていく。
「そうですね。僕がしっかりしてないと・・・駄目ですよね。」
「分かればよろしい。」
ミサトは悪戯っぽく笑う。シンジの顔にもそれに呼応して笑みが浮かぶ。
ふとシンジが時計を見ると、7時半を回っている。アスカを起こす時間を過ぎている。
「あ、しまった。アスカを起こさないと。」
「行ってらっさい。寝ぼすけお姫さまには王子様の熱−いキッスがないとね。」
ミサトのからかいを聞こえない振りをして、シンジはいそいそとアスカを起こしに
シンジの部屋へ急ぐ。
台所に一人残されたミサトは、冷蔵庫から2本目のビールを取り出してプルタブを開け
る。
「私も熱ーいキッスで起こして欲しいわぁ・・・って、私、何言ってんのかしら。 まだ寝ぼけてるみたいね。」
ミサトは脳裏に浮かぶ男を懸命に打ち消そうと、缶ビールを豪快に傾ける。
慣れを通り越して感じなくなった筈のビールの苦みが、ちょっと心に染みる。
「・・・そう。やっぱりね。」
「やっぱりねって、何もかもお見通しってこと?」
昼休みのNerv、リツコの部屋にシンジ手製の弁当を持ってやって来たミサト。
毎晩のように悪夢にうなされるアスカのことを話したが、リツコは別段驚かない。
「前にも言ったでしょ。一度封印が解かれた記憶を再度封印するのは難しいのよ。
」
「何とかできないの?心理療法とか。あんたならできるでしょ?」
「心理療法は私の専門外だし、素人が見様見真似でやっても逆効果よ。」
あくまでも冷静そのもののリツコの態度が、ミサトの感情に小波を立てる。
「科学者なら、何か対策くらい提案したらどうなの?不可能の理由ばかり並べない
でさ。」
「科学者だからって、何でも思い付く訳じゃないのよ。それに心の問題は目に見えない
分、対応が難しいの。
迂闊なことをすれば、取り返しのつかないことになりかねないわ。」
リツコとて何も事態を傍観している訳ではない。
アスカの搭乗データはこのところ芳しくない。
さらに、それに追従するように、最近のシンジの搭乗データは下降線の一途を辿って
いる。
予想していたこととはいえ、二人の心身の状態がこれほどシンクロする以上、事態を
放置することはできない。
「一度、専門家に診てもらうとか。」
「専門家なら解決が約束されるほど、心の問題は簡単じゃないわ。」
「結局、打つ手無しってことか・・・。」
ミサトは肩で深い溜め息を吐く。
リツコは煙草を咥え、蒼い炎を点したライターを近付けて火を点す。
フッと吐き出された煙は、リツコらしい溜め息。
部屋の空気が重く感じる。ミサトにとっては何とも耐え難い空気の重み。
ミサトは持って来た弁当の包みを開ける。空気の重みを少しでも紛らわすため。
「彼に聞いてみるのもいいかもね。」
「彼って?」
リツコの呟きに、箸を持ったばかりのミサトが鸚鵡返しに聞き返す。
「加持君によ。」
「嫌。」
リツコの短い提案に、ミサトは明らかに嫌そうな表情で短く答える。
シンジもアスカも少しずつ変わっているのに、ミサトは相変わらず加持に対して意地
を張る。
貴方も変わらないとね、とリツコは心の中でミサトを諭す。
「アスカが加持君になついてるのは、貴方も知ってるでしょ?」
「まあね。」
「彼、ドイツ支部でアスカと一緒に居たし、対処の仕方とか私達より良く知ってるかも
よ。」
「女の対処法しか知らないわよ、きっと。」
ミサトは眉間に皺を寄せて毒づく。
棘のある言葉が本心からではないことは、寂しさの色を滲ませるその瞳が物語ってい
る。
素直じゃないわね、とリツコは心の中で苦笑いする。
「だからこそよ。女心が分かる男って貴重よ。その見解を聞くだけでも参考になる
かも。」
「私の気持ちも分からないのに、他の女の気持ちなんて分かるわけないわよ。」
「何も貴方のことは聞いてないでしょ?」
意地悪な微笑みを浮かべて少し身を乗り出すリツコ。
その視線を避けるように、ミサトはぷいと横を向く。その頬が微かに紅く染まる。
「・・・あんた、自分で嫌な女って思わない?」
「別に。貴方が自分で言ったことじゃないの。私はきっかけを用意しただけ。」
笑いを押し殺すリツコを恨めしそうに上目遣いに睨みながら、ミサトはぼそぼそと
弁当を食べ始める。
リツコは書類やMOの山に半ば埋もれた電話の受話器を手にとり、何処かにダイヤルす
る。
ミサトは嫌な予感を感じて、箸の動きが止まる。
「赤木です。加持君はそちらに・・・あら、加持君。丁度良かった。え?デートの
お誘い?
生憎だけど私じゃないわ。悪いけど私の部屋まで来てもらえる?さっきから待ってる
のよ、貴方のこと。
ふふふ。それは来てからのお楽しみ。それじゃ、よろしく。」
ミサトの表情が歪む。表面上の嫌悪と内面から漏れ出す喜びと困惑が入り混じる。
「リ、リツコぉ・・・!」
「自分じゃ言い出せないだろうから、私から言ってあげたのよ。」
リツコは半分以上残る煙草を、吸い殻の山で揉み消して席を立つ。
「私、今からお昼にするから、その間、留守番してて。」
「はいはい。分かりました。世話焼きばあさん。」
「ばあさん・・・って、人の事言えないでしょ?」
一瞬こめかみを引き攣らせたリツコは、すぐに冷静さを取り戻してすたすたと部屋
を出て行く。
タイヤがパンクするような音と共にドアが開き、そして閉まると、ミサトはドアに向
って呟く。
傍に居ても聞こえないような、漂う煙でかき消されそうな声で。
「・・・ありがと、リツコ。」
「・・・葛城じゃないか。」
「若くて可愛い女の子じゃなくて、残念でしたね。」
主が席を外したリツコの部屋を訪れたリョウジに、ミサトは視線を逸らし、嫌みた
っぷりの言葉を投げかける。
妬いて拗ねた女性そのものの仕草だが、ミサトはそれに気付かない。
リョウジはそれを知ってか知らずか、嫌みにも臆することなく余裕の表情。
「いや、葛城ならOKさ。」
「あら、そう。」
リョウジがミサトに歩み寄る。ミサトは視線をさらにリョウジから逸らす。
「俺に話があるんだろ?聞かせてくれないか?」
「・・・話すだけ無駄な気がするけどね。」
リョウジはリツコの席に腰を下ろし、足を組む。あくまでスマートな動作。
ミサトは弁当を書類の山の上に置き、顔をリョウジに向けつつも視線を横に逸らして
、一気に語る。
アスカが毎晩のように悪夢に魘されていること。
悪夢は暗闇から首を吊ったアスカの母親が現れるというものであること。
リョウジを呼んだのは、リツコの提案によるということ。
提案の理由は、アスカがなついており、ドイツ支部でアスカと一緒に居たからとい
うこと。
話すだけ話すと、ミサトは一度溜め息を吐いて、ちらりとリョウジを見る。
その表情は予想に反して真険そのもの、職務に面した職業人のそれに変わっている。
「・・・成る程ね・・・。このままだと再び自己崩壊するのも時間の問題だな。
」
「な、何ですって?!」
「アスカの心にとって、首を吊った母親の姿は凶器そのものだ。それが毎晩夢という形
でダイレクトに
心に突き立てられるんだから、いずれ心が壊れる時が来る。その時、アスカは・・・
死ぬ。」
『死』の一文字に、ミサトの心が激しく脈動する。
かつて一度心が死んだアスカ。次の自己崩壊が肉体の死をも意味することは、ミサト
も想像できる。
その最悪のシナリオを無意識のうちに闇に葬っていただけ。
「じゃあ、ただ、アスカが壊れていくのを指を咥えて見てろっていうの?!」
「落ち着け葛城。」
「落着いてられるわけないでしょ!自分の家族が、妹が無残に壊れていくのよ!」
「まだ壊れたわけじゃない。とにかく落着いて俺の話を聞け。」
迫り来る家族の身の危険に狼狽するミサトを、リョウジは少し強い調子で宥める。
ミサトは興奮で荒くなった呼吸を抑えながら、視線をリョウジに固定する。
「母親が首を吊ったことでアスカは思った。『母は私を捨てた』ってな。その孤独
感が他人を求める
気持ちになると同時に、その時の傷を晒すまいと他人を拒絶する気持ちになったんだ
。」
「私はアスカの心理形成の話を聞きたいんじゃないのよ!」
「これは問題解決には重要なことだ。とにかく落着け。いいか?母親を失った時、アス
カはあまりにも
幼すぎた。父親の顔すら知らないアスカは唯一の肉親を失った時、親の愛を求める先
をも失った。
アスカの悪夢は、やり場のない親の愛を求める気持ちが、鮮明な過去の親の記憶を掘
り起こしたものだ。」
真剣なリョウジの説明に、何時の間にかミサトはその瞳を見詰めながら聞き入って
いた。
親の愛を求める気持ち。それはミサト自身が父親の面影をリョウジに見たのと似てい
る。
シンジも父親ゲンドウを恐れ、憎みつつも愛を求めた。口には出さないが恐らく今も
そうだろう。
アスカの心の傷が今だ癒えないのも、時の流れでは決して消えぬ、親子の絆故の悲し
い皮肉。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「アスカに必要なのは親の愛、とりわけ父親の愛だ。一度も感じたことのない父親の愛
を受ければ、
アスカの心は満たされるだろうし、悪夢からも解放されるだろう。」
ミサトは思わず身を乗り出す。
「アスカの父親は精子バンクを経由しているから、アスカの母親も顔を知らなかっ
ただろう。
無論アスカもな。だが、精子バンクに事情を話して過去の精子提供リストを調べてい
けば・・・。」
「アスカの父親に会えるかもしれないってことね?!」
リョウジより先にミサトが待ち侘びた結論を口にする。その表情が一気に晴れる。
苦しむ家族を、自分と同じ様に父親の面影を追う妹を救うことが出来るかもしれない
。
顔や所在はおろか、生死も知れないアスカの父親。
提供者の秘密を厳守する精子バンクが、すんなりと要請に応じるとは思えない。
だが、数多くの困難を乗り越えた向こうには、何らかの結果が得られるだろう。
何か方法が見出せればすぐ行動に移す。それがミサトの信条。
「じゃあ早速、アスカの出国手続きを取らなきゃ。」
「おっと、シンジ君の分も忘れずにな。」
「どうして?」
「旅先でアスカが悪夢にうなされた時、介抱してやる相手が必要だろ?」
いつもの余裕を漂わせる表情に変わっているリョウジが、ミサトにウインクする。
ミサトはリョウジの意図するところを悟り、自然と笑みが零れる。
学校に仕事に追われ、遠出する機会も暇もない二人。
無限の闇の回廊にさえ思われた戦いの日々を生き抜いた若い二人に、安息の日があっ
てもいい筈だ。
身勝手な大人の思い上がりに翻弄された二人の戦士に、自分を見詰める時間があって
もいい筈だ。
リョウジらしい粋な計らい。ミサトはちょっぴり悔しさをブレンドした、小さな溜め
息一つ。
「・・・それくらい普段から気が付くといいんだけどねぇ。」
「俺は普段からこうだぜ?」
ミサトの気持ちを知ってか知らずか、余裕のリョウジ。
再びリョウジから視線を逸らしたミサトの唇が微かに、そして早く動く。
「・・・馬鹿・・・。」
to be continued
筆者後書き
こんにちは。Moonstoneです。自身初の(とは言ってはSS書き始めて二月程度ですが
)連載SSです。
出だしから重いし、文字が詰まってる。うーん。これは私の悪い癖です(^^;)。
次から(いきなりですが)アスカとシンジがドイツへ向かいます。そこで二人を待つも
のは・・・?
今回は少なかったですが、LASもふんだんに折り込ませていくつもりです。
でも、LASに限らず恋愛ごとって何だか書いてて照れくさい・・・(^^;)。
Moonstoneさんへの感想メールをお願いします!
tomonori@ims.ac.jp
までお願いします。