written by Moonstone
ここにパパの手がかりがあるかも知れない・・・。ううん、きっとあるわ。
あたしのパパってどんな人だろう?美形で背が高い、紳士風かなぁ。案外・・・そうでもなかったりして
。
ママはどんな人かって考えたのかな?私が産むのはどんな人の子どもなのかなぁって・・・。
産まれて来る子はどんな子どもなのかなぁって・・・。
そう言えばあたし、パパのことなんて考えたことなかったな・・・。ママに見てもらうことしか、
ママに愛してもらうことしか考えたことなかった・・・。エヴァのパイロットに選ばるように頑張ったの
も、
全部ママに見てもらいたかったから・・・。ママに愛して欲しかったから・・・。
でも・・・ママはあたしを見てくれなかったね・・・。見てくれないまま死んじゃったよね・・・。
それからずっとがむしゃらに生きて来たっけ・・・。優秀なエヴァのパイロット。14歳にして大学卒業の
才女。
欧米人とのクオーターならではの美貌・・・。あたしは全てを手に入れたわ・・・。
でも・・・全てを失ったわ。シンクロ率0%、エヴァ搭乗の資格なし。14歳で大学卒業、だからどうした?
美貌も傲慢さが勝れば色褪せる・・・。あたしが手にしたものなんて、本当に脆かったな・・・。
でもねママ、それにパパ・・・。あたしはね、沢山のものを失う代わりに、大切なものを手に入れたのよ
。
それはね、今あたしの隣に居る、いっつも人の気持ち伺ってて、自分が悪くなくても謝っちゃう男の子。
でも・・・それはあたしができないことなの。人の気持ちを考えたり、謝ったりするのは・・・。
あたしに出来ないことが出来る、あたしが手に入れた大切なものを見せたい。見てもらいたい・・・。
Episode:2 応えよ我が魂の叫びに
It is impudent that an organization which can't save
even a person insists on saving the world.
シンジとアスカが訪れた場所、MAGIが検索した精子バンクの一つである人類保存協会のカウンターは、
意外なほどの賑わいを見せている。二人が初めて足を踏み入れる、「優秀」な子どもを求める女性達の巡礼
の地。
ガラス張りの天井から、柔らかい光が凛とした屋内の空気に溶け込む。
決して少なくはない人の間に、言葉は殆ど交わされることはない。まさに聖堂。
そう、ここは「優秀」な子孫を残すことを目的とする女性達のみ立入ることを許された、現代の聖堂。
「何か・・・入っちゃいけないような・・・。」
シンジが視線のみ周囲に動かしながら、居心地悪そうに呟く。
確かにシンジに対する、いや、シンジとアスカに対する周囲の視線は、明らかに歓迎のそれではない。
男が女と共に来る場所ではない、と言わんばかりの訝しげな視線。
他人の視線に敏感なシンジは、その視線の中に「部外者−即ち男−は出て行け」という無言の罵声を
感じずにはいられない。
シンジだけではない。アスカも刺すような視線をひしひしと感じている。
男連れで来る場所ではない、と言わんばかりの非難とも軽蔑とも取れる視線。
やはり他人の視線に敏感な−シンジとは少し意味合いは違うが−アスカも、居心地の悪さをひしひしと感
じる。
だが、他の客に何を遠慮することがあるのだろう。何故そんな視線を浴びせる必要があるのだろう。
あたしはお父さんを探してるの。横の男はれっきとした私の彼氏。
羨ましいのは分かるけど、逆恨みも程々にしてよね。あんた達とは目的の根本が違うのよ。
シンジはあんた達の精子供給源じゃないの。精子だけが目的のあんた達とは・・・
視線に抵抗していたアスカの叫びが、そこまで来て急にその勢いを萎えさせる。
悪い想像がアスカの脳裏を過ぎる。アスカはきゅっと結んだ唇の隙間から俯きを洩らす。
「あんた達とは・・・違う・・・。」
「え?」
シンジが思わず聞き返すと、アスカがいきなりシンジの服の袖を掴む。
余程力を込めているのか、袖に深い皺が刻まれる。同時に周囲の視線がさらに強まる。
視線の大波に押し潰されそうなシンジの服の袖を、アスカが引っ張って行く。
「受付・新規登録」のプレートが釣り下げられたカウンターの前に立った二人を、職員も怪訝そうに見上
げる。
「何か御用でしょうか?精子提供を御希望でしたらそこの番号札をお取り下さい。」
一応接客業務ということでマニュアル通りの応対をした職員の目前に、アスカが力任せに両手を叩き付
ける。
張り詰めていた空気を大きく震わせる音に、周囲の視線がさらに集中する。
「リストよ。リストを見せなさい。」
「は?」
「ここに保管されてる、過去の精子提供リストを見せろって言ってんのよ!」
アスカの激しい剣幕に、職員は動揺を隠せない。
「そ、そんな事申されましても、お受けしかねます。」
「とろくさい事言ってんじゃないわよ!さっさと出したらどう?」
「規則で精子提供や関係する個人に関する情報は、お出しできません。」
たじろきながらも何とか応対する職員に、アスカは容赦ない追い討ちをかける。
浴びさせられ続けた視線の痛みを全てぶつけるかのように。
「規則だってぇ?そんなもの関係ないわ!こっちにはこっちの事情ってものがあるのよ!」
「ですから、こちらにも規則というものが・・・。」
「えーい!あんたじゃ埒が明かないわ!責任者を出しなさい!今すぐよ!」
眉を吊り上げ、激しい怒声を浴びせて来るアスカに殺気すら感じた職員は、震える手で傍らの受話器を
取り、
内線にダイヤルする。コール音が鳴り響く間、職員は何時飛び掛かって来るか気が機でないようだ。
内線電話が通じたらしく、職員の顔に僅かに安堵の色が浮かぶ。
職員は小声で受話器とやり取りした後、受話器を置いて数回深呼吸をして二人に告げる。
「・・・とにかく、お話だけは伺おうということです。応接室にご案内します。」
「・・・まあ、いいわ。」
門前払いされなかったことで多少怒りが静まったのか、アスカの声の調子も普段のそれに近い。
だが、職員を睨むその視線が、明らかに激しい怒りがぐつぐつと煮立っていることを物語っている。
こんな視線に晒されたことのない職員は、案内のために立ち上がろうと思っても、足腰に力が入らない。
足腰が立ち上がるのを拒否しているようにすら思える。
切羽詰まった表情で足元と自分を交互に見る職員に、アスカは痺れを切らし始める。
終息の気配を見せていた怒りの波動が、再びその振幅を大きくしていく。
「わ・・・私がご案内します。」
いよいよアスカの怒りが再び爆発するというところで、隣のカウンターに居た職員が立ち上がる。
このままでは流血沙汰になりかねないと判断したのか、覚悟を決めたような表情が浮かぶ。
職員は一度生唾を飲み込むと、脇の通用口から二人の前に進み出て奥の方を指し示す。
二人は無言のまま、職員の案内で奥の応接室へと向かう。
応接室のドアが開き、二人を迎え入れて再び閉まると、ロビーに微かなざわめきが産まれる。
これまで会ったこともないタイプの来客に、職員の中にもざわめきが起こる。
刺すような視線からようやく解放された二人は、ソファに腰掛けると思わず溜め息を吐く。
視線の嵐に加え、爆発したアスカをどう抑えるかで神経を張り詰めていたシンジには、有り難い瞬間。
「アスカぁ、駄目だよ。あんなに怒鳴っちゃ。」
「だってぇ、あいつらが・・・。」
ばつが悪そうに俯き、上目遣いにシンジを見詰めるアスカ。シンジは一瞬罪悪感に苛まれる。
シンジとてアスカの気持ちが分からない訳では決してない。少なくともあの視線だけは耐え難い苦痛では
あった。
だからと言って、その鬱憤を職員にぶつけて良いという訳ではない。
「アスカの気持ちは分かってるつもりだよ。でも、怒鳴ったりしたら、伝えたいことも伝わらなくなる
よ。」
「ん・・・。そうだね。あたし、つい、むきになっちゃって・・・。」
しゅんとなったアスカの肩に、シンジは労るように手を回す。アスカはシンジの肩に身を預ける。
つい先程まで怒りの嵐が荒れ狂っていたアスカの心の大海は、瞬く間に穏やかな水面を取り戻す。
これを職員や他の来客が目にしたら、我が目を疑うことは間違いない、それほどの変貌。
二人が見詰め合ったところで、二人が入ってきたのとは別のドアが開く。
二人は磁石が反発するように慌てて離れ、人一人分くらいの距離を置く。
入って来たのは、スーツに身を包んだ見るからに職歴豊富そうな女性。
丁度髪を伸ばして纏めたリツコが、スーツを着たような雰囲気だ。
二人は立ち上がり、女性と互いに一礼する。
「はじめまして。早速ですが、お話を伺いたいと思います。どうぞおかけ下さい。」
女性の挨拶で二人は再びソファに腰を下ろす。女性も二人の向かい側に腰を下ろす。
アスカは前置き無しに、ここに足を踏み入れた経緯を話し始める。
自分は父親の顔を知らないこと。母親は幼い頃に死んだこと。
父親に会いたいが、母親が精子バンクから提供を受けたため、手がかりらしいものが皆無に等しいこと
。
母親の経歴から、ドイツ国内の精子バンクが候補に上がり、日本からやって来たこと。
母親が自殺したこと、目の当りにしたあの日の光景が悪夢となって自分を苦しめていることは、語らなか
った。
女性はしかし、切実なアスカの訴えにも全く表情を変えることはない。
アスカを冷徹な視線で見据え、聞いている振りをしているだけに見える。
ドイツ語で懸命に思いを吐き出すアスカの横で、シンジは背筋に何処かで感じたことのある悪寒を感じる
。
アスカが独演会を終え、軽く溜め息を吐く。女性はやはり眉一つ動かさない。
「・・・お話は分かりました。ですが、内部資料をお見せすることは出来ません。」
あまりにも事務的な素っ気無い対応に、アスカの怒りが一気に頂点に達する。
目の前の小さなガラスのテーブルに、叩き割るような勢いで激しく手を叩き付け、身を乗り出すアスカ。
だが、女性はそれでも全く動じる様子を見せない。
「ここまで話させておいて、『お見せ出来ません』ですって?!ふざけんじゃないわよ!!」
「話をされたのは貴方です。私はここまで話してくれとは一言も言っておりません。それに、『話を聞く』
と
『要求を受け入れる』とは別次元の話です。」
「話を聞いたのは単なるポーズ?随分人を馬鹿にしてるわね!」
「お話を聞いた後の判断がどうなるかは、ここの規則に照らし合わせることで決まることです。」
嫌みなほどに冷静な女性を前に、アスカは歯を軋ませる。
シンジはアスカの腕を掴み、無言で首を横に振り、自制を求める。
頬を一発張り倒したいところだが、シンジの手前、これ以上感情に任せることは好ましくない。
アスカは振り上げた拳を引っ込め、勢い良く椅子に腰を下ろす。
女性はやはり表情を全く変えない。シンジはかつて感じたこの嫌悪感の記憶を手繰り寄せる。
リツコから感情を除いたような・・・いや、違う。人を駒としか見ない感情の消えた眼・・・。
そう、かつてシンジが恐れ、憎み、そして愛を求めた実の父ゲンドウのそれだ。
何年ぶりかにいきなり自分を呼び付けた。 どうして今まで構ってくれなかったんだよ。
事情を説明しないまま戦うことを強要した。 どうして僕が戦わなきゃならないんだよ。
エヴァの説明を聞け、嫌なら帰れと言い放った。 エヴァに乗せるためだけに僕を呼び付けたの?
戦いを終えた自分に労いの言葉一つかけなかった。 僕が生きていても死んでしまっても関係ない
の?
思い出したくもない思い出が封印を破って溢れ出る。心がかき乱されるこの感覚。
シンジは両腕を抱え込み、俯いてしまう。顔から血の気が消え失せる。
「シンジ?!どうしたの?!」
シンジの異変に気付いたアスカは、沸騰する怒りを一旦脇に置き、不安そうにシンジの顔を覗き込む。
「だ、大丈夫。何でもないよ。」
アスカに余計な心配をかけまいと、シンジは姿勢を無理矢理立て直し、急造の笑顔で誤魔化す。
女性はこの間も、全く表情を変えない。シンジは女性にゲンドウが重なり、思わず視線を逸らす。
「この際ですから、お二人に話しておきましょう。」
女性は二人を見据えながら、口だけを忙しなく動かす。
「我が人類保存協会をはじめ、精子バンクというものは、優秀な女性が優秀な精子の提供を受けること
で、
将来世界に貢献する優秀な子孫を残すことのお手伝いをするものです。そこに男女間の愛というものは
必要ないのです。」
・・・違う・・・。
「婚姻や性交といった、女性にのみ拘束や苦痛をもたらすことを排除することは、男女平等の観点からも
非常に理想的です。精子バンクは世界の将来のためにも、女性の権利向上のためにも、非常に有効です。
」
・・・違う!・・・
「貴方も母親が精子バンクの提供を受けて出生したのですから、頭脳、容姿、能力全てにおいて優秀で
しょう。
精子バンクの有用性を、貴方自身が証明しているのです。」
・・・違う、違う・・・。
「男性は厳正な審査によって選りすぐられ、優秀な精子のみが保存されます。言い換えれば男性は優秀な精子を
提供するだけで、養育や親権などの責任を負う必要はありません。子育ては女性のみで十分なのですから
。」
・・・違う!違う!違う!・・・
「貴方も優秀な子どもの一人として、父親に固執するより、優秀な子どもを産むことを考えて、精子バ
ンクに
登録されてはどうですか?これは優秀な女性としての責任ではないでしょうか?」
「違うわよっ!!」
平手が唸り、機械仕掛けの宣伝人形のように精子バンクの有用性を説いていた女性の頬を打つ。
シンジが止める間もない、一瞬の出来事。
大きく開かれた女性の目が、微かに感情の起伏を仄めかす。
アスカの大きな青い瞳の表面が、涙に包まれる。
「・・・優秀なことだけを求められる子どもの気持ちが・・・あんた達に分かるっての?優秀であろう
として
小さい時からがむしゃらに生きてきた子どもの気持ちが・・・あんた達に分かるもんか。分かるもんかぁ
!!」
女性に吐き捨てるはずの言葉が、日本語で出てしまう。その叫びはシンジを強烈に打ちのめす。
優秀な子どもとなるべく生きて来たアスカ。優秀であり続けるためにひたすら走り続けたアスカ。
それが母親の理想の押し付けと思えても、そうは思いたくない。
母親はアスカである自分を求めていた筈だ。優秀でなくても愛してくれた筈だ。
優秀を求められ、優秀でなければならなかったアスカの魂の叫びは、部屋全体に、そしてシンジとアスカ
の心に
重過ぎる残響を刻む。
それから順時足を運んだ精子バンクでも、二人の要望が聞き入れられることはなかった。
規則で不可能、と素っ気無く却下されるだけならまだましなほうで、シンジが入ろうとした瞬間、
警備員に排除されたり、シンジの精子を提供すれば応じる用意があると取引を持ち掛けて来たところもあった。
ここでも大人の身勝手が子どもを翻弄している。でも、自分はアスカに何もしてやれない。
シンジは横で力なく俯くアスカを見て、怒りともどかしさに心を弄ばれる。
精子バンク巡りを重ねるに従って、アスカから快活さと口数がめっきり減っていった。
父親に会えるという希望が、規則の壁と大人の身勝手さの前に徐々に色褪せていくのをアスカは実感している。
一昔前なら絶大な権力を誇ったNervの看板も、個人情報の保護と規則を盾にされた上に国連の一機関として
公的存在になった今では無力に等しい。
Nervの全面支援も今となっては空しく響くばかり。
付き添いのNervドイツ支部職員も、二人の心情を察してか、敢えて口を開かない。
アスカに下手な労りの言葉をかけるのは逆効果、と事前にミサトから釘を刺されているのもある。
二人が滞在するホテルへと向かう車の中で、アスカは俯いたままぽつりと呟く。
「もう・・・諦めた方がいいのかな・・・。」
シンジが感じる心の圧迫感がさらに強まる。同時に心の中で激しい葛藤が始まる。
(アスカが苦しんでいるのに何も出来ないのか?)
そうさ、僕は無力だから。何も出来ないんだ。
(無力?違うだろ?)
何が違うんだよ。
(逃げてるだけさ。かつてと同じ様にね。)
何時僕が逃げたっていうんだよ!
(何もしてないのに、自分が無力だと決め付けてるじゃないか。)
・・・そうだ。僕はまた逃げ出そうとしてたんだ・・・。
無力を嘆くのは簡単だ。だが、ほんの少しの勇気と行動で大きく道が開けることがある。
大人の身勝手が生み出した死と隣り合わせの日々の中で、その大切なことを学んだ筈だ。
学んだことを生かそうともせずに、無力を言い訳にして逃げ出すのか?
アスカを守ると誓った筈だ。なのに無力を嘆いて見捨てるのか?
優しさと弱さは違うと知った筈だ。加持さんのようになるんじゃなかったのか?
シンジは自分を奮い立たせる。苦い思い出を噛み締めてさらに無力を嘆く無限の回廊に迷いかけたシンジは、
愛する者を守るために小さな勇気を、しかし大切な勇気を振り絞る。
自分が変わるのを待つのではなく、誰かが変えてくれるのを待つのでもない。
そう、自分から変わるために。自分を変えるために。
「・・・Nerv支部に連れていって下さい。」
「え?ホテルへお帰りになるのでは・・・?」
「帰りません。Nerv支部へお願いします。」
正面を見詰めるシンジの表情は、少々頼りない優美な少年のそれではない。目標を見定めた男性のそれだ。
バックミラーに映るシンジに只ならぬ気迫を感じた職員は、一度頷いてハンドルを切る。
アスカはシンジに何が起ったのか理解できずに、顔を上げてシンジの顔を見る。
シンジがアスカの方を向く。その表情には労りだけではなく、強い決意が溢れている。
「まだ諦めちゃ駄目だよ、アスカ。まだ方法はある。」
「シンジ・・・。」
「僕はまだ諦めない。だから、アスカも諦めないで。」
「・・・うん!」
強い意志で引き締められたシンジの表情。今まで見たこともないような凛々しい表情。
いけないと知りつつもシンジと加持を比較する時、どうしても浮き彫りにされた頼りなさは微塵もない。
アスカを飲み込もうとしていた絶望の暗き海が大きく割れ、新しい道を造り出す。
悲しみの暗雲がその帳を引き裂かれ、眩い光が差し込む。
アスカの膝の上にあった手がシンジの手を包み、自分の方に引き寄せ胸に抱き寄せる。
一瞬驚いたシンジだが、涙で潤んだ瞳と輝く笑顔のアスカに誘発されて笑顔が浮かぶ。
バックミラーに映る二人の姿に、Nerv支部へと車を走らせる職員にも不思議な気分が沸き上がる。
指示を受けての協力ではなく、自ら身を投じる協力の気持ち。
自分とは無関係な若い二人の希望が叶うことを願うことを超え、叶えるために協力したいと思う気持ち。
決して短いとは言えないNerv職員としての歴史の中で感じたこともない気持ちを、職員は確かに感じる。
一行を乗せた車は、夕闇が迫って来る町並みを走る。
シンジとアスカが滞在するホテルのある中心部を通り抜け、建物がまばらな郊外へ出る。
建物よりも樹が目立つようになった頃、白で統一された広大な建物が木々の間から垣間見えて来る。
数年ぶりに訪れるNerv支部にアスカは妙な感慨を覚える。
ふとアスカは隣のシンジを見る。真一文字に結ばれた唇とNerv支部を見据える瞳の強い決意は萎えてはいない。
まだ方法はあると言った。だが、シンジはどうしようというのか。何故ドイツ支部に向かうのか。
尋ねたい気持ちが頭をもたげるが、アスカは敢えてそれを心の奥に押し込める。
シンジに頼りたい。
恐らく初めて味わう頼りたいという気持ち。他人への屈服に等しいと軽蔑し、遠ざけていた気持ち。
この気持ちに身を委ねたいと、アスカは自然に思う。
車は森の中に吸い込まれ、煌煌と街灯が灯る、やや上り坂になっている道を疾走する。
巨大な鉄柵のような正門の前で一旦停止し、警備員と短いやり取りを交わした後、車はいよいよNerv支部の
構内へと足を踏み入れる。
シンジは初めて訪れることになるNervドイツ支部。
欧州における復興活動の拠点として、同時に生命工学、遺伝子工学の研究所として活動しているのもあるが、
地下深くにあって要塞のような日本のNervとは違って、森の中にある研究所の雰囲気を強く感じさせる。
車は空白が目立ち始めた駐車場に停まる。同時にシンジがドアを開けて降りる。
先を急ぐようなシンジの行動に、アスカは驚きつつ車を降りる。
「何処へご案内すればよろしいでしょうか?」
初めて二人より後に車を降りた職員が尋ねると、シンジは即座に答えを返す。
「MAGIの端末がある部屋へ連れていって下さい。」
「ま、MAGIの?!」
「早く!」
急かすシンジに、職員はさすがに動揺を隠せない。
MAGIは全世界に点在するNerv支部に対して、これまでの復興プランと遂行状況を検証して、最善のプランを
逐次発送するばかりか、膨大な国連事務局の事務処理、日本国内のエネルギー配送の調整など、多大な業務を
休む間もなく行う、文字どおり世界の頭脳となっている。
データの授受や提案と討論−リツコによって新たに導入された対話型コンピュータの試み−のために、
各支部はMAGIと直結できる端末を有する。
そこにいきなり別の処理を割り込ませるようなことになれば、支部運営が滞るばかりか、MAGIにとっても
大きな負担となって、最悪の場合システムのオーバーロードを招きかねない。
シンジがMAGIの端末から何をしようと考えているのか、職員はおおよその想像がつく。
だからこそ、端末に触れることは思いとどまらせなければならない。
「それは出来ません!支部の業務が滞りますし、MAGIのシステムに過負荷をかけてしまいます!」
「責任は全部僕が取る!後で国連裁判にでもかければいい!」
「出来ません!葛城一佐から委ねられたお二人に、罪を被らせる訳にはいきません!」
必死に食い下がる職員に、シンジはさらに語気を強める。
「ミサトさんから全面協力を指示されてるなら、僕のやることに何故協力できないんだ!」
痛い所を突かれた職員は反論に二の足を踏む。シンジはさらに言葉を浴びせ掛ける。
「貴方達は任務を忠実に実行するように、上司の命令には絶対服従するように訓練されて来たんだろう
!
だったらミサトさんの指示通りに動いたらどうなんだ!それとも自分の都合で独断を持ち込む気か!」
「・・・。」
「僕は自分の言ったことに責任を持つ!一切の責任は僕が持つ!さあ!早く端末のある部屋へ!」
不意にシンジの腕をアスカの手がぎゅっと掴む。その感触にシンジは我に帰ってアスカの方を向く。
何処か超然とした、吹っ切れたような表情で、アスカは口を開く。
「全部僕の責任・・・?勝手な事言わないで。」
「アスカ・・・。でも僕は・・・。」
「ずっと一緒に居てくれるんじゃなかったの?それなのに、自分だけ犠牲者になって何処かへ行くつもりなの?
そんなの・・・あたしは許さないわよ。」
何か言おうと慎重に言葉を捜すシンジの腕に、アスカの指がさらに強く押し付けられる。
アスカに芽生えた、強い決意を示すように。
「シンジがやるなら・・・あたしも一緒にやる。」
「アスカ!それは・・・!」
「駄目なんて言わせないわよ、シンジ。エヴァを放り出してもあたしを放り出すことは許さないからね。
大丈夫よ。あたし達を放り出したら、エヴァのパイロットを数百人は新たに養成しないと駄目だってことくらい、
ミサトやリツコも分かってるでしょうから、絶対クビには出来ないわよ。」
何時になく落着いたアスカの口調に、シンジは勿論、職員も聞き入ってしまう。
「それに・・・クビにしたけりゃすりゃいいのよ。どうせあたしは一度用済みの烙印を押された人間だ
し。
裁判にかけたけりゃ大いに結構。エヴァから解放されるなら、むしろ歓迎すべきかもね。」
「アスカ・・・。」
「ただし、それはシンジが一緒じゃなきゃ嫌。あたしだけでも、シンジだけでも嫌。だから一緒にやる。
シンジが嫌だって言ってもやる。絶対、あたし一人にも、シンジ一人にもさせない。」
アスカの瞳にも宿った強い決意。かつての装った強気とは違う、連れ添う者を持った故の強さ。
服務規則と二人の訴えの板挟みに喘いでいた職員の表情から、迷いの色が消える・・・。
日本のNerv本部は妙にゆったりした時間を過ごしていた。
復興プランの再構成もさほどかからず、MAGIもつかの間の一息をついている状況。
普段なら部下に混じって懸命にキーボードを叩き、スクリーンを見守るマヤも、敬愛するリツコとお揃いの
可愛い黒と白の猫が描かれたマグカップのコーヒーを口にする余裕を楽しむ。
「マヤ。くつろいでるわね。」
不意に背後からリツコの声がかかると、マヤは慌ててカップを置く。
「いいのよ。たまにはこういう時もないと、息が詰まるでしょ?」
「は、い、いいえ。」
「そんなに慌てるとコーヒー零すわよ。キーボードはコーヒーを飲まないから注意してね。」
リツコもMAGIシステムのさらなる改良にあたると同時に、エヴァの機動実験と性能向上に追われる毎日が続き、
少々疲れの蓄積を感じ始めていただけに、マヤの気持ちは十分理解できる。
和んだ雰囲気の一方で、高台に座する冬月司令の隣に座る副司令のミサトは、厳しい表情が固まっている
。
「葛城君。どうしたのかね?」
「・・・いえ、何でもありません。」
ミサトが一時的に厳しい表情を崩して誤魔化そうとするが、冬月は笑みを浮かべてミサトの気持ちを代弁する。
「あの二人が心配なんだろう?」
「・・・赤木博士に無理を言ってMAGIの処理に割り込みをかけて、精子バンクを絞り込んだのはいいんですが、
個人情報を最優先する精子バンクがすんなりとリストを見せるとは思えなくて・・・。」
「まあ、君の心配も分かるが・・・、あの二人に全て任せてみてはどうかね?」
「そうしたいんですが、どうしても気になって・・・。」
あの戦いで心身共に深い傷を負った二人。
結果的に二人を戦いと陰謀の渦に巻き込んだ負い目を感じ続けるミサト。
目の前に立ちはだかる大人社会の壁にぶち当たり、また以前の二人に戻ってしまうのではないか。
他人を求めつつも傷付くことを恐れ、他人を拒絶して自分の殻に閉じこもるのではないか。
二人のドイツ行きが正式に決まって以来、不安をかき消そうともがくように、ミサトのアルコール量は指数関数を
描いて上昇している。
「君はシンジ君がいない間の、自分の生活を心配した方がいいんじゃないのかね?」
「し、司令。それは言わない約束ですよ。」
アルコールに任せてついでに忘れようとしていた、自宅の「惨状」を目撃したかのような冬月の問いに、
ミサトは狼狽する。
リツコと暫く談笑していたマヤを催促するように、復興プラン着信の表示がディスプレイに浮かぶ。
「あら、仕事みたいね。」
「はい。じゃあ早速・・・。」
内容を確認しようとマヤがキーボードに両手を配置した瞬間、和やかな空気を破る警告音が響き渡る。
ディスプレイに「Illegal Interrupt(不正割り込み)」の表示が対応を促す様に紅く点滅する。
思い思いに休息を取っていた他の職員も、突然の事態に動揺を露にする。
「マヤ、警告の詳細は分かる?」
「警告コードW2056。受信中における外部からの不許可の割り込みです!」
「リツコ!どうなってるの?!」
「ハッキングの可能性が高いわ!マヤ、セキュリティ作動!」
「だ、駄目です!この割り込みはMAGIの端末が正規手続きを経て使用されています!」
マヤの報告に、一同は愕然とする。
不正アクセスがMAGIの端末から、それも正規の手続きを経て使用されたものだということは、
このハッキングが内部犯行であることを強烈に示している。
まさかの事態は突然、それも最悪の形で起こりうる。
Nervに久々ともいえる緊迫した空気が圧し掛かる。
「くっ・・・。不意を突かれたわね・・・。」
「割り込み先から着信!画像と音声を認識しました!」
「表示しなさい。犯行声明の可能性もある。録音と録画準備。」
冬月の指示を受けてマヤをはじめとするオペレーターが準備を整える。
拡大されたホログラフィーに、見覚えのある、いや、誰もが知っている顔が浮かぶ。
「シ、シンジ君?!」
「アスカまで・・・。一体これはどういうことなの?!」
予想もしなかった「犯人」は、Nerv本部の緊迫感を知ってか、思い詰めたような表情で通信を始める。
「ミサトさん、皆さん、聞こえますか?」
「シンジ君!貴方、一体何を考えてるの!」
「ミサトさん。用意してもらった精子バンクを全部あたってみましたが、全部門前払いでした。」
「報告なら電話なり電子メールでなさい!MAGIに強制割り込みをかけるなんて、自分のしていることが
どういうことか、分かってるの?!」
「葛城一佐。MAGIの端末使用許可は私が下しました。」
ミサトを驚愕させる「犯人」の顔が、新たに映し出される。
MAGI端末を統轄する責任者であり、二人に協力するようにミサトが指示を出した相手である情報部長、
大和タケシの登場に、ミサトは目の前が真っ暗になるのを感じる。
「や、大和二佐?!」
「一佐はこの二人に全面協力するようにと指示されました。私はその指示に忠実にしたがったまでです。
」
「た、確かに指示はしたわ・・・。でも、服務規則違反をしろとは言ってないわよ!」
「一佐。お言葉を返すようですが、二人の正面からの要請が無下に断られた以上、全面協力の指示を
遂行するには、MAGI本体の強力な機能を使うしかないというお二人の要求に、私は協力したまでです。
」
服務規則を逆手に取られた格好になったミサトは、唇を噛んで拳に力を込める。
「ミサトさん!それにリツコさん!お願いです!MAGIにリストを抽出させて下さい!」
「何馬鹿な事言ってるの!もうNervは超法規的組織じゃないのよ!」
「なら僕は法を超える!アスカの為なら、僕は悪魔にでもなってやる!」
「止めなさい、シンジ君!!」
「不正割り込みによる提案を受信!キャンセルできません!」
ミサトの叫びを無視して、警告を表示し続けるMAGIに提案が送り込まれる。
Priority(優先度)AAAで入力された「対象精子バンクのデータサーバーからの精子提供者と
利用者リストの抽出」という提案がディスプレイに表示される。
「無理よシンジ君。MAGIがそんな理由で動くなんて考えられない・・・。」
ミサトと対照的に、シンジの行動を冷静に見ていた−「犯人」が自分の知る人物だったという妙な安心感か−
リツコの目前で、MAGIが検討を行う。一旦提案が送り込まれた以上、採決を下すのがMAGIの「任務」。
しかし、MAGIの合成音声が示す結果は、リツコをも驚愕の渦中に引きずり込む。
「決議。条件付き賛成1、反対2で本提案を否決します。」
「じょ、条件付き賛成ですって?!誰がそんな判断を・・・?!」
リツコはMAGIのディスプレイをみて驚愕の色を露にする。
バルタザールだけが確かに「Conditional agreement(条件付き賛成)」を表示している。
まさか、そんな・・・。MAGIには母さんの人格が移植されてる。確かバルタザールには
「母親」としての人格が・・・。ということは・・・、女としては、科学者としては認められなくても、
母親としては認めるというの?どういうこと?母さん・・・。
リツコが思考を巡らせる中でも、シンジからの強制提案が繰り返されるが、その度に同じ結果が下され
る。
通信が途絶えたことで、他の支部から問い合わせや抗議の電話が届き始める。
なおも強制提案を繰り返すシンジ、アスカ、そして大和タケシや他の職員の表情を見たリツコは、
同じ表示を繰り返すMAGIのディスプレイに視線を移して呟く。
「そうか・・・。母親だからか・・・。」
「先輩?」
自嘲気味なリツコの呟きに疑問を感じたマヤが問い掛けると、リツコはホログラフィの前に歩み寄る。
「シンジ君。強制提案をいくらやっても同じ結果しか出ないわ。」
「リツコさん!でも・・・!」
「いいから早く割り込みを解除しなさい。これは命令よ。」
リツコの言葉にそれぞれが共感と反感を持った時、リツコの口から驚くべき言葉が飛び出す。
「私がマスター権限で提案を可決するように勧告を出すから、早くどいて頂戴。この方が効果あるわよ
。」
「リ、リツコ?!」
リツコの冷徹な命令に内心感謝すらしていたミサトは、思わぬ「反乱」に耳を疑い、身を乗り出す。
リツコは高台に居るミサトを見上げて、笑みを浮かべる。
「私もね、そろそろ『鉄の女』とか『冷血科学者』の汚名を返上したいのよ。」
「リツコまで馬鹿な事言うのは止めて頂戴!MAGIを個人的理由で動かすなんて規則違反よ!」
「それならもうとっくにやっちゃったじゃない。精子バンクのリスト作成の時に。指示を出したのは貴方で
しょ?」
「うっ、そ、それは・・・。」
「それにね・・・私は建前や仰々しい理想の下で動くのはもう御免なのよ・・・。」
眼鏡の奥の瞳に浮かぶ悲しみの色。
エヴァ製造や人類補完計画に深く関与したことで、結果的に二人を傷つけたこと。
そして幼い一人目のレイを自らの手で殺めたこと。
母子二代にわたって続いたゲンドウの呪縛から解放された今、リツコの感情に明らかな変化が生じている
。
ミサトは傍らでじっと一部始終を見守っていた冬月の方を向く。
孤立無援となって最後の頼みの綱を求めるミサトに、冬月は柔らかい物腰で語る。
「葛城君。我々の今の存在目的とは少しでも早い世界の復興を目指す、言うなれば荒れ果てた世界を
救うこと。違うかね?」
「はい、おっしゃる通りです。でしたら・・・。」
「人一人救えぬ組織が、世界を救うことを口にするなど、おこがましい。そうは思わんかね?」
穏やかな口調に乗せられただけに、その言葉がミサトの心に重く響く。
「我々はあの戦いの中で大切なことを学んだ筈だ。人を救うこととは自分の理想を一方的に押し付けることでも、
規則の遵守に固執することでもなく、一人一人の切実な願いが叶えられるように、
互いに手を指し述べ合うことだということを。それが人が人たる所以だということを。」
「・・・司令・・・。」
「学んだことを生かすことが、我々大人の代わりに戦ってくれた彼らに対する、ささやかな贖罪でもある。
君ならなおさら分かってくれる筈だと思うが・・・どうかね?」
俯き加減のミサトの口元に、自虐的な笑みが浮かぶ。
「そうでした・・・。私はまた、保護者面してあの子達を見殺しにするところでした・・・。」
吹っ切れた表情でミサトが顔を上げ、指示を下す。
「シンジ君、割り込みを解除して。リツコはMAGIに勧告を。これまで及びこれからのMAGIのシステムダウンは、
外部からのハッキングによるセキュリティの過剰反応と、その復旧作業によるものと各支部と各国政府に通達。」
「ミサトさん・・・!」
「皆にちゃんとお土産買って来るのよ!」
ホログラフィに映るシンジとアスカ、そしてミサトは笑顔でVサインを送り合う。
全員の気持ちが一つになった今、マスター権限の勧告を受けたMAGIの決議を待つまでもない。
やるべきことは一つ。一人の少女を救うこと・・・。
to be continued
筆者後書き
あー、しんどかった(-o-;)。Moonstoneです。今回は随分長くなりましたが、区切る適当な場所が
なかったもので・・・。さて、今回は人物の対比や変化を強調してみました。シンジがかなりカッコいい
役所を
演じましたが、ここでしっかりしなくてどーする、という個人的感情が入ってます(^^;)。
あと、冬月が「良い上司」をやってます。オヤジーズ(^^;)の中で最もお気に入りの彼に、大事な台詞を決
めて
貰いました。SSで冬月を出すのは初めてですが、結構はまってると思います(^^)。燻し銀のオヤジ。
こういう人に、私もなりたい(^^;)。
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