written by Moonstone
良かった・・・僕達の願いが叶うんだ・・・。リツコさんが勧告を出してくれるなんて・・・。
実験と研究の時の表情で冷たいイメージが殆どだったけど、そうじゃなかったんだね・・・。
本当は優しい人だったんだ・・・。それを人前に見せなかっただけなんだ・・・。
リツコさん、御免なさい。それに・・・ありがとう・・・。
冬月司令、それにミサトさん・・・。無茶なことをしてすみません・・・。
24時間フル稼動のMAGIに割り込みをかけるなんて、自分でもとんでもないことだって分かってました。
でも、これしか思い付かなかったんです・・・。どうしても僕達の願いを聞いて欲しかったんです。
アスカがお父さんと会えるように、何とかして欲しかったんです・・・。
でも、ほんの少しの勇気で、道は開けるものなんだ・・・。実感しましたよ、加持さん・・・。
まだ僕は加持さんには遠く及ばないと思います。まだ、一歩を踏み出したばかりなんですから・・・。
それでも、この一歩は僕にとって大きな一歩なんです・・・。
アスカが憧れる加持さんに少しでも近付くための、大切で重い一歩なんです・・・。
これでアスカとお父さんの距離はきっと縮まるだろうな・・・。いや、きっと会える・・・。
アスカの笑顔を消したくない・・・。その気持ちが逃げ出そうとしていた僕を奮い立たせたんだ・・・。
僕にはアスカが必要なんだって、改めて思い知らされたような気がする・・・。
アスカは・・・僕を必要としてくれるだろうか?いや、違う。アスカに必要とされる男になるんだ・・・
。
Episode:3 決戦、電脳世界
...To tell the truth,I don't know Daddy,either.
I have hated Mather since that time...
「決議。賛成2、反対1で本提案を可決します。」
合成音声がシンジの提案−精子バンクから精子提供者と利用者のリスト抽出を求めるというもの−の可
決を
告げると、Nervのオペレーティング・ルームに歓声と拍手が湧き起こる。
MAGIの提案可決は、回線を通してドイツ支部にもリアルタイムで伝わっている。
収まる気配のない歓声の中、シンジとアスカ、そして大和タケシをはじめとするドイツ支部の職員が、
一斉に咲かせた笑顔の大輪をホログラフィーに所狭しと並べる。
リツコがマスター権限で提案の可決を勧告した効果はやはり大きく、最初から条件付きながら賛成を
表明していたバルタザールと、「科学者」の人格を移植されているメルキオールが賛成に転じた。
しかし、「女」の人格を移植されているカスパーは、勧告にもかかわらず反対に徹した。
リツコはただ一人、厳しい表情でMAGIのディスプレイに輝く「Opposition(反対)」の文字を見詰める。
「・・・ツコ、リツコ。」
上の方から自分を呼ぶ声が次第にはっきりとリツコの耳に届く。
リツコは慌てて表情を取り繕い、身を乗り出しているミサトの方を見上げる。
最後までMAGIの使用を渋っていたのが嘘のように、ミサトは嬉しさを顔いっぱいに曝け出している。
「どうしたの?ぼうっとしちゃって。」
「あ、いえ、何でもないわ。」
「ありがと、リツコ。あんたのお陰よ。」
「・・・礼は私に母親の気持ちを理解させてくれた、あの子達に言って。」
リツコは口元に浮かべた笑みをミサトに送ると、さっと身を翻してマヤの元へ向かう。
ミサトはその様子を怪訝に感じたが、歓声の怒涛に再び身を任せてホログラフィーに呼びかける。
「シンジ君。アスカ。後は私達とMAGIに任せて、今日はホテルに帰りなさい。」
「あたし達だけホテルに帰ってのんびりしてるって訳にはいかないわよ。」
「そうですよ。僕達のためにやってもらってるんですから。」
眩しい表情を見せる二人の拒否に、ミサトは困ったような顔をする。
MAGIに可決させたとはいえ、本来許される筈のないハッキングという違法行為を行うだけに、
万が一の事態の時に二人にまで責任問題が及ぶ事は避けたい。
だが、一旦動き始めた時の二人の行動力を止めるのは難しいことは、「上司」でもあるミサトは良く知って
いる。
前から猪突猛進型のアスカは言うに及ばず、考えられないほどの頑固さを見せたシンジが、
はい分かりましたと素直に応じるとは思えない。
どうにか二人を返す適当な理由付けを考えているミサトをよそに、リツコが再びホログラフィーの前に
立つ。
表情は普段通りだが、今のNervとは異質な雰囲気を漂わせている。
「二人とも、今日は帰りなさい。」
「リツコ。生憎だけどそうはいかないのよ。」
「リスト抽出なんてそんなに簡単に出来やしないわ。掠め取るような際どいことをするから計画を立ててる
間に
夜が明けるかも知れないし。」
「でも、僕達の我が侭をMAGIに聞いてもらえるようにしてくれたのに・・・。」
「義理立てなんて考えなくていいのよ。貴方達は自分達のことだけ考えてなさい。」
食い下がるシンジに、リツコは微笑んで諭す。
今まで目にしたことのないようなリツコの表情に、二人はそれ以上反論する気が萎えるのを感じる。
「・・・分かりました。僕達は帰らせてもらいます。」
「じゃあ、頼むわね。」
二人がリツコの説得に応じたのを見て、ミサトはホログラフィーに向って指示する。
「大和二佐、二人をお願いね。あと、こちらからの指示があると思うから待機していて頂戴。」
「承知しました。お二人は責任を持ってホテルまでお送りします。」
「シンジ君、アスカ。明日をお楽しみにね。」
「ミサトさん、お休みなさい。」
「徹夜で肌荒れに拍車がかかっても恨まないでよ。」
アスカの悪態も今は軽いジョークにしか聞こえない。
グラフィーからシンジとアスカが姿を消すと、冬月がすっと立ち上がる。
副司令だった頃は直立不動だった冬月だが、今はかつての司令ゲンドウのように座席に鎮座し続けている
。
その冬月が立ち上がったことに、ミサトは勿論、Nervの面々に驚きと緊張の色が浮かぶ。
「只今より特別作戦に着手する。この作戦は超法規的措置を執ることが想定されるため、極秘且つ迅速
に
遂行することが要求される。MAGI使用プランの作成には赤木博士と伊吹一尉。通常業務の遅延対策の作成
には
日向一尉と青葉一尉。ドイツ支部のMAGI端末使用は赤木博士並びに葛城一佐と連携しつつ大和二佐。
作戦の総指揮は葛城一佐。他の各員は指示に従い、円滑に作戦を遂行されたい。」
「分かりました。」
「大和二佐。そちらの長官には私が直接事情を説明する。本作戦については情報部一同、葛城一佐の指揮下
に
入って頂きたい。」
「承知しました。」
「では、作戦を開始する。」
動き始めた発令所を一望しながら、冬月は傍らのミサトに耳打ちする。
「後は君に任せる。計画の全容が出来たら、赤木博士と共に私の部屋まで来てもらいたい。」
「分かりました。」
「それから・・・、夜食が必要なら手配してくれ。経費は監査委員会が後で騒ぐといかんから、私が持つよ
。」
「よろしいんですか?今ここに居る職員は結構な数ですよ。」
「たまには良いだろう。しょっちゅうだと私の財布が吹けば飛ぶほど軽くなってしまうがな。」
冬月が笑って席を立つ。かつての司令ゲンドウが見せたことのない快活な笑顔。
心の奥に一握りの人間の理想という名の思い上がりを含ませていた頃には感じなかった、
感じるはずのなかった気分が心を潤していくのを冬月は感じている。
かつて、死の世界と化した南極の海を前に、ゲンドウは言った。
原罪の汚れなき、浄化された世界だ。
(お前は人が居ない世界を望んだ。だから自らも消えようとした。)
かつて、ゲンドウと同じ光景を目の当りにして、冬月は言った。
俺は、罪にまみれても、人が生きている世界を望むよ。
(自分の意志で消えるのは好きにすればいい。だが、他人を消すことが許される筈はない。)
一人の男は罪の浄化を願い、消えることを望んだ。
もう一人の男は罪の汚濁にまみれても、留まることを選んだ。
生きていれば何時か、生きていて良かった、と思える時が来るものだよ、碇・・・。
聞こえるはずのない冬月の呟きは、早速夜食を手配しようと受話器を手にしたミサトに届く。
その言葉は、ミサトの中で柔らかく心地良い共鳴を育む。
情報部の職員にホテルに送り届けられたシンジとアスカは、少し遅い夕食を取って部屋でくつろいでい
た。
一時は消えかけていた希望の光が勢いを取り戻したばかりか、より一層の輝きを放ち始めたことで
二人の表情は見る者の心まで照らすような明るさを見せている。
ベッドに腰掛けて話す二人には、つい数時間前までの悲壮感は微塵もない。
今のアスカにはシンジが眩しく見える。その笑顔だけではない、内から溢れ出るような眩しさ。
かつてはアスカの憧れの存在である加持からしか感じなかった、感じると思えなかった眩しさ。
シンジへの唯一の不満だった頼りなさが−それもまた恋する者だけが感じる魅力の一つでもあるのだが−
消え、
アスカには不思議とシンジが大きく見える。
嬉しさと同時に、寂しさとも不安とも言えない小さな翳がアスカの心を漂う。
「あたしねぇ・・・、今日シンジに惚れ直しちゃった。」
「え、何で?」
「あたし好みの男になったからよ。」
アスカは照れ隠しに優位を装う。だが、薄紅色の頬は本心を隠せない。
シンジは前から喉の奥で蠢き続けていた言葉を吐きだそうとする。
だが、いざとなるとそれは外界へ出ることを固く拒む。
アスカの口から最も恐れる審判が下ることを、それによって自分が再び孤独の無間地獄に叩き落とされる
ことを
何よりもシンジの心が恐れている。
シンジの激しい葛藤を察したのか、アスカはシンジに更に身を寄せて来る。
栗色の髪がシンジの肩にかかり、煌きを蒔きながら背の方へと広がる。
「どうしたの?」
アスカの囁きが耳元を擽る。身を震わす甘く豊かな響き。
シンジの喉元でもがいていた言葉が、心の緩みを突いて飛び出す。
「僕は・・・加持さんみたいになれたかな?」
アスカは何も言わない。シンジの心に暗雲が広がる。
俯いたアスカが小さく首を横に振る。シンジの視界が闇に閉ざされていく。
「僕じゃ・・・駄目なんだね・・・。」
正面を向いたまま口だけが機械じみた動きで、震える声を洩らす。
アスカは俯いたまま、再び首を横に振る。
「だって・・・シンジはシンジでしょ?」
「?」
「シンジは加持さんにはなれない。でも、加持さんもシンジにはなれない。そうでしょ?」
「・・・うん。」
アスカはシンジに身を委ねる。シンジの胸に感じる重みが徐々に増していく。
「あたしね・・・シンジと加持さんを比べてたんだ。時々だけどね。いけないことだって分かってた。
だって、好きな人の欠点をあら捜しするようなもんだし。でも・・・比べてた。もっとシンジが
こうだったら、とかね・・・。」
「・・・。」
「嫌な女よね、あたし。シンジにはあたしと他の女を比較するなって言っておきながら、自分はシンジを
他の男の人と比較してたんだから。シンジが怒っても当然だと思う。」
「・・・。」
「あたし、今日はっきり分かったの。シンジはシンジしかいないんだ、って。だから・・・惚れ直したの。
あ、そうだ。さっきの言葉、訂正させて。『あたし好みの男になったから』じゃなくって、その・・・。
」
シンジの胸でアスカの指が細かく動く。言葉を捜す時間を持て余すように。
「こう言えばいいのかな・・・?『シンジの新しい魅力を見つけたから』?うーん、もっとこう・・・
『シンジがカッコ良かったから』・・・そうなんだけど・・・、何て言ったらいいのかな・・・?」
「いいよ・・・もう十分だよ・・・。ありがとう、アスカ・・・。」
シンジの両腕がアスカを抱き締める。優しく、そして強く。
アスカの口からあっ、と小さな悲鳴−歓声と言うべきか−が洩れる。
頬を通して伝わるシンジの鼓動と、柔らかい日差しの中を浮遊するような心地良さが、
アスカの瞼の重みを増していく。
シンジの閉じた瞼から涙が零れ落ちる。身体の震えも声もない、静かな鳴咽。
孤独に喘ぎ、愛を求める悲哀の慟哭ではない、幸福と充実が呼んだ感涙。
夜の街の喧騒が微かなノイズとなって部屋に溶け込み、部屋の静寂を引き立てる。
互いの存在を再確認しあった二人は、ただ無言で抱き合い続ける。
言葉は必要ない。互いの温もりと抱き締められる心地良い圧迫感があれば、それで良い・・・。
リツコは自室のコンピュータの前に座り、キーボードを夢中で叩いていた。
綿密なハッキング計画のシミュレーションを実行するべく、予想される条件を次々と入力していく。
セキュリティ発動の条件、種類、発動までの遅延時間、リスト検索に要する時間、検索の条件・・・。
ハッキングを組織ぐるみでやっていたことが発覚すれば、Nervに対する非難と粛正は免れない。
そうなれば、多くの職員が路頭に迷うことは勿論、シンジやアスカの立場も危うくなる。
それだけは何としても避けたいというリツコの思いが、キーボードを叩く指の動きをさらに早める。
通常の業務が完全に滞っているだけに、MAGIの使用は必要最小限の時間に留めなければならない。
全ての条件に最悪値を考慮しつつ、尚且つ最短時間の使用に抑えるという相反する要求を満たさねばなら
ない。
要求が厳しいほど意欲が湧くのは、リツコの科学者たる所以か。
「リツコ。計画はどう?」
不意に背後のドアが開き、ミサトがピザとサンドイッチの包みを持って入って来る。
リツコは目まぐるしくキーボードに指を駆け回らせ、ディスプレイを見詰めたまま答える。
「今、シミュレーションの準備中。もう少しで条件の入力が終わるから。」
「一段落ついたら、一緒に夜食食べましょ。」
「ええ。そうさせてもらうわ。」
リツコはさらに指の動きを早め、残された条件の入力を進めていく。
最後の条件の入力を終えると、リツコは一度大きく溜め息を吐いて椅子ごと向きを変える。
既にミサトはリツコ愛用の猫模様のマグカップと、自分のカップ−リツコの部屋に常駐している−に
絶やされることのないコーヒーを注いでいる。
「準備がいいわね。」
「まあね。」
ミサトが差し出した自分のマグカップを、リツコは受け取って少し口を付ける。
近くにあった椅子をテーブル代わりにして、つかの間の休息を取る。
「いいの?ミサト。まかりなりにも貴方はこの作戦の最高責任者でしょ?」
「いいって何が?」
「責任者はおいそれと席を外すものじゃないわ。」
「座ってるだけってのは私の性に合わないの。」
「・・・そういうことにしておくわ。」
リツコはピザを一切れ手にとって口に運ぶ。
余程腹が減っていたのか、ミサトはピザとサンドイッチを幾つも口に詰め込んでいる。
「ふぉ、ふぉれでふぁ、へいかくはふぉんなふうに・・・。」
「ミサト。口にもの入れたまま喋っても分からないわよ。」
「ん・・・っと。それでさぁ、計画はどんな風に進めるつもりなの?」
「そうね・・・。大雑把に言うと、あるサーバ−Aに侵入したらリストを検索しつつ、別のサーバーBへの
侵入を準備して、さらに別のサーバーCに侵入してそこを拠点にサーバーBに侵入してリスト検索。
この繰り返しってとこね。」
「うーん、随分ややっこしいわね。」
「同一拠点からのアクセスだと探知され易いから、安全を考えるとこの方法が最有力よ。」
リツコはちらりとシミュレーション中のディスプレイに目をやる。
仮想サーバーからのダミーリストの抽出結果と、サーバーを「渡り歩く」様子がつぶさに表示されている。
「でも、シミュレーションなら発令所の端末からでも出来るでしょ?何でここで・・・?」
「こういう時は自分の部屋の方が落着くから。それに発令所の端末は、マヤ達が目標サーバーの検索と、
これより前に実行したシミュレーション結果に従ってリハーサルをやってるし。」
「成る程・・・。」
何度も頷きながら口を忙しなく動かすミサトは、リツコの表情の異変に気付く。
務めて平静を装う表情の内側で、重苦しい色が微かに姿を表している。
「どうしたの?リツコ。何か悩み事?」
「・・・ちょっと・・・さっきのMAGIの採決でね・・・。」
「何で?MAGIはリツコの勧告で可決したじゃない。悩む事なんてないでしょ?」
不思議がるミサトとは対照的に、リツコはさらに重苦しい色を濃くしてもう一度溜め息を吐く。
眉間をやや狭めてコーヒーを一口すすると、リツコは口を開く。
「確かにMAGIは私の勧告で可決に傾いたわ・・・。でも、カスパーだけは反対を崩さなかった・・・。
」
「ああ、そう言えば・・・。カスパーって確か、リツコのお母さんの「女」の人格が移植されてるんだっけ。
」
「そうよ・・・。独立した人格だから反対に徹しても別に不思議じゃない。でも、私が出した勧告に対する
反応をこの端末から見て、驚いたわ・・・。」
「驚いたって・・・どんな反応だったの?」
ミサトは思わず身を乗り出す。
リツコはもう一度コーヒーを一口すすってから、驚愕の理由を語り始める。
「『精子バンクの機密保持は当然の事であって、父親探しという極めて個人的な理由で違法行為を
行う事に賛成の余地はない』だって・・・。」
「・・・カスパーはシンジ君やアスカの願いより、精子バンクの保護を優先したって事?」
「そうね・・・。私はカスパーがそこまで精子バンクの立場を優先する根拠が知りたくて、カスパーに
問い質したわ。何て答えたと思う?『精子バンクは女性が主体となって優秀な子孫を残す観点からも、
婚姻制度や家族といった、男性中心の観念からの解放を目指す観点からも、極めて理想的な施設である』
ですって・・・。」
ミサトは言葉を失う。
リツコは両手でマグカップを持ち、視線を床に落とす。
「・・・実は私もね、父親の顔を知らないのよ。」
「え?!」
「物心着く前に死んだって聞かされてた。でも、私がNervに着任する際に提出する書類を作るために、
役所にアクセスして初めて知ったのよ・・・。父親の欄が空白だってことにね・・・。」
「じゃあ、貴方も精子バンクが父親なの?」
「私ももしかしたらって思って母さんに問い質したわ・・・。そしたら母さんはこう言った・・・。
『私が欲しかったのは子どもの貴方だけ。父親なんて誰でもいいでしょ。』ってね・・・。」
金色の髪で隠れたリツコの表情はミサトからは窺い知れない。
だが、細かく震える身体、挙げられることのない視線が、十分すぎる程にリツコの感情を物語っている。
「笑わせる話よね・・・。自分が子どもを抱きたいから産んだなんて・・・。父親と母親があって
子どもが生まれる、子どもには両親の愛情が必要って社会や国で教育しておきながら、実際には母親さえ
いれば
いいって言うんだから・・・。」
「・・・。」
「私が女として母さんを憎むようになったのはそれからよ・・・。」
ミサトには父親が居た。
研究一筋で家庭を顧みなかった。 私やお母さんはどうでもいいの?
母親は泣いてばかりだった。 お母さんが泣いてるのに!
母親と別れた時、父親はショックだった。 自業自得じゃない。
自分を助ける代わりに南極の光に消えた。 お父さん・・・。
父親との思い出と呼べるものは余りにも少ない。だが、父親が居たという思い出はミサトの心の内にあ
る。
リツコにはそれすらない。母親は父親の存在を、リツコが抱く筈だった父親の思い出を切り捨てたのだ。
身の上など語ったことのない、決して口数が多い方ではないリツコ。
『鉄の女』『冷血科学者』のレッテルを享受する羽目になった、殆ど変わることのない表情の裏で、
言いようのない悲しみと憎しみを湛えていたのだ。
「私がMAGIに勧告を出したのは、そのことも絡んでるんでしょうね・・・論理的思考に徹し切れない私
は、
科学者としては失格かもしれない。でも・・・。」
「いいのよリツコ。」
ミサトが笑みを浮かべてリツコに語り掛ける。
「貴方言ったじゃない。『建前や仰々しい理想の下で動くのはもう御免だ』って。貴方はお母さんとは
違う道を歩き始めたのよ。」
「・・・そうね・・・。」
ようやくリツコが顔を上げる。詰まっていた思いを吐き出してさっぱりした顔だ。
もう一度溜め息を吐いたリツコは、サンドイッチを手にとって口に運ぶ。
何度も口を動かし、味そのものを噛み締める。
「夜食は仕事柄よく食べるけど、今日のは何だか・・・格別ね。」
「食事の味って気分次第のところが多いからね。」
「でも、貴方の料理だけは違うでしょうね。」
「ど、どういう意味よ。」
「言った通りの意味よ。」
ミサトとリツコは顔を近付けて見詰め合い、どっと笑う。
リツコにとって久しぶりの心からの笑いが、雑然としたリツコの部屋を駆け巡る。
リツコの背後のディスプレイが、ピッと短い電子音と共にメッセージを表示する。
「Summary:No Warning No Error.Simulation has succeeded.
(結果:警告なし エラーなし。シミュレーションは成功しました)」
時計の針が夜明けの前触れを告げる頃、Nervの面々が発令所に続々と集結する。
最善のシミュレーション結果を出した計画が冬月の審査をパスして、いよいよ実行段階に入る。
マヤは部下のオペレータと共にMAGIの準備を整えると同時に、操作の最終チェックを念入りに行う。
MAGIを秒単位で操作してサーバーを渡り歩きながらハッキングする綱渡り操作だけに、
マヤにも緊張の色が漂う。
冬月は「指定席」に再び着席し、ホログラフィーに映る大和二佐と向かい合う。
ミサトも「指定席」である冬月の横に着席する。分厚いファイルを広げたリツコはマヤの横に立つ。
「葛城一佐。こちらのMAGI端末の準備も完了しました。」
「ミサト。こっちも準備完了よ。」
大和二佐とリツコの報告を受け、ミサトは頷いて発令室全体に響く声を発する。
「作戦開始!MAGI操作開始!」
「サーバーA、人類保存協会へ接続を開始します。」
「サーバーB、新人類育成会議への侵入経路を確保しました。」
「サーバーAへのセキュリティ・フリーザーの注入を開始します。」
ホログラフィーが2分割され、片方にMAGIとドイツ支部の端末、そして対象の精子バンクのサーバーが
描かれたブロック図が表示される。
「MAGI」と「Server A」と表示された四角形が赤い線で、「MAGI
Branch(支部)」と「Server B」が
緑の線で接続され、「MAGI」から白い線が「Server
A」に向って繋がっていく。
「セキュリティ・フリーザー注入完了。発動10秒前。」
「サーバーAへの接続準備完了。」
「5秒前。4、3、2、1、発動!」
オペレータの声と同時に「Server A」の四角形が白くなる。
リツコが不法アクセス撃退支援用にと開発したコンピュータ・ウイルスの一種である、セキュリティ・フリ
ーザー。
一切のセキュリティが動作しなくなるという優れものだが、連続使用が出来ず、効果持続時間が僅か60秒
間と
制限が多いが、この作戦遂行のために急遽用意された試作品である。
60秒間のフリーズ時間でマヤが一気にリストを検索し、「惣流キョウコ」に関係する全ての項目を抽出する
と
いう、まさに時間との勝負である。
「サーバーC、女性支援研究所への侵入経路を確保しました。」
「サーバーAのIDコードとパスワード通過成功。検索作業開始願います。」
「マヤ、しっかりね。」
マヤが懸命にキーボードを叩く。検索作業はリツコ直伝の技を体得したマヤが単独で行う。
ディスプレイに「Searching」の文字が表示されると同時に、膨大なリストがスクロールを始める。
「サーバーAの解凍30秒前。サーバーCへのセキュリティ・フリーザーの注入を開始します。」
「サーバーBへのセキュリティ・フリーザーの注入を開始します。」
「大和二佐。格納用サーバーの準備を始めて。」
「承知しました。」
「サーバーAの解凍10秒前。」
「マヤ!」
「サーバーB及びCへのセキュリティ・フリーザー注入完了。発動10秒前。」
「葛城二佐。サーバーBへの侵入経路切替え準備完了です。格納用サーバーも準備完了しました。」
「解凍5秒前!」
「検索完了!リストを転送します!」
「検索リストをドイツ支部サーバーへ転送します。」
「発動(解凍)5秒前。4、3、2、1、発動(解凍)!」
「侵入経路切替え成功。サーバーCのIDコードとパスワード通過成功。検索作業開始願います。」
「Server A」が緑の枠だけになり、代わって「Server
B」「Server C」が白くなる。
MAGIと「Server A」とを繋いでいた赤い線が消え、代わって白くなった「Server
C」が「MAGI Branch」に代わ り、
「Server C」と赤い線で繋がる。
マヤのキーボードを叩く手がさらに加速する。時間の余裕は殆どない。一瞬の気の緩みも許されない。
リツコはマヤの動きに連動するようにファイルを捲り、シミュレーション結果と逐次比較していく。
万が一失敗した場合には速やかに退避行動を取るように指示しなければならない。
それが失敗した時、それは即ちNervの危機を意味する。
ディスプレイで再び始まったスクロールを凝視しながら、マヤは素早くキーボードを叩く。
司令席で見守る冬月とミサトも、緊張の色を濃くしていく。
「サーバーB及びCの解凍30秒前。」
「サーバーD、新社会創造協議会への侵入経路を確保しました。」
「サーバーE、人類進化推進財団への侵入経路を確保しました。」
「サーバーD及びEへのセキュリティ・フリーザーの注入を開始します。」
「侵入経路切替え準備完了。」
「サーバーD及びEへのセキュリティ・フリーザーの注入完了。発動10秒前。」
「検索完了!リストを転送します!」
「検索リストをドイツ支部サーバーへ転送します。」
「解凍(発動)5秒前。4、3、2、1、解凍(発動)!」
「侵入経路切替え成功。サーバーEのIDコードとパスワード通過成功。検索作業開始願います。」
「Server B」「Server C」が緑の枠だけになり、代わって「Server
D」「Server E」が白くなる。
「MAGI Branch」の表示が「Server C」に戻り、「Server
B」とを繋いでいた赤い線が消える。
「Server D」が「MAGI」に代わり、「Server E」と赤い線で繋がる。
傍目には残像しか見えないディスプレイのスクロールを、マヤは懸命に捉えながらキーボードを叩き続
ける。
リツコの緊張の色は濃い。シミュレーションより検索終了までの時間が数秒遅い。
以降の作業に重大な影響を及ぼす危険性は高いだけに、数秒といえども遅れは重い。
現実がシミュレーション通りに行かないことは承知しているつもりでも、今回ばかりは失敗は許されない
。
それは実際に作業を担当するマヤが一番良く知っている。
「サーバーD及びEの解凍30秒前。」
「サーバーA及びBへの侵入経路を確保しました。」
「サーバーA及びBへのセキュリティ・フリーザーの注入を開始します。」
「侵入経路切替え準備完了。」
「サーバーA及びBへのセキュリティ・フリーザーの注入完了。発動10秒前。」
マヤの表情に焦りの色が滲む。検索が思うように進まないのだ。
危険を察したリツコは横のオペレータに指示する。
「検索結果の強制抽出準備!」
「は、はい!」
「解凍(発動)5秒前!4、3・・・」
「検索完了!」
「検索結果を強制抽出!」
「2、1、解凍(発動)!」
「侵入経路切替え成功。サーバーBのIDコードとパスワード通過成功。検索作業開始願います。」
動揺しかけたマヤは、気を取り直して再び膨大な量のリストに挑む。
リツコは冷や汗が頬を伝うのを感じる。ミサトも固唾を呑んでマヤを見守る。
「Server D」「Server E」が緑の枠だけになり、代わって「Server
A」「Server B」が白くなる。
「MAGI」の表示が「Server D」に戻り、「Server E」とを繋いでいた赤い線が消える。
「Server A」が「MAGI Branch」に代わり、「Server B」と赤い線で繋がる。
検索が遅れていること以外は順調に進んでいる。だが、それだけにリツコは悪い予感を拭い切れない。
厳しい条件の下では失敗を前提としなければならない科学者の性が招いた杞憂であることを期待するしか
ない。
「サーバーA及びBの解凍30秒前。」
「サーバーD及びEへの侵入経路を確保しました。」
「サーバーD及びEへのセキュリティ・フリーザーの注入を開始します。」
「侵入経路切替え準備完了。」
「サーバーD及びEへのセキュリティ・フリーザーの注入完了。発動10秒前。」
マヤの眉間に深い皺が刻まれる。思うように進まない検索と自分の至らなさに対する苛立ちが唇を歪め
る。
リツコは早まる呼吸を懸命に抑えながら、マヤを見守る。今はマヤを信じて、見守るしかないのだ。
「検索完了!リストを転送します!」
「検索結果をドイツ支部サーバーへ転送します。」
「発動(解凍)5秒前。4、3、2、1、発動(解凍)!」
「侵入経路切替え成功。サーバーDのIDコードとパスワード通過成功。検索作業開始願います。」
数秒しかない「休息」時間は瞬く間に過ぎ、再びマヤはキーボードを叩く。
手首から先の感覚が薄れて来る。骨の心から響くような重い痛みも感じる。
だが、手を休めるわけにはいかない。敬愛するリツコから任された大役を全うしたいという気力だけが、
マヤをキーボードに向かわせている。
ホログラフィーの向こうが急に慌ただしくなる。
部下の報告を受けているのか横を向いた大和タケシの顔に、驚きと不安が交錯する。
ミサトは只ならぬ事態を察する。
「大和二佐!どうしたの?!」
「葛城一佐!サーバーCへの接続が出来ません!」
「な、何ですって?!」
「サーバーが解凍直後から攻撃準備をして待機しています!接続した瞬間に端末を破壊される危険性があり
ます!」
「・・・記憶されてたみたいね。」
リツコが苦い顔をする。悪い予感が当たってしまった。
不法侵入されると、以降の接続を見境なく攻撃対象とみなす過激なセキュリティが発動したようだ。
唇を横に固く結んだミサトが、徐に唇の封印を解く。
「大和二佐。こっちのMAGIの「Danger」サーバーに接続して、「N2B」っていうプログラムをダウンロード
して。」
「何をされるおつもりですか?」
「相手が攻撃準備をしているなら強行突破あるのみ。セキュリティを破壊するのよ。」
「か、葛城二佐?!」
「早く!この計画の最高責任者は私よ!それとも命令無視の規則違反をするつもり?」
口調こそ厳しいが、ミサトの表情は場違いなほどに明るい。
一瞬怪訝に思った大和タケシも、ミサトの表情の真意を感じて口元に笑みが浮かぶ。
「・・・命令無視はしないのが私の信条です。」
「じゃあ、お願いね。」
「承知しました。」
大和タケシは後ろの職員に指示を出す。
「サーバーA及びBの解凍30秒前。」
「N2Bのダウンロード完了しました。サーバーCへ投下します。」
「侵入経路切替え準備完了。」
「まだなの?」
「大和二佐!」
「サーバーCのセキュリティ破壊しました!」
「念のためにセキュリティ・フリーザーを注入して!」
「サーバーCへのセキュリティ・フリーザーの注入を開始します。」
「・・・ぎりぎり間に合ったわね・・・。」
リツコは残り僅かになったファイルのシミュレーション結果と比較しながら呟く。
「サーバーCへのセキュリティ・フリーザーの注入完了。発動10秒前!」
「検索完了!リストを転送します!」
「検索結果をドイツ支部サーバーへ転送します。」
「解凍5秒前。4、3、2、1、解凍!」
「Server D」「Server E」が緑の枠だけになり、代わって「Server
C」が白くなる。
「MAGI」の表示が「Server E」に戻り、「Server D」とを繋いでいた赤い線が消える。
MAGIと「Server C」が赤い線で繋がる。
いよいよ最後の作業。マヤは最後の気力を振り絞ってキーボードを叩く。
スクロールするリストの内容が、これまでのものより項目が多い。
過激なセキュリティを装備していたのも頷ける。
「解凍30秒前。」
「あと少しよ。頑張って、マヤ。」
リツコの激励に、マヤは一度だけ小さく頷いて応える。
「MAGIと各支部の端末との接続準備完了。」
「サーバーCとの接続遮断準備完了。」
「解凍10秒前。9、8、7、6、・・・。」
「検索完了!リストを転送します!」
「検索結果をドイツ支部サーバーに転送します。」
「3、2、1、解凍!」
「サーバーCとの接続遮断。各支部の端末と接続成功。」
「MAGI、通常業務へ移行しました。」
発令所の面々、そしてホログラフィーの大和タケシが大きく深い溜め息を吐く。
冬月は椅子の背凭れに勢い良く凭れ掛かる。見守っていた冬月もやはり相当緊張していたようだ。
「やれやれ・・・。寿命が10年は縮まったような気がするよ。」
「司令。縁起でもないことおっしゃらないで下さい。」
「少々アクシデントはあったが、無事に終わったな。諸君、それに大和二佐。よくやってくれた。」
「ありがとうございます。大役を無事果たせてほっとしました。」
「大和二佐。そっちの端末に障害はなかった?」
「投与の際の接続で、ファイルの13%に欠損が生じましたが、十分に復旧可能なレベルです。」
「そう。良かったわ。サーバーEの検索結果は後で送るから。」
「承知しました。では、一旦接続を終了します。」
冬月とミサトに一礼した後、大和タケシの姿はホログラフィーと共に消える。
マヤは目まぐるしくキーボードを駆け回った手をだらりと垂らし、ぐったりと俯いている。
任務が終了したことで、緊張感で押え込まれていた疲労が一気に全身と意識を襲ったのだろう。
リツコが肩を軽く叩いて呼びかけても全く反応はない。
「赤木博士。どうしたのかね?」
「伊吹一尉が・・・。」
「それはいかん。速やかに医務室へ運んであげなさい。」
リツコはファイルを閉じると、別のオペレーターに医療班を呼ぶように指示する。
間もなく担架と点滴を持った医療班が発令所に到着する。
担架に静かに乗せられ、点滴を付けられるマヤを見守るリツコの瞳に、深い罪悪感が漂う。
ミサトが何か思い付いたのか、あの悪戯っぽい笑みを浮かべてリツコに呼びかける。
「リツコ。ついていってあげなさいよ。」
「ミサト・・・。」
「部下の面倒を見るのは上司の務め。でしょ?」
「・・・貴方の口からそんな大層な台詞が出て来るとはね・・・。」
精一杯の皮肉を返すリツコだが、ミサトを見るその瞳は感謝の意を語っている。
いよいよ運び出されるという時になって、リツコは医療班に何やら言付けると、マヤの様子を遠くから
不安げに見詰めていた「彼」の元に駆け寄る。
「彼」は戸惑う様子を見せたが、リツコが小さく頷き目で合図すると、意を決して席を立つ。
マヤは敬愛する上司と、遠くから熱い眼差しを送り続ける彼−青葉シゲル−に付き添われて、
担架で運び出されていく。
「なかなか気が利くな。君にしろ、赤木博士にしろ。」
「上官としては当然のことですよ、司令。」
「ほう・・・。私は君と加持君のことが非常に気がかりなのだが?」
「・・・司令・・・。」
ミサトはほんのり紅く染めた頬を膨らませ、恨めしそうに冬月を見る。冬月は声を忍ばせて笑う。
まだまだ司令には敵わないわ、とミサトは思う。
戦いを終えた戦士達の居城に、静かに朝が訪れる・・・。
to be continued
筆者後書き
マヤと同様、疲労困憊真っ只中のMoonstoneです(-o-;)。今回はリツコのウェイトが高いです。
やっぱりMAGIあるところにリツコあり(^^;)でしょう。本編でMAGIに使徒が侵入した時もそうでしたし。
リツコあるところにマヤあり(^^;)ということで、マヤにも頑張ってもらいました。
その分、「主役」の二人がちょっと霞んじゃいましたね・・・。ま、甘いひとときを過ごすでしょう(^^;)。
いよいよ次回、アスカの父親が判明します。アスカの父親とはどんな人物なのか?初めての父と娘の対
面は
どうなるのか?御期待下さい。・・・次こそ更新延期は避けたい・・・(_
_;)。
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