written by Moonstone
やっぱり・・・アスカに教えるべきじゃなかったな・・・。あの父親のことなんか・・・。
シンジ君の首に残るあの痣・・・。何かあった証拠だ。聞かなくても分かる。
こうなることが分かっていながら、俺はアスカの願いに機械的に対応しただけ・・・。最低だな。
安請け合いはするもんじゃないな・・・。こんな思いをしなきゃ分からんとは、我ながら情けない・・・
。
任務遂行がこれほど辛く感じたことはない・・・。いや、こんなに精神的に辛いと思ったのは初めてだ・
・・。
やはり、あの事実は伝えるべきではなかった・・・。シンジ君の首の痣・・・。あれは間違いなく手形だ
。
アスカ嬢はあまりの衝撃に錯乱したんだろう・・・。殺人事件にならなかったのがせめてもの幸いだが・
・・。
真実を伝えることが必ずしも人を幸せにする訳ではない・・・。情報部長ともあろう私にあるまじき失態
だ・・・。
アスカは泣いてたな・・・。僕の首を絞めながら・・・。あの時のアスカの目には、殺意なんてなかった
・・・。
僕にははっきり分かった・・・。アスカはどうして良いか分からなかったんだ。誰かに助けて欲しかった
んだ・・・。
あの時・・・確かに苦しかったけど、アスカに殺されるなら・・・それでも良かった・・・。
それでアスカが少しでも救われるなら・・・僕も本望だから・・・。
シンジは首を絞めているあたしの涙を拭ってくれた・・・。あたしに殺されても良いって言ってくれた・
・・。
あんな酷いことをしたあたしを・・・シンジは許してくれた。どうして、そんなに優しいの?シンジ・・
・。
いつだってシンジはそうだった・・・。口汚なく罵るあたしを許してくれた。あたしだったら絶対出来な
い・・・。
シンジが居なかったら・・・あたしはどうなってるんだろう・・・。考えるだけでも怖い・・・。
Episode:5 選ばれし者、弄ぶ者
Do you tell me to recognize as her Daddy
in spite of not remembering being Daddy?
黒塗りのベンツがベルリンの街を駆け抜けていく。
昼下がりの歴史ある街では、人々は安らぎのひとときを楽しんでいる。
食堂や喫茶店で食事を口に運ぶ者、友人や恋人と語らう者、読書や昼寝で一人過ごす者。
絶え間なく移り変わる景色は、遮光用のスクリーンが張られた車の窓の内側からは別世界のようにすら思える。
前を走るベンツには助手席に大和タケシ、後部座席にシンジとアスカが座り、後ろのベンツには助手席に加持、
後部座席に情報部職員と医師が座っている。
シンジとアスカが滞在するホテルを出てから誰も口を開いていない車内には、重苦しい空気が立ち込めている。
大和タケシはバックミラー越しに後ろの二人を見る。
正面に視線を固定して唇を真一文字に結んだシンジと、一度も顔を上げないアスカの手は、アスカの膝の上で固く結ばれている。
崩壊しそうな自分を繋ぎ止めているかのような、切なくて痛々しい光景。
大和タケシは報告の翌朝、シンジから予定通りアスカの「父親」と面会したいという申し出を受け取った時、正直まさか、と思った。
「父親」−ベルベット・フォン・ストリントベルグ−の顔は大和タケシのみならず、ドイツ支部の職員は大抵知っている。
所在地検索の結果現れた顔写真を見た時、誰もが一様に驚愕した。
6年前に逮捕された、ドイツ中を恐怖のどん底に叩き落とした連続殺人事件の容疑者。
事件の凶悪性をマスコミを通して嫌というほど脳裏に焼き付けられているだけに、
顔写真を見て我が目を疑った職員も決して少なくない。
会いたいと思っている人間が凶悪犯と知ったら、どう思うだろう。
それが仮にも顔も見たことのない自分の親だったら、どんな気持ちになるだろう。
考えれば考えるほど、アスカが「父親」に会いたいと言っているというシンジの説明を俄かには信じられなかった。
いや、今でもまだ、何かの間違いではないかとすら思っている。
大和タケシは、ミサトからアスカについてある程度知らされている。
英才教育を受けてエヴァのエースパイロットに選ばれて日本に渡る。
第14使徒との戦いで精神汚染され、エヴァ搭乗の資格を剥奪される。
長期のリハビリによってようやく社会復帰したものの、精神状態は著しく不安定。
まかりなりにもNervの一職員として従事してきた大和タケシには、その過酷さもそれなりに想像できる。
自分というものすら掴みきれていない14歳の少年少女が、何時果てるとも知れない死と隣り合わせの日々に放り込まれた事実。
一握りの老人達の妄想ともいえる思い上がりの最大の犠牲者は、他ならぬエヴァのパイロット達だ。
戦いの後遺症でぼろぼろになった心を霧散させるかもしれない行動は、本来止めるべきだろう。
しかし、全面協力を指示されている対象であるアスカが選択した以上、大和タケシはそれを受け入れるしかない。
言いようのないもどかしさと罪悪感が、絶えず大和タケシの心を締め付ける。
葬列のような空気に包まれた車は、ベルリンの中心部を抜けて南へ走る。
隙間なく詰め込まれた建物が目に見えてその数を減らし、のどかな田園風景が広がる。
狭くなった道幅も、行き交う車の数が減ったお陰で不便を感じさせない。
田園風景は徐々に、緩やかな傾斜を帯びた林へと変わっていく。
燦燦と頭上から照り付けていた日差しも、林の隙間から時折垣間見える程度になってきた。
蛇行する細い道は、傾斜の頂点へ向っているようだ。
緑色のグラデーションと白色光が支配する空間の前方が開けてきた。
林のトンネルの出口が次第に大きくなって来る。
車が林を抜けると、前方に聳える巨大な壁が一行の視界に飛び込んで来た。
灰色一色に塗り潰された壁の上側には、有刺鉄線がびっしりと張り巡らされている。
そして正面には
、自動小銃を構えた警備員らしい人影が数名と、如何にも頑丈そうな鉄の巨大な扉が一行を見据えている
。
「暫くお待ち下さい。」
久しぶりに口を開いた大和タケシは車を降り、警備員に歩み寄る。
大和タケシが書類と身分証明書を警備員に提示すると、警備員は表情を変えずに頷き、
鉄扉の脇にある、電話ボックスを数台連ねた程度の広さの監視部屋らしいところに入り、何やら操作する
。
猛獣が唸るような低い音と共に、鉄扉がゆっくりと開き始める。
大和タケシが車に戻ってきて、運転手に目で合図する。
車はゆっくりと壁の向こうに吸い込まれていく。
2台のベンツが壁の向こうに入ると、開く時の数倍の速さで鉄扉が閉まり始める。
心身を揺さぶるような轟音が、背後から一行を突き飛ばす。
南ベルリン特別刑務所。
一行が訪れた場所は、前科二桁以上の常習犯や連続殺人などで終身刑を受けた囚人が収容される専門の刑務所であり、そしてアスカの「父親」であるベルベットが服役している場所でもある。
白のシャツと紺のジーンズという服装が囚人の「制服」であり、その集団には必ず自動小銃で武装した刑務官が数名存在する。
駐車場で車から降りた一行は、出迎えた職員−やはり自動小銃は携帯している−の先導で、建物の中に入る。
シンジとアスカが初めて足を踏み入れる、囚人だけの世界。
広大な作業場らしい、工作機械や道具が散乱する机が置かれた空間の上に架けられた橋の上を歩いていく
。
一行に気付いた囚人がじろりと睨み付ける。中には囃し立てる者も居る。
男ばかりの閉鎖空間で久しぶりに目にする「女」であるアスカに対してのものだろう。
アスカはしかし
、応戦するどころか脅えた様子でシンジの背後に隠れる。
シンジはアスカを壁側に寄せ、囚人の視線や声から庇うように腕を横に広げる。
囃し立てる声が喧騒を通りこし、騒乱と言えるほどの嵐となって空間にこだまする。
「失礼。耳を 塞いで下さい。」
先導する刑務官が一行に指示する。
一行が耳を塞いだのを確認すると、刑務官が自動小銃を天井に向けて乱射する。
囚人の声を上回る轟音が収まると、あの囃し立てる声が消え去り、囚人達は逆に脅えるようにそれぞれの持ち場に戻っていく。
「では、参りましょう。」
刑務官は再び一行を先導して建物の奥へと案内する。
支配と従属の関係が明確に存在する世界をシンジは見詰める。
こんな世界に放り込まれることが分かっていながら、彼らは罪を犯したのだろうか。
だとしたら、彼らを犯罪へと駆り立てたものは何なのだろうか。
シンジは、89件もの容疑でここに服役しているアスカの「父親」が、その手を罪の黒と血の赤で染めるに至った経緯を知りたいと思う気持ちが芽生えているのを感じた。
煌煌と輝く蛍光燈が無機質な雰囲気を醸し出す廊下を、一行は刑務官の先導で進んでいく。
鉄格子が嵌められた窓と食事などを差し入れる小さな扉があるだけのドアがずらりと並んでいる。
どうやらここは独房らしい。
人の気配こそ多少は感じるが、鉄格子の隙間から覗き見たりする者はいない。
気味悪いほどの静寂が重く立ち込める、明らかに壁の外側とは異質の雰囲気。
一行は誰も口を開くことなく、ただ刑務官の先導で更に奥へと進んでいく。
幾つかの扉を潜ると、一行は壁に接した長椅子が向かい合うだけの部屋に入った。
一行を先導して
いた刑務官が、ようやく自動小銃を下ろす。
「ここは待合室です。予約頂いた面会の方以外はこちらでお待ち頂くことになります。」
大和タケシはシンジとアスカに書類を差し出す。
「我々はここで待機しております。これは・・・今回我々が行った追跡調査の結果です。」
「どうしてこれを・・・?」
「お話の際、彼が事実を認めない場合、これを見せて下さい。かつては著名な科学者として名を馳せた彼なら、
ここに記載されている事が理解できる筈です。」
アスカが黙って書類を受け取る。
「じゃあアスカ。・・・お父さんに会っておいでよ。」
シンジが言うと、アスカはその手をぎゅっと掴む。
何が言いたいのか、シンジならずとも理解できる。
「アスカ。面会は一人と決まっている。」
加持が言っても、アスカは首を横に振り、シンジの手を握って離そうとしない。
アスカの心情を察したシンジは、刑務官に尋ねる。
「・・・僕も入ってよろしいですか?」
「椅子は一つしかありませんが。」
「お願いします。」
刑務官は、面会室へ通じるドアのカードロックを外し、さらに2つの錠前を外し、ドアを開ける。
「どうぞ。面会時間は1時間となっております。」
シンジはアスカを先に面会室へ入らせて、続いて自分も入る。
刑務官がカードロックを掛ける。カチャンと短い金属音が響く。
「よろしいのですか?刑務官。」
「我々の職務は囚人の監視です。」
「・・・ありがとうございます。」
「面会時間5分前になりましたら戻りますので、それまでこちらで待機願います。」
刑務官が小さく一礼して待合室を出て行く。
加持は溜め息を吐いて呟く。
「俺は・・・嫌な男だな。」
「加持・・・。」
「人の心が分からない・・・。葛城の言葉が身に染みるよ。」
大和タケシは小さく首を横に振る。
それはお前だけではない。ドイツ犯罪史上に残るとも言われる連続殺人鬼との対面が、父親との初めての対面。
こんな酷い舞台を用意した自分も同罪だ、と心の中で呟く。
後は・・・二人に・・・委ねるしかない。
後ろでドアに鍵がかかる音が微かに聞こえる。二人は「面会室」なる空間を見回す。
壁と天井はコンクリート一色で、床に正方形のタイルのような模様がある。
正面にはカウンターのようなテーブルに、天井や壁と隙間なく接する分厚いガラスが乗っている。
そして丁度腰掛けた時に双方の口が来る位置に、円形に細かい穴が空けられている。
パイプ椅子が一つ、面会者の訪れを待っているように置かれている。
分厚いガラスの向こうには、背もたれの部分だけが見える囚人が座るらしい椅子と、奥の壁にノブだけがある
灰色に塗りつぶされたドアがあるだけだ。
殺風景を絵に描いたような空間。そして塀の外と内を凝縮したような空間。
数cmの強化ガラス一枚で、「向こう側」との距離の大きさを感じてしまう。
シンジはアスカを椅子に座らせ、自分はその横に寄り添うように立つ。
程なく「向こう側」のドアが開き、刑務官二人に先導されて一人の男性が入ってくる。
アスカは膝の上に乗せていた手をぐっと握り締める。
男性は蛍光燈に照らされて鈍く輝く手錠を付けられたまま、椅子に座らされる。
ガラスを隔てて僅か10数cmの距離に、初めて顔を合わせる父と子が居る。
シンジは3年前、数年ぶりに父ゲンドウと対面した時のことを思い出す。
あの時、ゲンドウは高い位置からガラスを隔てて自分を見下ろしていた。
今のアスカとその「父親」は目線こそほぼ同じだが、脅えたような子と、他人のような親という図式は同じだ。
二人は改めてアスカの「父親」であるベルベットに注目する。
身形こそそれなりに整えてはいるが、白髪が斑模様を描く頭髪とこけた頬、そしてやけにぎらついた瞳には、
昨日の話で聞いたような、かつて若き天才科学者として名を馳せた面影は感じられない。
その瞳には生気が全くといって良いほど感じられない。ただ、底知れぬ憎悪と殺意−そう、まさに殺意−に満ちている。
アスカは何か言おうにも口が強張って動かない。口が動くことを拒否しているかのように。
「・・・刑務官が俺に面会というから誰かと思えば、ガキ二人か。」
先に口を開いたのはベルベットの方だった。いきなり流暢な日本語が飛び出す。
その低い声にも、聞く者の心を凍てつかせるような男の感情が満ち溢れている。
「何の用だ。俺は貴様らガキの知り合いなどいない。」
「・・・ここにいるアスカは、貴方の娘さんです。」
「・・・娘・・・だと?」
ベルベットはじろりとアスカを睨み付ける。その突き刺すような視線にアスカは思わず身を固くする。
その視線に父親の愛情は微塵もない。ただ、懐疑と殺意が入り乱れているだけだ。
「そうです。17年前、アスカの母親が提供を受けた精子の該当者が、貴方なんです。貴方はアスカの父親なんですよ。」
シンジがアスカを代弁する。「娘よ」と呼びかけることを、「パパ」と応えることを信じて。
だが、ベルベットはシンジの願いを他所に、アスカを相変わらず冷徹な視線で見据えるだけ。
アスカは上目遣いで体を小刻みに震わせ、唇をぎゅっと噛み締めながら「父親」を見る。
・・・ベルベットはフンと鼻で笑う。アスカを見る視線に侮蔑すら篭る。あまりにも残酷な仕打ちに等しい視線。
「父親になった覚えもないのに、父親だと認めろというのか?」
「・・・父親なんですよ、貴方は!」
「笑わせるな。そんなガキなど知らん。」
アスカの顔が見る見るうちに血の気を失っていく。内側から感じる極寒の感触に震えるように、両腕を抱えて蹲る。
シンジは膝ががくがくと震えるのを抑えられない。歯が細かく震え始める。
だが、「父親」だけは嫌みなほどに落ち着き払っている。完全に他人事としか思っていない。
「だけど・・・貴方は精子バンクに精子を提供したでしょう?」
「提供だと?何処でどうやって調べたか知らんが、提供などした覚えなどない。」
「でも調査結果では・・・。」
「騙し取られた覚えならあるがな。」
「?!」
シンジはベルベットの言葉が理解できない。騙し取られたとはどういうことなのか。
当惑しているのを知ってか、ベルベットは椅子に大きく凭れて嘲笑うような笑みを浮かべながら口を開く
。
「お前らのことは刑務官から多少聞いている。日本からやって来たNervとかいう機関の職員なんだとな
。」
「・・・はい。」
「成る程。上に頼んでアスカとかいうその小娘の父親を探させて、結果、俺に行き当たったということか。
」
「・・・そうです。」
「フフフハハハハ。お笑いだな。行きついた先が、かつての天才科学者が連続殺人鬼に転落したなれの果てとはな。」
「・・・!」
「ドイツ史上に残る凶悪犯。その精子をカタログ通販感覚で買った女から生まれた娘。まさにお笑い沙汰だな!ヒャハハハハ!」
地獄に落ちた罪人を責め立てる悪魔のような錯覚さえ覚えさせる、ベルベットの笑い。
シンジは力任せにテーブルを叩く。その大きな音に、蹲って震えていたアスカも思わず飛び起きる。
シンジの全身から怒りが吹出す。親を求める切ない気持ちを抱いてここまでやって来たアスカを踏み躙る「父親」への怒り。
だが、ベルベットは微動だにしない。ただ、せせら笑うだけ。
「何がおかしいんだ!」
「おかしいから笑っただけだ。「優秀」を求める愚かな女の欲望が具象化された、その小娘がな。」
「愚かだって・・・!」
「ククククク。この際だ。遠路遥々やって来た土産に話してやろう。」
「何をだよ。」
「俺が天才科学者の栄光を捨てて、歴史に残る凶悪犯になった経緯だ。」
シンジはひとまず怒りの矛先を引っ込めて、ベルベットの口から語られる「何故」を聞く事にした。
何故かつての天才科学者が連続殺人鬼へと豹変したのか、シンジが知りたいと思う気持ちは確かに存在する。
ベルベットは椅子に深く凭れた尊大な姿勢と嘲笑の笑みを保ちながら、語り始める。
「あれは俺が 25歳の時だったな。ベルリン理工学総合研究所の主席研究員に史上最年少で就任して、
絶頂へと上り詰めようとしていた頃だ。ある日、俺の研究室に数人の女が訪ねて来た。」
「精子バンクの関係者だったんですか?」
「そうだ。もっともその時は奴等、女性支援団体としか言わなかったがな。奴等は『夫の生殖能力の不足で
子どもが欲しくても出来ない夫婦が居るから、精子を提供して欲しい』と持ち掛けて来た。」
「・・・それで?」
「俺は生物工学を研究していたから奴等の言っていることは理解できた。それに当時の俺は、社会に貢献してこそ真の科学者だという、せせこましい理想を持っていたからな。素直に応じたさ。勿論ボランティアでな。
」
「じゃあ、貴方は精子を提供したんじゃないですか?」
「話は最後まで聞け。俺は暫くして、その夫婦に会って子どもの顔が見たいと思った。俺は独身だったし、
自分の提供した精子で夫婦の願いが叶ったのをこの目で確認したくてな。奴等が置いて言った連絡先に
電話した。すると奴等・・・。」
ベルベットの瞳に篭った殺意と憎悪が俄かに膨らみ始める。口元が歪み、眉間に深い皺が刻まれる。
シンジは息を飲みながら尋ねる。ベルベットの殺意と憎悪の波動の直撃を受けながら。
「・・・何て言ったんですか?」
「奴等、『精子の提供を受けた方についてはお答えできません』などとぬかしやがった。」
シンジはMAGIの検索結果を元に、精子バンクへ出向いた時のことを思い出す。
何処も共通していた台詞が、「精子の提供を受けた方についてはお答えできません」という、
まさにベルベットが語った言葉だった。
「俺は不妊症治療の結果を確認したい、父親に相当する提供者の頼みだと言った。だが、奴等はこうも言った!
『不妊症治療は活動の一つです。優秀な精子を数多く登録し、女性の要望に応えるのが我々の使命です』
『精子バンクにとっては、男性は精子供給以上の役目を追う必要はありません。父親は必要とされないのです。』とな!奴等は、本音を吐いた!自分の精子バンクに登録する優秀な精子とやらを得るために、俺を騙したんだよ
!
不妊症治療などと奇麗事をほざいてな!」
ベルベットの瞳に宿る憎悪と殺意がさらに強まる。
周囲が何一つ見えない、何一つ聞こえない、ただ目の前の相手を殺そうとする意志だけが
全身を支配している、殺人者の心理そのものが浮き彫りになる。
「それで・・・どうしたんですか?」
「当然裁判所や弁護士に駆け込んださ。だが、奴等の答えは全部『否』だった。個人情報の保護は絶対だと
!
情報開示を求めても不可能だと!奴等も精子バンクの肩を持ったのさ!」
「そ、それは肩を持ったんじゃなくて、法律に基づいた判断じゃ・・・。」
「じゃあ、不妊症治療のためと精子を騙し取った奴等はどうだ?何一つ裁かれてやしない!騙し取られたことを訴えても、奴等は耳を貸さなかった!奴等は精子バンクがそんな事をする筈がない、の一点張りだ!」
「そ、そんな・・・。」
「信じられないと言いたそうだな?だが、全て事実だ。」
ベルベットの語りは次第に熱を帯びて来る。
今でこそ終身刑に服している身とはいえ、数々の国際発表の舞台を踏んでいるかつての天才科学者らしいと言える。
「それまで研究一筋だった俺は初めて世間に目を向けた。精子バンクの実態についても調べた。
そして分かった。精子バンクは生殖補助医療なんて目的からとうに外れて、『優秀』な女が『優秀』な精子を
選別して金で売り買いする、『優秀人類製造工場』だということがな!」
「・・・。」
もはやシンジは反論や疑問を挟む余地すら見付からない。
ベルベットの凄まじいまでの怒りと憎悪が混じった弁舌を黙って聞くしかない。
「聞け!女はミス・コンテストは女性を選別するから言語道断だと反対する。受精卵の遺伝子診断は
形を変えた優生思想だと反対する。子どもには両親の温かい愛情が必要だと声高に言う。」
「だが、奴等のやっていることは何だ!男を経歴だの瞳や髪の色だのIQだので選別している!
『優秀な者』だけが生まれるように精子の遺伝子を調べ上げる!母親さえいれば子どもは育てられると当然のように言う!」
「それが奴等が暇さえあれば口にする男女平等や女性の権利向上とやらの正体だ!」
シンジは口に鉛が付けられたような感覚さえ感じる。反論しようにも言葉が出てこない。
相手の反論を一切許さない圧迫感に心が押し潰され、殺意と憎悪のどす黒い感情に染められそうな気がする。
ふと、シンジは心の片隅に何か妙な感覚を感じる。その理由を知ったシンジは愕然とする。
ベルベットの演説めいた語りに共感すら感じ始めている自分に気付いたのだ。
どうして?大勢の人を無残に殺した男の言うことに・・・。
それも、アスカやお母さんを愚かだと嘲笑った男に共感するなんて・・・!
シンジは懸命に打ち消そうとするが、共鳴は次第にシンジの心の中で大きく響くようになっていく。
それを打ち消そうと必死で記憶や思考を巡らせるシンジの脳裏に、最初に赴いた精子バンクでの出来事が浮かぶ。
そう、それは責任者という女性が、二人に応対した時のこと。
精子バンクの有用性と精子「選別」を女性の権利と語る女性。
優秀な子どもとして、優秀な子孫を残すことの必要性を強調する女性。
涙を浮かべながら女性の頬を打つアスカ。
優秀を認められるためにがむしゃらに生きた思いをぶちまけるアスカ。
脳裏に浮かんだ画像が急速に巻き戻され、精子バンクに足を踏み入れた時の感覚が蘇る。
聖堂にも似た雰囲気。選ばれた者しか立入ることを許されないような雰囲気。
自分達に向けられた刺すような視線。ここはお前達のくる場所ではないと言わんばかりの視線。
意識が現実世界に戻って来た時、シンジは共感の理由を理解する。
ベルベットの語りは、まさに自分達が体験したことを含んでいる。
必死に否定しようとしても打ち消せないこの共鳴は、体験によって呼び起こされたものなのだ。
二人から言葉が出ないのを見て「勝利」を確信したのか、ベルベットはとどめとばかりにアスカに言葉の槍を投げつける。
「分かったか小娘。お前の母親はお前を望んでいた訳じゃない。優秀な子どもなら誰でも良かったのさ 。」
・・・止めて・・・。
「お前の母親はカタログ通販感覚で精子を選んで、金で買ったのさ。そしてお前が生まれた。」
・・・止めて。止めて・・・。
「優秀な遺伝子を持って生まれた選ばれた者と思いきや、精子から受け継いだ遺伝子は連続殺人鬼!」
・・・止めて。止めてよぉ・・・。
「小娘!お前は連続殺人鬼の遺伝子を受け継いでいるのさ!40人以上も切り刻み、はらわたを抉り出したこの俺のな!」
・・・止めて。お願いよぉ・・・。
「お前は遥々日本から、連続殺人鬼の遺伝子供給源と対面しに来たって訳だ!ご丁寧にも父親と呼ぶためにな!」
・・・止めて。もう聞きたくない・・・。
「お笑い沙汰だな!感動の御対面が連続殺人鬼の家系の確認とは!ヒャハハハハハ!」
・・・嫌ぁ。もう言わないでぇ・・・。
高らかに笑うベルベットからは、もはや正気は跡形もなく消え失せている。
背凭れに体重を掛け、天井に向って笑い飛ばすベルベット。
耳を押さえ、小刻みに身体を震わしながら蹲るアスカ。
もはや父と子の対面などではない。拷問に等しい仕打ちでしかない。
シンジはぐっと拳を握り締める。脅えるように−実際そうだろう−震え、蹲るアスカを見る。
アスカを守るんだ。その思いが、ベルベットの生み出す感情の渦潮に飲み込まれそうな自分を奮い立たせる。
「・・・貴方は・・・精子バンクに復讐するために・・・人を殺したんですか?」
「違うな。俺は精子バンクや女性団体の主張を実践してみたまでだ。優秀な人間のみ他人を選別し、
生き残る資格があるってやつをな。」
「・・・何故・・・自分を優秀だと言うんですか?」
「フン。俺が優秀だと判断されたからだ。だから奴等は俺の精子を欲しがった。」
今更悪あがきか、と言いたげなベルベットを、シンジがしっかりと見据える。
その瞳には、ベルベットの放つどす黒い感情を全て吸い込むような奥行きが秘められている。
「・・・貴方の言うことは自己矛盾を来している。」
「何だと?」
「勝利」を確信していた時に思わぬ反撃を受けたベルベットは、表情を露骨に歪めて聞き返す。
だが、シンジは臆することなくきっぱりと断言する。
「貴方は優秀かどうかで男性を選別する精子バンクや、それに味方した裁判所や弁護士を憎んでいながら、
その精子バンクが与えた『優秀』という称号を盾に、自分の殺人がさも当然のことにように言っている。
」
「「!」」
ベルベットは勿論、破片が飛び散り始めた心を必死に抱きかかえていたアスカが顔を上げて、シンジに注目する。
「貴方は、自分が非難する精子バンクと何ら変わりはしない!他人を選別してるんだから!」
「こ、このガキ!」
思わぬ反撃を、それも確信した「勝利」を突き崩すようなシンジの指摘に、ベルベットは身を乗り出す。
ベルベットの表情に明らかに動揺の色が浮かぶ。ひ弱な若輩と見くびっていた少年に、科学者として致命的な
自己矛盾を指摘されたことで、科学者としてのプライドの危機を感じたのだろう。
アスカは自分に残酷な仕打ちを続けたベルベットとガラス越しに睨み合うシンジを見詰める。
危険を覚悟でMAGIへの強制提案を決意した時にも見た、あの強靭な意志の篭った瞳。
自分は守られている。そう感じたアスカの崩壊寸前だった心に、再び活力が蘇る。
シンジが初めて精悍な横顔を見せた、あの時と同じ様に。
シンジはガラスを突き破りそうな気配すら見せるベルベットに、静かに語る。
「・・・それに・・・アスカは・・・貴方が思っているほど・・・順風満帆の人生を歩んでやしない。
」
「どういう事だ?」
「・・・アスカ、いいかい?」
シンジが尋ねると、アスカは小さく頷く。アスカはシンジに全てを託す腹積もりだ。
「じゃあ話しましょう。アスカがどんな人生を歩んで来たかをね・・・。」
ベルベットは黙って椅子に再び腰を下ろす。これまでと違い、椅子に深く腰掛け、正面を見詰める姿勢だ。
シンジはベルベットに視線を固定すると、一度軽く深呼吸してから、アスカの身の上について語り始めた・・・。
to be continued
筆者後書き
どうも。Moonstoneです。いよいよ核心に突入しましたが、ますます重力が増して来ました(^^;)。
さらに、ショックを受けたアスカに追い討ちを掛けるような「父親」ベルベットの攻撃。鬼ですな(--;)。
今回はかなり台詞が多くなりました。それも完全に演説調(実際そうか)。私の悪い癖が出てしまいました
(^^;)。
でも、シンジが頑張ってます。次回以降も、かつての天才科学者相手に奮闘するシンジを応援して下さい
。
しかし、予定より随分長くなったな・・・。エピソードが先に「オヤジの日」に出ちゃったし(^^;)。
Moonstoneさんへの感想メールをお願いします!
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までお願いします。