新世紀エヴァンゲリオン Side Story

Where is my Daddy ?

written by Moonstone

ここで・・・負ける訳にはいかない。何としてもアスカのことを分かってもらわなきゃならない。
この人は分かってない。アスカがどんな辛い思いをしてきたか、どんな思いでここに足を運んだかを。
事実を知ったアスカは、どうしたら良いか分からずに本当に苦しんだんだ。それを全然分かってない。
絶対負けるわけにはいかない。僕が負けた時・・・アスカは崩壊するから・・・。

シンジは戦ってる・・・。以前はいつもビクビクしてて、目の前の困難から逃げることばかり考えてたの に・・・。
シンジの今の顔は、あの時の顔だ・・・。MAGIの端末から割り込みを掛けることを要求した時と同じ・・ ・。
あたしは怖い。パパっていうこの人が本当に怖い。心が押し潰されそうな憎しみを感じる・・・。
でも、シンジはこの人と戦ってる・・・。あたしは・・・シンジに護られてるんだ・・・。

このガキ・・・俺の娘だというこの小娘の身の上話を聞かせてどうする気だ?
何か策があるのか知らんが、俺に泣き落としなど通用せんぞ。
しかし解せんな・・・。どうしてこのガキは、説得を諦めようとしないんだ?まるで何かに取り憑かれた かのように。
こいつの眼・・・嫌な眼だ。何もかも見透かしているような、心の奥まで覗き込みそうな眼をしてやがる ・・・。


Ending 愛する者へ、我は告ぐ
Why Haven't you tried to live rightly as a person
even if you don't recognize as her Daddy?

「アスカは・・・父親の顔を知らずに、父親が誰かさえ知らずに生まれた。母親はアスカに優秀である ことを求めた。物心ついた頃からアスカは英才教育を受けることになった。アスカはそれを受け入れた。優秀になるために、
母親に自分を見てもらうために。親の愛を求めて、厳しいカリキュラムにも耐えた。」

 シンジはアスカの遺伝上の父ベルベットを見据え、アスカの生い立ちを言葉として紡ぎ出していく。
対するベルベットの視線は、吸い寄せられるかのようにシンジを向いている。
 アスカは唇をぐっと横一文字に結び、俯き加減で押し黙っている。
時折、様子を窺うようにベルベットに視線を向ける。

「カリキュラムをこなしていったアスカは、やがてエヴァのパイロットに選ばれた。アスカが求めた優 秀の最高峰。そして、求め続けた母親の愛を得る確固たる証明だった。アスカは母親にそれを知らせるために母親の元へ向った。だけど・・・アスカを待っていたのは・・・首を吊った母親の姿だった・・・。」

 抵抗する喉を押し開いて吐き出したアスカの過去。戦いが終わった後も悪夢となってアスカを苦しめ続 けるあの光景。アスカは見えない衝撃波に全身を揺さぶられるような感覚に、ぐっと両目を閉じる。
ベルベットは表情を変えない。嘲笑うでもなく、じっとシンジを見詰めている。

「間もなくアスカは養父母に引き取られた。だけど、アスカは馴染めなかった。
母親が求めた優秀の証を手に入れながら、結局母親の愛を与えてもらえなかった絶望感が、アスカの心を閉ざしてしまった。
 それ以来、アスカは優秀である証を死守するために、がむしゃらに生きてきた。エヴァに自分の存在意義を見出して、戦いに身を投じた。そして、自分を守るためにプライドという鎧を身に纏った。でも・・・その鎧が無残に剥ぎ取られる時が来た。」

 アスカが身をより一層固くする。封印していた過去を白日の下に晒されたあの日の光景が鮮明に蘇って 来る。

「敵がアスカの心に侵入した。戦いの日々に埋没することで心の奥底に封印して、プライドという名の鎧で
他人が触れないように守ってきた幼い日のあの光景を、目の前に引きずり出されたんだ。
それが元で・・・アスカは精神に異状を来して、優秀の証であると同時に自分の存在意義であるエヴァへの
搭乗資格を剥奪された。エヴァに乗れない、戦えないパイロットは用済みだって・・・。
アスカは長い間心神喪失状態で入院して、目覚めた後も長くて苦しいリハビリが待っていた。
ようやく治って普通の生活を送れるようになったけど・・・一度引きずり出された過去が悪夢となってアスカを苦しめてる。」
「・・・で、俺に何を求める気だ?」

 ベルベットがそれまでずっと閉じていた口を不意に動かす。

「親の愛を求めて結局反故にされたアスカに親の愛を感じさせてあげたいんだ。親に捨てられたんだ、
望まれずに生まれたんだって、アスカが思わなくてもいいように。そうすれば・・・。」
「少しは気が紛れるんじゃないか、とでも言いたいのか?」

 ベルベットの視線に再び憎悪が蘇る。刺すような視線がシンジとアスカに向けられる。

「ハッ、何を言い出すかと思えば、随分勝手な理屈だな。ふざけるな、ガキが!」
「ふざけてなんかいない!」
「分からん奴だな。いいか!女は子どもを産むことで『自分の子ども』という認識を否が応にも持つだろう さ。
だがな!男にはそれができない!自分の子どもかどうかなんざ、分かりゃしない!顔も見たこともない娘とやらのために、なった覚えもない父親になることがお前に出来るか?いきなりしゃしゃり出てきたガキにあんたの子ども だって言われて、信じられるか?それがふざけてるって言うんだ!」
「じゃあ、貴方がアスカの父親だって動かぬ証拠を見せてやる!」

 シンジは折り畳んでズボンのポケットに仕舞っておいた、Nervによる追跡調査の結果報告書を広げてベルベットに突きつける。
ベルベットはガラス越しに突きつけられた書面に目を通す。
だが、ベルベットは表情を和らげることなく、フンと短く鼻で笑うばかり。

「これがどうした?」
「ど、どうして?かつての生物工学の権威なら理解できる筈じゃ・・・。」
「お前は疑うことを知らんのか?そんな書面如き、どうにでも操作できる。俺を父親に仕立て上げようと
随分手の込んだことをしたもんだな。その努力だけは誉めておいてやろう。有り難く思え。」

 MAGIに不正割り込みを掛けて訴え、Nervの存亡を賭けて精子バンクのサーバーに侵入したこれまでの努力が一気に水泡に帰した。
そんな徒労感と絶望感が、シンジとアスカの肩にずっしりと圧し掛かる。
ベルベットがアスカの父親であるという事実を認めない場合の「切り札」も、その信用性そのものを否定さ れてはどうしようもない。
 ベルベットは襲い来る徒労感と絶望感に耐えながら懸命に反撃の手段を講じるシンジと、力なく項垂れ るアスカに容赦のない追い討ちを始める。

「そもそもだ。その小娘が悪夢に魘されるきっかけを作ったのは、小娘の母親だ。
自分の娘を娘として愛することなく、優秀であれと手前勝手な欲望を押し付けたことが、最大の原因だ。 」

・・・ママは・・・優秀なら誰でも・・・良かった・・・?

「優秀である証とやらを手に入れて喜び勇んで戻ってみたら、誉めるどころか首を吊ってお出迎え。
小娘。お前は結局母親が目の前に吊るした人参を追いかけて走らされた馬なのさ。走らせるだけ走らせておいて、走り終えたら知らん顔。後はさ迷おうがのたれ死のうが知ったことじゃないのさ。」

あたしは・・・何のために・・・今まで生きてきたの・・・?

「傑作な話だ。母親だけいれば良い、優秀な子どもが欲しいと願った女が子どもを散々弄び、自分は首を吊って死にました。そして優秀だけが取り柄の子どもはある日、優秀の皮をはがされて気が変になりました。ヒャハハハハハ!最高じゃないか!」

そんな・・・そんな言い方しないで・・・。

「優秀な子どもを求めて男も子どもも選別した女が齎した世代を超えた喜劇!精子バンクや女性団体の究極の理想、即ち優秀な女性と優秀な子どもだけの世界で起った一つの顛末!良い話を聞かせてもらったぜ!ギャハハ ハハハ!」

あたしは・・・あたしでなくても良かったの?教えてよぉ、ママぁ・・・

 罪人を串刺しにして咆哮を上げる悪魔。面会室に響くベルベットの笑いはまさにそれだ。
アスカの顔から血の気が失せ、骨の髄から湧き起こる悪寒に体を小刻みに震わせる。

もはや打つ手はないのか?父と、娘と、お互いを呼び合うことは出来ないのか?
ただ、親を求める子どもをその母親共々嘲笑う囚人の対面に終わってしまうのか?

 シンジは絶望感に心が押し潰され、諦めの沈んだ色に染められていくのを感じる。
唇をぐっと噛み締め、敗北を宣言する手前のような、潤みさえ滲む瞳をベルベットとアスカに向ける。
アスカに嘲笑の視線を向けながら、高らかに「勝利」の勝鬨を上げるベルベット。
自分の存在そのものの意味すら見失いかけて、更なる攻撃に脅えるだけしか出来ないアスカ。

・・・ここで僕が逃げたら・・・アスカは・・・どうなるんだ?
戦わなきゃ・・・アスカを護るために・・・僕がアスカを護るんだ・・・!

 シンジは重みを強める一方の絶望感を押し上げ、諦めの色を懸命に払拭する。
切り札も通用しない最悪の状況で、アスカを護るためにシンジは再びベルベットに戦いを挑む。

「・・・アスカが優秀だけを求められていたって、どうして言い切れるんですか?」
「何だと?」
「確かにアスカのお母さんは精子バンクで貴方の精子を買った。」
「それが何よりの証拠だ。優秀な子どもを産むために男を選別し、それをカタログ通販感覚で売り買いする
精子バンクでやり取りした以上、何ら疑う余地はない。」
「それが・・・何故証拠と言い切れるんですか?アスカのお母さんがやがて生まれる子どもに何を求めたか、分かるんですか?
貴方が言うように優秀であることだけを求めたかも知れない。でも、違うかもしれない。
アスカのお母さんが自殺したのも、子育てを放棄するための究極の手段かもしれない。でも違うかもしれない。
明確が証拠がないのに、どうして精子バンクの取引がアスカが優秀であることだけを求められた証拠と言い切れるんですか?」

 最後の悪あがきか、と高を括っていたベルベットの勝ち誇った表情が微かに歪む。
シンジにここを突けば活路が開けるという確証がある訳ではない。ただ思ったことを口にしたまでだ。
しかし、シンジの反撃は確かにベルベットの矛盾点を射抜いている。

「貴方は単に、自分が導きたい結論を、つまり、アスカのお母さんが優秀であることだけをアスカに
求めていたと言いたいが為に、都合よく推測を事実と置き換えている。まかりなりにも科学者を標榜するなら、
事実を明快に指し示した上で断定したらどうですか?」
「き、貴様・・・!」

 ベルベットの表情がさらに歪む。露にした怒りの裏には、明らかに矛盾点を突かれた衝撃と動揺が見え隠れしている。絶望感に押し潰されそうになると同時に、次なるベルベットの攻撃に脅えていたアスカが、顔を上げてシ ンジを見る。
ガラスの壁を隔ててベルベットと対峙するシンジの表情には、余裕は微塵もない。
だが、そこには「切り札」さえも通用しない厳しい状況の中でベルベットに正面から戦いを挑むシンジが居る。

まだシンジは諦めていない。だったらあたしも諦めちゃ駄目。

 シンジと共に居るという安心感と連帯感が、アスカの心に圧し掛かる絶望感を一気に払いのける。
シンジは心に思うままを、口が動くに任せてベルベットにぶつける。
もはや策は要らない。ただ、正面から挑むのみ。

「貴方は僕が見せた追跡調査の結果を嘘偽りだと門前払いした。それが正しいかどうかを検証することなく、
嘘に決まっていると決め付けて頭から否定した。」
「事実という確固たる証明がないものを否定して、何がおかしい!」
「どうして否定まで行き着くんですか?嘘かもしれない。だが、本当かもしれない。指し示された命題を
検証せずに主観で真偽を決定するようなことを、貴方は科学者時代にやっていたんですか?
それが科学者の取る態度なんですか?僕が知っている科学者は、そんな態度で仕事をしていない。」
「・・・くっ・・・。」
「同じなんですよ。精子バンクと貴方は。自分の言動が絶対正しいと信じて疑わない。
精子バンクが貴方の精子を欲しがったのは、まさに類が友を呼んだってところじゃないですか?」
「このガキ!黙っていれば言いたいことを言いやがって!」

 科学者としての態度を批判された上に、憎悪を向ける最大の「敵」である精子バンクと自分が同一と皮肉られたことに、ベルベットは怒りの牙を剥き出しにして立ち上がり、ガラスにぶつけんばかりに顔を近付ける。
痛烈な一撃を与えたシンジだが、その表情には会心の笑みや余裕は全く浮かんでいない。
ガラスの壁を隔てて、目の前の相手と戦っている。それ以上でもそれ以下でもない。

「・・・確かに貴方には父親になった覚えはないでしょう。でも、精子バンクに登録されれば、何時かは貴方の子どもがこの世に生を受けて、貴方に会いに来るかもしれない。そうは思わなかったんですか?」
「さっきも言った筈だ!父親になった覚えもないのに、いきなり貴方が父親だと言われて信じられるか! 」
「質問の答えになってない!」
「思ったことも有るさ。だが、精子提供に関する情報は一切外に洩らさないことが売りの精子バンクが、
子どもにお前の父親はこいつだ、と教えるはずがない!」
「だけど、こうして現に、貴方の娘が貴方に会いに来ている!」
「分からん奴だな!その小娘の父親になった覚えはないと言っているだろう!」
「分からないのは貴方の方だ!僕達はNervのみんなに頼んで、アスカのお母さんが精子提供を受けた可能性のある精子バンクのサーバーに侵入して、リストを抽出したんだ!そこに記載されていた精子提供者のDNAパター ンと
アスカとアスカのお母さんのDNAパターンを比較した。その結果がこれだ!」

 シンジは再び追跡調査の結果をベルベットに突きつける。
ベルベットは再び書面に目を通す。今度は嘘と決め付けて形式的に目を向けるのではない。
かつて名を馳せた時代の、提示された命題を検証する科学者の表情だ。

「これを貴方が事実と認めるのも、嘘と決め付けるのも貴方次第です。だけど、これだけは言っておきたい。」
「・・・何をだ?」

 ベルベットの口調が明らかに今までのものと違う。そこには相手の心を切り裂きそうな鋭い殺意の刃も 、
相手の心をどす黒く染めてしまいそうな憎悪も感じられない。

「貴方が、貴方を騙したばかりか要求を一方的に退けた精子バンクや、貴方の訴えに耳を貸さなかった
裁判所や弁護士を憎むのは勝手です。貴方の精子を買ったアスカのお母さんを嘲笑っても構いません。
だけど・・・アスカを憎んだり嘲笑ったりしないで下さい。アスカには何の責任もないんです。」
「・・・。」
「もう一つ・・・。子どもが会いに来るかもしれないと思ったのなら、どうして、その子どもが胸を張れるような
父親になろうとしなかったんですか?いや、たとえ父親だと認めなくても、どうして一人の人間として良く生きようとしなかったんですか?精子バンクとかへの憎しみを何の関係もない人々にぶつけたんですか?」
「・・・。」
「アスカは・・・貴方が終身刑を受けた連続殺人鬼だと知って、それでも貴方に会うためにここに来たんです・・・。
伊達や酔狂で・・・貴方が認めるようにドイツ史上に残る凶悪犯を父親と呼ぶために・・・
会ったこともない男性を父親と・・・呼ぶために・・・ここに来たと思いますか?」
「・・・シンジ・・・。」

 何時の間にかシンジは泣いていた。その声に細かいビブラートとトレモロが不規則に加わる。
シンジの声の変化に気付いたベルベットが、溢れる涙を拭うことなく訴え続けるシンジを見る。
自分を見詰めるそのまっすぐな瞳に、心の片隅に眠っていた、若き天才科学者として
その名を世界に轟かせたかつての自分の姿を思い出す。

あの頃の俺は・・・こんな感じだったな・・・。理想に燃えて研究に勤しんでいたな・・・。
人に素晴らしい未来を齎すんだと、まっすぐにものを見詰めていた・・・。俺にもこんな時代があったな・・・。

 ベルベットはちらりとアスカを見る。そして、シンジが何故執拗なまで自分に戦いを挑むのかを理解した。

「親は子どもを選べても、子どもは親を選べない・・・。」
「・・・え?」
「俺が精子バンクの実態を調査していく過程で、反対運動をしている人間から聞いた言葉だ。
精子バンクは優秀な子どもの親になりたがる女の欲望を満たすことを考えていても、生まれる子どものことは
考えているようで実はろくに考えてない。母親の欲望を満たすことが子どもの幸せに繋がると勝手に思い込んで
いる。」
「・・・。」
「アスカとか言ったな・・・。少なくともお前は分かっている筈だ。優秀だけを求められる子どもの心の痛みが。
親の愛を享受できない子どもの辛さが。優秀という看板がどれだけ脆弱なものか。
分かっているなら・・・お前は子どもにそれを求めるな。」
「・・・パパ・・・。」

 ありったけの思いが篭ったたった一言。その一言と共にアスカの蒼い瞳から涙が零れ落ちる。
シンジはベルベットの表情の変化に驚く。際限なく溢れ出していた殺意や憎悪といった負の感情は消え失せて
いる。
アスカを見詰めるその視線は、娘を温かく見守る父親のそれだ。
厚いガラスの壁と長い時の流れと深い感情の溝を乗り越えて、今、確かに父と娘の心が通じ合った。
シンジは先程までのものとは別の、胸を熱くする感覚と激流となった涙が流れるのを感じる。
 ベルベットはシンジに視線を移す。それはやはり「父親」の視線だ。
今までの「強大な敵」というイメージが、シンジの心から霧散する。

「どうしてお前が俺にしぶとく食い下がったか、何故泣いているのか、よく分かった。
その娘を大切にしてやれ。塀の中からでは・・・どうしようもないんでな・・・。」
「は、はい。」
「理由はどうであれ、結果的に俺は親になることを放棄してしまった・・・。怒りや憎しみに身を委ねてしまった俺は、何時か会えるかもしれない子どもの気持ちを踏み躙ってしまった・・・。お前の言う通り、
俺は所詮、優秀なだけの人間だったようだ・・・。だから精子バンクは、俺の精子を求めた・・・。」
「・・・ベルベット・・・さん・・・。」
「経歴や外見で人を判断のは容易いし、基準を設けて選別できる。だが・・・優秀な人間が良い人間とは限らない・・・。誰のための、何のための優秀なのか、お前達も一度は考えてみることだ・・・。」

 不意にベルベットの背後のドアが開き、自動小銃を抱えた刑務官が二人入って来る。
そしてそれに合わせるかのように、シンジとアスカの背後のドアが開き、二人を案内した刑務官が入って来る。
時間が非情にも父と娘の対面の終わりを告げる。
ここは刑務所。外部との接触は時間と空間に厳しい制限を受ける場所なのだ。
 ベルベットは刑務官に促されるよりも先に席を立つ。刑務官がその両腕をがっしりと抱え込む。

「面会終了の時間です。」

 シンジとアスカの後ろから刑務官が促す。このまま話を続けたのは山々だがどうしようもない。
シンジはアスカの両肩を優しく抱えて立たせる。ベルベットは二人に背を向けて、ドアの方へ向かう。
俯き加減のその背中が酷く小さく、そして悲しく見える。
 ベルベットの両腕を抱える刑務官の一人がドアを開けた時、アスカがガラスの壁に
張り付くように両手をついて、ベルベットの背中に呼びかける。
とめどなく流れる涙を拭うことはない。

「パパ・・・パパぁ!」

 ベルベットが振り返る。刑務官は部屋から出ることを促す気配はない。

「また・・・来るからね。絶対・・・絶対会いに来るからね!」

 僅かな沈黙の後、ベルベットは小さく頷いて、コンクリートの空間に消え入るような声で返す。

「・・・待ってるぞ・・・アスカ・・・。」
「パパぁ!」

 確かにベルベットはアスカの名を呼んだ。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
刑務官に促され、ベルベットは部屋を出ていく。しかし、顔はアスカの方を向けたままだ。
初めて見せる名残惜しそうなその表情が、見ているだけでも痛々しい。
閉まるドアが刑務官と共にベルベットを「向こう側」の空間に吸い込むと、アスカの両手が
ずるずるとガラスの壁を伝い、テーブルに落ちる。
その両手とテーブルに、アスカの大粒の涙が水溜まりを作る。

「・・・行こう・・・。」

 気遣いながらシンジが声を掛けると、アスカは一度小さく頷く。
刑務官に先導されて、シンジがアスカを支える形で面会室を出る。
待合室で二人を待っていた加持と大和タケシが、鳴咽と共に出てきたアスカを見て、沈痛な表情で二人を出迎
える。
やはり会わせるべきではなかった、と二人は今更ながら悔やむ。

「アスカ・・・済まない。お前が辛い思いをすることを知っていて・・・。」
「違うよ・・・加持さん・・・。パパは・・・あたしをアスカって呼んでくれたの・・・。」
「?!」
「また来るからねって言ったら、待ってるぞって・・・言ってくれたの・・・。パパは・・・やっぱりパパだった・・・。」
「・・・そうですか・・・。」
「来て良かった・・・パパに会えたんだもの・・・。ありがとう・・・。みんな、ありがとう・・・。 」

 それ以上は言葉にならなかった。
だが、言葉にならなくても、アスカの喜びは加持と大和タケシの心にも確かに感じられる。
二人は目頭が熱くなるのを感じて、思わず目を瞬かせる。
喩えようのない幸福感が不安一色だった二人の心を一気に満たしていく・・・。


 加持と大和タケシはシンジとアスカの二人を滞在先のホテルに送り届けた後、Nervドイツ支部へ向う車の中に
居た。

「タケシ・・・。ベルベットさんはどうにかここから出られないか?」
「残念だが・・・一昔前のように恩赦などの減刑措置がないから、一度確定した刑が減刑されることはない 。」
「・・・そうか・・・。」

 アスカとベルベットの父娘が時間や場所を気にせずに会えるなら、その方がずっと良い。
だが、減刑措置がない以上、一生を刑務所で過ごすことは覆せない。

「だが、本人に明らかに改心の傾向が見られれば、面会の制限がもっと緩やかな一般の刑務所に移送されるだろう。面会時間も倍以上あるし、希望されるのなら毎日でも面会できる。差し入れの制限も大幅に緩和される。 」
「それなら、きっと何時か・・・。」
「ああ。心理状態の大幅な変化は、きっと今後の行動に影響を及ぼす筈だからな。」

 刑務所から出ることは叶わなくても、会える機会や時間が増えるならそれでも良い。
ベルベットの底知れぬ憎悪で塗り固められた頑なな心は、確かに氷解した。
一般の刑務所に移送される日が来るのも、そう遠い話ではないだろう。
もっと色々な話が出来る。差し入れが出来るなら、誕生日を調べてプレゼントを送る事も出来る。
 加持と大和タケシの顔に安堵の色が浮かぶ。
追い求めた唯一の肉親がドイツ史上に残る連続殺人鬼だったという残酷な事実。
そして一度も顔を見たこともない相手を自分の娘と認めるかという重厚な不安。
それらを知りつつもアスカに有りの侭を伝え、対面の場を用意した罪悪感。
全身に圧し掛かっていた全ての懸念材料が払拭されたことで、二人の口調も自然と弾む。

「今回の一件が無事に終わったのは、彼・・・シンジ君の果たした役割が大きいな。」
「ああ。俺も昨日今日の口振りや態度には目を見張ったよ。日本に居た頃はおどおどしていて正直頼りなかった。ちょっと見ない間に大きく変わったもんだよ。人間あれほど変わるものなのか?」
「ちょっとしたきっかけで人間の言動は大きく変わる。変わる方向が良い方向か悪い方向かどうかは、本人次第
だが。」
「やっぱり愛の強さってとこかな。いいねえ。」

 加持がおどけて肩を竦める。大和タケシは昨日の報告の席上、敢えて飲み込んでおいたことを口にする 。

「リョウジ。お前がいきなりドイツに来たのも、葛城一佐への愛があるからだろう?」
「・・・おいおいタケシ。いきなり何を言い出すんだ?」

 いきなりの突っ込みに、加持は動揺を隠し切れない様子だ。その額に冷や汗が滲むのが分かる。
大和タケシは構わず話を続ける。その冷静さはリツコを彷彿とさせる。

「隠しても無駄だ。昨日の話し振りや一佐の態度を見ていたら、およその察しはつくさ。」
「さすが生え抜きの情報活動員。状況分析は天下一品だな。」
「一佐にはちゃんと埋め合わせをするべきだな。」
「勿論さ。何てったってマイハニーだからな。タケシもそろそろ浮いた話の一つくらいあってもいいんじゃないか?」「他人のことをどうこう言う前に自分を省みないと、何時かマイハニーとやらにそっぽを向かれるぞ。 」
「・・・言うね、お前。」

 二人の口元に笑みが浮かぶ。そして笑いが全身から洩れて来る。
久しぶりに感じる、心の底から湧き出るような笑い。
明日の晴天を予告するような美しい紅の空が、二人の笑顔を照らし出す。


 空の紅が徐々に藍色に塗り替えられ、大小の天の宝石が散りばめられる。
通りを行き交う車や人影がめっきりと数を減らし、建物の灯りも少しずつ消えていく。
 既に灯火が消えているシンジとアスカの部屋には、切り株を彫刻したような置き時計の音だけが響いている。
アスカはシンジの胸に頬を摺り寄せ、眼を閉じて心音に耳を澄ませる。
シンジも眼を閉じて、アスカの髪に指を絡め、静かに動かす。
互いに求め合い、愛し合った余韻を、静寂の深海の底で味わう二人。
 アスカはゆっくりと瞼を広げ、身体をずらしてシンジと上下で向かい合う。
二人の唇の間の距離は、指一本分ほどしかない。僅かでもアスカが頭を下に動かせば触れ合うほどの距離 。

「後悔してる・・・?」
「するはずないよ・・・。」

 静寂の深海に小さな言葉の泡が浮かぶ。すぐに闇の彼方へ溶け込む儚い泡。
シンジはアスカの髪に絡まる手を自分の方に引き寄せる。アスカは眼を閉じつつ唇をシンジの唇に上乗せする。
 再び二人の唇の間に僅かな距離が生まれる。名残押しそうに見詰め合う。

「ねえシンジ・・・。お願いがあるんだけど・・・。」
「何?」
「今度、ううん、これからパパに会いに行く時、一緒に来て欲しいの。」
「折角の親子の面会に部外者の僕が・・・。」

 そこまで言いかけたシンジの唇を、アスカの唇が塞いで動きを止めさせる。

「もう他人じゃないでしょ?あたし達・・・。」
「ん・・・そうだね・・・。」

 深い藍色の中で、二人の左手の薬指に嵌められた指輪が仄かな銀色に輝く。
シンジがミサトに報告の電話をかけている間に、アスカが買ってきたものだ。
煌びやかな陳列棚で申し訳なさそうに置かれていた、商品の中でもっとも安価な指輪だが、
その輝きは二人の金襴の契りを物語る証拠。

「次はシンジの番ね。お父さんとの絆を作り上げるのは。」

 シンジの表情が僅かに曇り、ずっとアスカに向けられていた視線が横に逸れる。
最後の戦いが終わった後、全てを白日の下に晒し、自ら司法の舞台に立ったシンジの父、ゲンドウ。
だが、ゲンドウが国連職員に連行されていく時も、シンジとゲンドウは一言の言葉も交わすことも、
目を合わせることもなかった。

「こら、こっち向きなさい。」

 アスカは両手をシンジの頬に添えて、再び自分の方を向かせる。

「本当はあの時何もしなかったこと、後悔してるんでしょ?」
「・・・後悔なんて・・・。」
「ずっと翻弄されて矢面に立たされて、憎んでる。けど、親子でありたい・・・。違う?」
「・・・。」
「シンジがあたしに願ったように、あたしもシンジに親子の絆を作り上げて欲しい・・・。」

 二人は見詰め合う。長い沈黙の後、シンジは徐に唇を動かす。

「まだ分からないんだ・・・。自分の父さんに対する気持ちが・・・。もう少し時間が欲しいんだ。
僕が父さんをどう思っているのか、父さんにどうあって欲しいのか、整理するために・・・。」
「うん・・・。じゃあ、あたしはその時を待ってる・・・。」
「お休み、アスカ・・・。」
「お休み、シンジ・・・。」

 二人は無意識に手を取り合い、互いの肩口に顔を埋める。二人の意識は深い闇の中に吸い込まれていく ・・・。

その夜、アスカは夢を見た。

暗闇の中、一人たたずむアスカ。だが、不思議と不安や恐怖は感じない。
母親の姿が前方に浮かび上がる。やがてゆっくりとアスカの方に近づいてくる。
母親は暖かい微笑みを浮かべながら、アスカを抱き寄せる。アスカは笑顔を浮かべ、母親の背中に腕を回す。
アスカの背後に父親が浮かび上がる。抱き合う母子を包み込むように抱き寄せる。
振り返ってみなくても、アスカにはそれが父親だと分かる。

ママ・・・。パパ・・・。

もう追われる心配はない・・・。自分の大切なものだけを追い続けなさい・・・。

両親の声が同時にアスカの心に響き渡る。アスカは一度だけ、しかし大きく頷く。
両親の姿が光り輝き、無数の光の粒となってアスカを優しく、暖かく包み込む。
やがて光の粒は、アスカの体へ溶け込んで消える。

大丈夫・・・。もう・・・あたしは・・・一人ぼっちじゃないから・・・。

自分の呟きが心に深く響く。沸き上がる幸福感がアスカの心を満たしていく。
アスカの姿が光り輝き、一つの巨大な光の玉となる。
アスカの意識は光の中に溶け込んでいく・・・。

The End


筆者後書き
 Moonstoneです。Episode:5から随分間が開きましたが、この度無事完結と相成りました。重苦しい展開が
続きましたが、二人の長い道程も大団円を迎えることができて、私もほっとしています(^^)。
最後までお付き合いくださった読者の皆様、
そして感想をお寄せくださった皆様、本当に有り難うございます。m(_ _)m
この後、本連載の設定や裏話などをご紹介する予定ですので、その際はぜひご覧頂きたいと思います。


Moonstoneさん、長編SS完結、おめでとうございます。素晴らしいSSでした。
お話を読むたびにドキドキする展開。キャラクターたちの大活躍。そして、過酷なストーリー。
読み終えたあと「次はどうなるんだろう」と、いつも思いました。
Episode:5のときは、立ち向かったシンジ君を心から応援していたのを覚えています。
そして今回、最終話を読んで、シンジ君の心がベルベットに通じたんだと思うと嬉しくて嬉しくて
たまらなかったです。これで本当にアスカ様が幸せになったんだなと感激しています。

本編では、彼女はあまりにも不幸な生い立ちでした。そして結末も。
でも、こうしてMoonstoneさんやたくさんのエヴァファンの方が彼女のために書いたSSこそが、
彼女を補完出来るんだなと実感しました。

Moonstoneさん、彼女を素晴らしいストーリーで補完して頂いたことを心から感謝します。
ありがとうござました。(_ _)


Moonstoneさんへの感想メールをお願いします!
tomonori@ims.ac.jp
までお願いします。


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