新世紀エヴァンゲリオン Side Story

日だまりの心模様 第1作 Beyond the dawn

−惣流アスカの場合−

written by Moonstone


第1楽章 目覚めよ呼ぶ者有り


 何も見えない黒一色の闇の中、遥か遠い彼方から、あたしを呼ぶ声がする。
聞き慣れた優しい響き。急速に広がる光の向こうからあたしを誘う呼び声。
閉ざされていた両目の扉が同時に開いて、あたしの視界がゆっくりと広がっていく。
少しぼやけて映るその顔は・・・シンジだ。

アスカ。そろそろ時間だよ。

 何度か瞼を動かして、シンジの顔をはっきり映す。
あたしの顔を覗き込むその表情は、あたしを本当に安心させてくれる。
胸の痞(つか)えを軽い溜め息で全部吐き出してしまえるような、そんな気分。
 身体の感覚が徐々に戻って来る。頬に触れる部屋の空気はほんのり暖かい。
あたしがすんなり起きられるように、シンジがエアコンを入れてくれた証拠。
そして、あたしよりずっと早く目覚めていた証拠。
心憎いまでの気配りに甘えて、あたしはちょっと我が侭を言ってみたりする。

うーん。あと5分だけぇ・・・。

駄目。待ち合わせの時間に遅れるよ。

 待ち合わせ・・・何のこと?
・・・そうだ。今日は散歩がてら夜明けを見に行くんだった。
昨日の帰りにシンジが話を持ち掛けてきて、一緒に行くって約束したんだっけ。
でも、どうしてシンジと出かけるのに待ち合わせなんて・・・?
・・・そうだ。ファーストも来るんだった。
シンジはどういう訳かファーストも誘って、ファーストは相変わらずの無表情でOKしたんだっけ。
そのファーストとの待ち合わせ場所が確か、公園だったわよね。
・・・何だか、もっと我が侭言ってしまいたくなってきた。

やだぁ。寒いから起きたくないぃ。

 シンジの匂いとあたしの匂いが程良くブレンドされた布団を頭まで被る。
夜の間に布団の中に育まれた温もりが全身を包み込む。
エアコンで造られた暖気と違う、時間を掛けて丁寧に編み込まれた見に見えない肌着。
起こしに来てくれたシンジには悪いけど、もう少しこの温もりに浸っていたい。
 布団に包まったあたしが優しく揺すられる。
暫くすると、あたしの身体の揺れがぴたりと止まる。
もしかして・・・怒ったかな?
ちょっと後悔しつつ布団から顔を出そうとした時、布団の裾が掴まれ、一気に捲られる。
温もりの肌着を一気に剥ぎ取られて部屋の空気に晒されたあたしは、反射的に身体を縮こまらせる。
いくらエアコンで暖められているとは言え、肌を包み込んで伝わって来る温もりとはまったく異質。
あたしは顔だけシンジの方を向けて、頬を膨らませて抗議する。

何よいきなり。酷いじゃないのよぉ。

朝起きられなくて待ち合わせに遅れた、って綾波に言いたいの?

 少し前までなら、直ぐに「ゴメン」って言ってその場を取り繕おうとしたのに。
おどおどしてて、頼りなくて、腫れ物のようにあたしの機嫌を伺っていたのに。
最近、シンジは強硬手段に出ることを覚えた。そして、あたしを動かす術も。
主導権を握られるなんて、ちょっと悔しい気もする。でも・・・

あたしは、心の何処かでこうなることを待っていたのかもしれない・・・。

 エアコンの温風を肌に感じながら、あたしは着替えを始める。
ベッドの脇に積んであるあたしの服を取る。昨日の晩、シンジのベッドに潜り込む時に持って来た。
 「冬」っていう季節になって以来、一人で寝るのはどうしようもなく寒くて・・・寂しい。
寂しい、なんて気持ち、弱い人間が助けを請うための口実だって思ってた。
でも、冬になってから、自分のベッドに潜って灯りを消すと、急に寂しさが膨れ上がって来るのを感じる。
冷え切った布団。やけに大きく響く時計の針の音。僅かな濃淡がぼんやり浮かぶだけの闇。

寂しいよぉ・・・。

 何処からともなく聞こえて来る弱々しい声。聞こえないように耳を塞いでも頭の中を跳ね回る。
ますます音量と残響を増していく声に耐えられなくなって・・・

あたしは、シンジのベッドに潜り込む・・・。

 以前のあたしなら、弱い奴、情けない奴だ、と自嘲したでしょうね。
そうじゃない。以前はただ、自分の弱さを認めたくなくて強さを演じていただけ。
ユニゾン特訓の最後の夜、シンジの隣で寝たあたしが本当のあたしだったんだ、と今は思う。
そう思えるようになった、って言うのが正しいかな・・・?
 着替え完了。買って間もないセーターと厚手のスカート、そして紺のコートにグレーのマフラーと手袋。
これだけ装備していれば寒さなんてへっちゃら、と意気揚々と部屋を出ると・・・。
ドア一枚隔てただけの廊下は空気が違う。激しい冷気が一斉にあたしに襲い掛かって来る。
思わず眼をぎゅっと閉じて身体を振動させる。コンクリートで外と仕切られた家の中でさえこの冷気。
外は何もかも凍り付いているんじゃないかしら?
 再び目を開けると、真正面にあたしの部屋のドアがある。
他人を寄せ付けないための見えない壁を創り出していた拙いタペストリーも、今はない。
あの頃の自分が妙に滑稽に思えてしまう。何してたんだろう、って。
小さな白い靄(もや)が口元に浮かぶ。さ、シンジのところへ行かなくちゃ。


第2楽章 曙の公園に佇んで


 家を出る前にシンジが入れてくれた紅茶を飲んで、身体を内側から暖めておいた筈なのに。
どう見ても夜としか思えない闇の世界は、足を踏み入れたあたし達を猛烈な冷気で出迎える。
車道の両脇に整然と並ぶ街灯は、煌煌と灯り続けている。
空を見上げると、無秩序にばら蒔かれた光の点が不規則に、微かに揺らいでいるのが見える。
冷えきった空気には動きがない。吐き出した息が、一瞬で輝く霧に姿を変える。
 世界が終わる時って、こんな感じなのかもしれない。
数個の灯火(ともしび)が見えるだけの、闇の中に浮かぶ灰色の高層マンション。
黒々とした翳を見せるだけの街路樹。そこだけが白く際立つ街灯。
車も人も消えた道路には、一定の間隔で白い円が描かれている。

誰も、いないね・・・。

今は、全てが眠っているんだよ。

 あたしの知らない世界が、目の前に広がっている。
人や車が忙しなく行き交って、木々がざわめいて、太陽が輝いて雨や雪が降る世界とは全く違う世界が。
 あたし達は、ファーストとの待ち合わせ場所の公園へと歩き始める。
何もかもが眠っている世界に、あたし達の足音が妙に大きく響く。

寂しいよぉ・・・。

 夜一人でベッドにいる時に聞こえる、あの声が聞こえて来る。
あたしは思わず、シンジの腕にしがみ付く。少し前を歩いていたシンジが足を止める。
シンジの腕に頬を摺り寄せるあたしには、シンジの顔は見えない。
 ほんの僅かな間だけ途絶えた足音が、再び闇の世界に響く。前より少し音の間隔が広い。
シンジはあたしに歩調を合わせてくれている。
そう感じたあたしには、何時の間にかあの声が聞こえなくなっていた・・・。

 公園に近付くにつれて、闇の色が徐々に薄くなって来た。
微かに浮かぶ幻影のようだったマンションが、実体を取り戻しつつある。
街路樹や公園の木々は、繊細なグラデーションを帯び始めた蒼色の背景に、黒々と浮かんでいる。
目覚めの時が近い・・・そういう感じかな。
 公園に人影はない。白い光を放ち続ける街灯が妙に寂しい。
入口からすぐ正面に見える、ベンチに囲まれた噴水。ここがファーストとの待ち合わせ場所。
ファーストは・・・まだ来てないみたい。
 あたし達は噴水のほとりに並んで待つことにする。
動きの止まった空気と唯一直接触れる顔が、じんじんと痛む。
頬に触れた冷気は、幾重にも重ねた服の内側にまで響いて来る。
靴と靴下を通り抜けた地面の冷気が、足に重い痛みを生む。

ファーストは、まだ来ないの・・・?

 思わず洩れる呟きに、ファーストへの八つ当たりが篭る。
あの娘も寒いのが苦手らしくて、冬になると始業時刻ぎりぎりに駆け込んで来ることなんて珍しくない。
・・・まあ、あたしはシンジに起こしてもらってるから、遅刻しないで済んでるんだけど。
 不意にあたしの身体が後ろに引き寄せられる。
そして両脇から何かに包み込まれる。

少し来るのが早かったね。

 さっきまでの痛みが身体の内側で昇華していくのが分かる。
背後に感じるシンジの鼓動。そして全身を包み込むシンジの温もり。
あたしは眼を閉じて、少しだけシンジに重みを預けることにする・・・。

 ・・・どれくらい時間が経ったのか分からない。
近付いて来る足音で、あたしは目を開ける。
明らかに変わった風景の色合いが、確かな時の流れを教えてくれる。
眠っていた・・・の?あたし。
シンジに尋ねようとした時、荒い呼吸を押え込みながらの、聞き覚えのある声がする。

お、おはよう・・・。碇君・・・。

おはよう、綾波。走ってきたの?無理しなくて良いのに。

 ・・・ファーストか。遅れそうになったから走って来たみたいね。
それにしても、シンジにだけ声を掛けるなんてどういうつもりなの?
シンジのコートに包まれていても、顔くらいは見えてる筈よ。
シンジもシンジよ。どうしてファーストにまで優しくするのよ。
 どこか取り残されたような気分を振り払うように、あたしはシンジの懐から顔を出す。

遅いじゃないのよ。まったく。
寒い中待たされる身にもなってごらんなさいよ。

 ファーストの瞳の表情が僅かに変わった。あたしには分かる。
あたしに向けられた紅い瞳が、声にならない不満を代弁している。
そんな眼で見ないでよ。何だか・・・もやもやした嫌な気分になるじゃない。
ちょっと言い方がきつかったとは思うけど・・・。

綾波。走ったから少し温かくなったんじゃない?

 そうそう。あたしは寒かったんだから。
シンジがコートで包んでいてくれたから良かったけど。
でも・・・出発するとなると、この心地良い温もりを手放さなきゃいけないのよね・・・。

じゃあ、行こうか。

 あたしは覚悟を決めて、シンジのコートの中から再び外気の中に足を踏み出す。
公園に着いた時よりも少しは温かくなったと思ったけど・・・

や、やっぱり寒いっ!

 身体が大きく震える。思わず両腕で自分を抱え込むように身を縮ませる。
これだけ着込んでいても、シンジの温もりにはかなわないのね。
いっそ・・・あのまま心地良い温もりに抱かれていたかったな・・・。

ずるいわね・・・。

 ファーストの呟きが聞こえる。あの瞳から感じるこのざわめきは何?
言葉に出来ない不思議な、そして嫌な気分がファーストからひしひしと伝わって来る。
さっきも感じた、ううん、さっきから感じる闇の淵で何かが燻(くすぶ)るような気分。
 ファーストは、あたしに何を言いたいんだろう?
あたしは、未だにこの問いを口に出せずにいる。
もしかしたら・・・あたしはその答えを知っているのかもしれない。


第3楽章 夜が朝になる時


 空の色合いが代わってきても尚、森は闇の中に留まっている。
上の方から不規則な鳥の囀りが聞こえて来るけど、森の中は時が停まったかのように静まり返っている。
ぼんやりと白色が滲む深い蒼色の空間を、あたし達は歩いていく。
あたしとシンジの後ろに、僅かに距離を置いてファーストが居る。
シンジの腕越しに様子を見ると、紅い瞳がちらちらとシンジの右側を窺うように動いている。
ファーストが何を思っているのか、よく分からない。 ・・・心が分かろうとしないのかも知れない。
心に微かなざわめきを感じつつ暫く歩いていくと、不意にシンジが足を止める。

何してるの?綾波。

 シンジの顔が後ろを、ファーストの方を向いている。
何よ。そんなにファーストのことが気になるの?
 ファーストは少し離れた場所から走って来る。
紅い瞳がシンジに何かを伝えたがっている。

光の手って、温かいのね・・・。

 シンジが黙って頷く。すると、ファーストの瞳が大きく開く。
木々の隙間から差し込む少量の光を受けて、鮮やかに輝いている。
紅玉って喩えが相応しい、奇麗な輝き。
 あたしの心の中で、黒く燻っていたものが俄かに黒煙を上げるのが分かる。
発する言葉もその黒煙に燻(いぶ)されて、どうしても刺々しくなってしまう。

レイ。あんた、光と握手してたの?

ええ。

 相変わらず素っ気無い答え。あたしと話す時はいつもこんな感じ。
紅い瞳から思わず魅入られてしまいそうな輝きが消えて、心に深々と突き刺さりそうな鋭ささえ現れる。
表情に殆ど変化がないのに、瞳の輝きは多彩に変化するファースト。
ただでさえ少ない口数があたしの時にはもっと少なくなるファースト。
 あたしは首を傾げる。
そんなにあたしが気に入らないのかしら?
何を考えているのか、全然分からない。
・・・やっぱりあたしは、分からない振りをしているのかも知れない。

掴み所のない者同士だから、握手できるってわけね。

そうね。

 やっぱり素っ気無い返事。ファーストの視線はとっくにあたしからシンジに移って・・・違う、戻っている。
瞳の輝きもその視線も、あたしの時とは全然違う。
目は口ほどにものを言う、って言う表現が本当にぴったりね。
 初めて会った時からファーストの表情は殆ど変わらない。でも、最近は感情の濃淡や色彩がくっきりと現れているのが分かる。
そしてその感情を率直に物語るのが・・・あの紅い瞳。
言葉に出なくても、表情に表されなくても、瞳の輝きと視線の感触が如実に内なるものを語る。
 もし、ファーストがシンジへの視線を言葉に出したら、何て言うんだろう?
 もし、ファーストがシンジへの視線を表情に表したら、どんな顔をするんだろう?
 もし、それを目にした時、シンジはどう思うんだろう?
 もし、それを目にした時、あたしはどう思うんだろう?
・・・心の何処かで、「助かった」と呟く声が一瞬聞こえたような気がした・・・。

 森を抜けると視界が開けて、目の前に川岸の風景が広がる。
大きな階段状の段差が観客席みたいな岸辺には、たまに犬を連れた人が通り過ぎる以外、人の気配はない。
前にシンジと一緒に来た時はあんなに賑やかだったのが、遠い昔のようにさえ思えてしまう。
休日の昼間だったあの時と夜明け前の今とでは、こうも違うものなの?
あたしの心に何かを訴えるようなざわめきが沸き上がる。
あたしはシンジの腕に抱き着いたまま、一歩ずつ大きな段差を降りていく。
ファーストはシンジの横を通り過ぎて早足で降りていく。
その足取りからも、心なしかあたしに向ける視線から伝わるものと同じものを感じる。
 川岸は静寂が支配していた。
昼間だとひっきりなしに行き交う筈の車の音は、たまに遠雷のように微かに届くだけ。
冷気に滲む夜明けの光を受けて煌く水面も、動きを止めているように見える。
あたし達の近くで飛び跳ねたり首を振ったりする鳩や雀の群れも、人形劇のような感じがする。

何だか・・・別の世界に来たみたいね・・・。

 思わず口にした呟き。でも、本当にそう思う。
この世界は未来永劫眠り続ける、冷気と静寂が支配する世界じゃないかって。
あの森を抜けるうちに、人間のいない世界に迷い込んでしまったんじゃないかって。

僕達しか居ないような・・・そんな気分だね。

 シンジも同じなんだ。
そう実感するだけで、急速に膨れ上がっていた不安が霧散するように思う。
ちらっとファーストの様子を窺う。前を見詰める今のファーストの瞳からは何も分からない。
 光の色が淡い白色から、鮮やかな黄金色に変わり始めた。
冷気に漂っていた光がその色彩を強めて、冷気を飲み込んでいく。
あたし達の足元から伸びる影が、その輪郭を地面にくっきり描き出す。
思わず眼を閉じてしまうような眩い光の球が、東の方から空の色を塗り替えていく。

蒼色の陰影で描かれた世界が、様々な色を見せていく。
静寂の中で眠っていた世界が、続々と目を覚ましていく。
冷気に覆い尽くされていた世界が、その重みから解放されていく。
黄金色の光に照らされたあらゆる物が、新しい生命を吹き込まれていく。

今あたし達は、夜が朝になる時を観ているのね・・・。

 シンジが夜明けの風景を観よう、と持ち掛けてきた理由が、分かったような気がする。
光の色が変わっていくのに合わせて、眠りから覚醒へ、静から動へ、全てのものが移り変わる瞬間。それが夜明け。
生命の実感が湧かなかった鳩や雀が、元気良く飛び跳ねて囀りを残して飛び立っていく。
闇一色に塗り潰されていた空の色も、黄金色のグラデーションを湛えた、澄んだ青色に塗り替えられていく。
頬に突き刺さり、服を通り抜けて全身に染み込むように感じた冷気にも、今では清涼感すら感じてしまう。
 ふと横を見ると、あまり開かれることのないファーストの唇が開いて、胸やお腹がゆっくりと膨らんでいく。
黄金色の空気が吸い込まれ、少し間を置いて外に出て来る。
ファーストの体内の温もりを吸い込んだ冷気が、霧になってファーストの口元から拡散していく。
小さな氷の結晶の一粒一粒が、朝日を反射して虹色の輝きを醸し出す。
霧は煌きの余韻を残して光の中に溶け込んでいく。

深呼吸かぁ。あたしもやってみよっと。

 自然に口を突いて出た言葉。あたしは口から冷気を吸い込む。
夏の強烈な日差しで乾いた喉を冷水が潤していくような、そんな気分。
胸いっぱいに吸い込んだ空気のひんやりした感触が、あたしの体内で昇華していく。
一気に吐き出すと、レイと同じ様に口元に大きな霧の塊が浮かぶ。
霧が広がっていく。光を受けて煌きながら、その光の中に消えていく。
心の中にあった心の燻りが洗い流されたような、爽やかな気分。
 ふとレイを見る。レイの瞳から・・・あたしを見る時のあの輝きが消えている。
レイも、あたしと同じ気分なんだろうか?

寒い中、早起きして良かった、って思わない?レイ。

ええ。来て良かったわ。こんな奇麗な風景が見れたから。

 そっか。レイも・・・同じなんだ。
夜明けの光は、人の間に立ち塞がる心の壁も溶かしてしまうのかしらね。
もしかしたら・・・シンジはそのためにあたし達を今日の散歩に誘ったのかしら?
・・・まさか・・・ね。
 視線を再び前に戻すと、川も草木も、街も人も、黄金色の光の中で鮮やかに煌いている。
徐々に消えていく冷気の中で、新しい一日が始まろうとしている・・・。


第4楽章 そして違う一日へ・・・


 ふと時計を見る。時間にすると30分くらいの出来事だったみたい。
その僅かな時間の間に、夜が朝になり、空気の色が変わり、世界が眠りから覚めた。
シンジもレイも、あたしも「帰ろう」とは言わない。
今はそんな気分じゃない。輝く冷気に洗われた気分に浸っていたい。

夜明けって、ただ太陽が昇るだけだって思ってたけど・・・違うのね。

 あたしの口から自然に洩れる呟き。
躍動感溢れる光の饗宴・・・それが夜明けの風景だったんだ。
でも、思ったままがそのまま口に出るなんて・・・いつものあたしじゃないみたい。
光が黄金色から白色に変わる頃には、いつも目にする世界があった。
別の世界に迷い込んだあたし達を、あの光が元の世界に戻してくれた・・・そんな気がする。

うん。それにね、夜明けにはその日によって、いろんな表情があるんだ。
同じ場所でも天気によっても違うし、季節によっても違う。
勿論、場所が違えば同じ天気で同じ季節でも、また違った表情が見えるんだ。

 表情・・・?何となく分かるような気がするけど、いまいち掴めない。
こういう表現が出来るのは、シンジならではね。

表情って、どういうこと?

 レイが尋ねる。レイは分かりそうな気がしたんだけど・・・。

今日みたいな晴れの日はやる気満々の笑顔で・・・。
曇りや雨の日は、ちょっと不安で、悲しそうな感じって言えば良いかな・・・。
雪の日は独りで瞑想しているって言うか・・・。
上手く言えないけど・・・表情に喩えるとそんな印象を感じるんだ。

 詩的な表現ね。でも、そう言われてみると確かにそんな気がする。
光の加減が表情なのね・・・って、そう言えば、表情も明るいとか曇っているとか言うわね。
どうしてそんな表現をするんだろう?・・・あ、もしかして・・・

表情からも、心で感じる光が出てるのかな?
そうかもしれない。輝いている、とかいう表現があるのも頷けるね。

 シンジに思ったままを尋ねてみる。シンジは優しい微笑みを浮かべて答えてくれる。
何だろう?胸の中が冷気に洗われた爽やかさとは別の、でも凄く心地良い何かで彩られていく。
この気分・・・満足感ともいえなくも無い。
でも、かつてエースパイロット、天才少女と賞賛されていた時のそれとは全然違う。
・・・そうだ。これはシンジと同じ気持ちになれたからね。
繊細で微妙な色合いを見せるシンジの心と同調できたからね。
 ふとレイの方を見る。レイの口元に小さな霧が浮かぶ。それはほんの一瞬の煌きを残して消えていく・・・。
その寂しげな横顔に、悲しげな瞳にアタシの胸がズキッと痛む。

 レイの気持ちがあたしの心に流れ込んで来る。
溢れるほどのシンジへの想い。それを口に出せない切なさ。
そっか・・・。あたしが度々感じていた心の燻りの原因は、あたし自身にあったんだ。
レイから感じるシンジへの想いと、それに気付かない振りをしていたあたしの想いが摩擦を起こしていたんだ。
シンジと心が同調できるレイが怖かったんだ。
シンジとレイが心を同調させるのが嫌だったんだ。
だからあたしは・・・無意識に気付かない振りをしてたんだ。
 もし、あたしがレイの立場だったら、どう振る舞うんだろう?
想いを封じ込めておくことなんて出来る?切ない気分に耐えられる?
・・・きっと無理だ。あたしには真似できそうもない。
レイはもう戦うためだけの、死んでも代わりが居る人形なんかじゃない。
あたしと同じ想いを抱く、一人の女の子なんだ。
レイは切ない想いを抱きながら、あたし達を見守っている・・・。何て強いんだろう・・・。

ねえレイ。これから一緒に朝御飯食べない?

 レイが弾かれたようにあたしの方を向く。
大きく見開かれた瞳には、驚愕の気持ちがはっきり見える。
そんなに驚くことかしら?・・・まあ、無理も無いか。

そんなに驚かなくても良いでしょ?

でも、どうして?

どうしてって・・・。これから帰って独りで食べるより良いんじゃない?

 あたしは帰ったらシンジと一緒に食事する。レイは帰ったら独りで食事する。
あたしにはありふれた日常の一こまも、レイには憧れに違いない。
生憎シンジを貸すことは出来ないけど−こればっかりは譲れないわね−、一緒に食事するくらいなら・・・。
 同情じゃない。勝者の優越じゃない。そんな嫌な考えじゃない。
何て言うんだろう・・・。こんな気分、シンジみたいに上手く表現できない。
敢えて言うなら・・・、同じ想いを抱く女の連帯意識・・・かな?

そうね・・・。独りより良いかもしれない・・・。

 そうよ。独りよりずっと良いわよ。
戦うためだけの存在だったレイと、戦うことだけが自分の存在だったあたし。
レイ。あたしと貴方は似てるわね。
あたし達は戦いが終わって愛を知ってから、肉体に心が宿ったのよね・・・。

じゃあ決まりね。シンジ。一人分追加はOKよね?

ミサトさんの分が用意してあるけど・・・。

どうせ起こさなきゃ昼まで寝てるんだから、構わないわよ。

 ミサト、御免。でも許してくれるでしょ?
何だかあの光の中で、あたし自身が変わったような気がする。
あたしが見た夜明けの風景は、あたしの心の風景だったのかもしれない・・・。

夜明けの向こうに待っていた新しい世界、新しい自分。
あたしは今、生きてて良かったと改めて思う・・・。


筆者後書き
 このところ久々に製作時間が取れて嬉しいMoonstoneです。ああ、またもや間が開きすぎてしまいました。すみません。m(_ _)m
さて、今回のアスカ編はレイ編と見比べながら製作しましたが、立場を変えて書くというのはなかなか難しいです。
でも、時間はかかりましたが情景を思い浮かべながら楽しく書けました。この作風は大事にしていきたいです。
 次回はいよいよシンジ編です。どうして二人を夜明けの散歩に誘ったのか、その辺りを中心に書こうと思います。
最後に一つ。今回もレイ編同様、秘密を盛り込んであります。


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