written by Moonstone
大地を押し潰さんばかりに低く垂れ込めた暗雲が、雨の到来が近いことを告げている。
ある人はこうなることを予測していたのか、持っていた傘を一瞥するだけで特に焦る様子はない。
またある人は空を恨めし気に見やりながら帰路を急ぎ、或いは雨宿りする場所を探す。
天気予報では告げられなかった雨。それも絶好の秋晴れから一転する形での到来。
久しく季節を感じなかった人々は、秋の天候が変わり易いことを忘れていたようだ。
数個の雨粒が乾いたアスファルトに小さな染みを作る。
次第に染みの数が増え、やがて至る所に小さな水溜まりが生まれる。
水溜まりに描かれる波紋が加速度的に多く、大きくなっていく。
勢いを増すばかりの雨脚に、殆どの人は服や荷物を濡らしながら逃げ惑う。
本当の地面が剥き出しの「貴重な」場所である公園は、水溜まりが重なってさながら沼や湖の様相を呈している。
買い物袋を抱えた白髪の男が、バシャバシャと水面を弾けさせながら懸命に走って来る。
どうにか小さな屋根付きのベンチに辿り着き、腰を下ろして大きな溜め息を吐く。
「やれやれ。にわか雨とはついてないな。」
ハンカチで顔を拭う男の名は冬月コウゾウ。新生Nervの司令に就任した男。
今は本来、冬月が外出している曜日や時間帯ではない。
副司令の葛城ミサトをはじめとする職員に勧められる形で有給休暇を取ったは良いが、暇を半ば持て余し
、
久々の買い物に出かけた帰りににわか雨に見舞われ、自宅から近いところにあるこの公園に辿り着いたのだ。
冬月は弱まる気配のない雨脚をぼんやりと眺める。
昼間に雨が降るのを見た記憶は、冬月には随分遠い日のことのように思える。
日夜研究室で本を広げていた頃、窓の外の風景を見ることは少なかった。
地中深くに座するNervに入ってから、外の様子を眺めることはより少なくなった。
スクリーンを介して見るもの言えば、奇怪な姿の「使徒」なる敵と、それを迎え撃つ「エヴァンゲリオン」なる兵器との戦い。
昼間降る雨を見られることは、実は平和に身を委ねられるからこそ出来る至高の「贅沢」なのかもしれない。
冬月は雨雲を見あげる。絶え間なく降り注ぐ雨粒の勢いは衰える気配を見せない。
大地に生まれた水溜まりに幾つもの同心円状の波紋が描かれる。
木々が雨に打たれ、幹がその色を濃くし、色を変えた葉が辛うじて枝との繋がりを保っている。
どうやら暫くベンチに留まらざるをえないようだ。
諦めとも喜びとも就かない溜め息を吐いた冬月の視界に、小さな人影が映る。
「・・・あれは・・・?」
冬月は目を凝らす。公園の木々の中でも一際大きなトネリコの大樹の下に、誰かが一人佇んでいる。
その人影は冬月に横を向けた格好で俯き身動き一つしない。
枝葉の間を通り抜けた、或いは葉や枝の先で凝縮された雨粒に晒され続けている。
様子がおかしい。そう感じた冬月は少し服が乾き続けたのも構わず、その人影の元へ走る。
冬月が水溜まりを蹴りながら近付いても、その人影は立ち往生したかのように俯いて佇んだままだ。
近付いてみてはっきり分かったが、その人影はどうやら女性のようだ。
変に思われないように、冬月は人影と少し距離を置いたところで立ち止まり、呼吸を整える。
激しい雨粒に打たれながら、冬月はその人影に歩み寄る。
「どうしたのかね?」
冬月が声を掛けると、少しの沈黙の後、その人影が冬月に顔を向ける。
その顔を見て、冬月は思わず驚きの声を上げそうになる。
小さな水流を滴らす、肩口で切り揃えられた黒髪の向こうから覗いたその顔は、教え子の女性−碇ユイを彷彿とさせるものだった。
だが、かつて冬月を惹きつけたユイの快活な笑顔とは明らかに違う。
痛々しいほどに悲痛な瞳は紅く染まり、頬は生気を失い青白い。
泣いた、いや、泣いていたのだろう。雨に晒されたことで涙の流れはかき消されたようだが、その表情が痛切に物語っている。
その女性は冬月の方を悲しげに見詰めるだけで、小刻みに震える唇は開こうとしない。
仕事以外で女性と話すことなど滅多にない冬月は、予想外の事態にどう対処するべきか、必死に思考を巡らせる。
「・・・こんな吹き曝しの所では、雨宿りにはならないと思うんだが・・・。」
女性を下手に刺激しないようにと冬月が思考の末に投げかけた言葉は、当たり障りのないものだった。
女性は何も言わず、ただ黙って冬月を見詰める。何かを訴えかけるような、悲しみ溢れるその瞳で。
「・・・向こうに屋根付きのベンチがあるから、そこで雨宿りしてはどうかね?」
冬月の勧めに、女性は力なく首を横に振る。
「・・・しかし・・・このままでは・・・。」
どうにか事態を打開しようと言葉を捜す冬月の耳に、微かな声−音と言うべきか−が届く。
「・・・て下さい。」
「え?」
「・・・放っておいて下さい・・・。」
僅かに動いた女性の口からは、自暴自棄の念が篭った言葉が飛び出す。
しかし、だからと言ってこのまま立ち去れる冬月ではない。
「そうもいかないのだ。」
「・・・どうして?」
「放ってはおけない。それだけだよ。」
雨脚は衰えるどころか、外に居る者を嬲るかのようにさらに強まる。
空を重苦しく埋め尽くした雨雲は、奥に封印した太陽を解放する気配はない。
どうやらこの雨は単なる気まぐれや通りすがりではなさそうだ。
「さ、こっちへ。」
冬月は意を決したように女性の手を取る。
女性は意外にも驚いたり、抵抗したりする素振りを見せない。
いや、されるがままと表現した方が良いかもしれない。
冬月は女性の手を引いて走り出す。女性は引かれるままにその後を追う。
水煙に霞む公園に刻み込まれる二人の足跡。
それは激しい雨にその形を崩し、近くの水溜まりに飲み込まれていく。
公園から徒歩圏内の閑静な住宅街から、元々少ない人通りが途絶えて久しい。
その一角に最近新築したばかりの冬月の自宅がある。
冬月は玄関の鍵を開けて先に女性を入れる。雨模様らしく昼までも室内は薄暗い。
床に足跡を描きながら冬月は居間に走り、ここ暫く使っていなかったエアコンの電源を入れる。
そしてその足で浴室へ走り、湯沸かし器のスイッチを入れる。
女性は全身から水滴を滴らせ、玄関で立ち尽くしていた。
冬月に連れられて来る時から、その顔が正面を向くことは一度もなかった。
「上がりなさい。遠慮は要らんよ。」
冬月が駆け寄って声を掛けると、女性はゆっくりと靴を脱いで上がる。
緩慢なその動きからは生きている雰囲気が感じられない。無理矢理永遠の眠りから呼び覚まされた死者のようだ。
冬月はその肩を支えながら浴室へと連れて行く。
「このままでは風邪をひく。風呂に入りなさい。」
女性は小さく頷く。冬月は脇の箪笥から大きなバスタオルを取り出す。
「服はそこの洗濯機に入れておけばいい。後で毛布を持って来るから。」
女性は無言のまま、もう一度頷く。
冬月はバスタオルを脱衣籠に置くと、脱衣場から出てドアを閉める。
ようやく自分もずぶ濡れであることに気付き、買い物袋を台所に放り出して急いで自室へと走る。
秋雨の冷たさが身に染みる。急速に身体が冷えていくのを感じる。
自室に入った冬月はすぐに適当な着替えとタオルを取り出す。
重みを増して肌に纏わりつく服を脱いで、タオルで手早く全身を拭いて着替える。
畳に染みを広げる水浸しの服はそのままに、押し入れから毛布を取り出して脱衣場へ向かう。
ドアの前に来て、冬月はさすがにドアを開けるのを躊躇う。
くぐもった水音がドアを通して聞こえて来る。どうやら脱衣場にはいないようだ。
冬月はほんの少しドアを開けて様子を窺う。水音がはっきりと耳に届く。
中に入るのが躊躇われた冬月は、もう少し広げたドアの隙間から、毛布を脱衣籠目掛けて放り投げる。
脱衣籠に覆い被さるように毛布が乗りかかるのを確認して、冬月は慎重にドアを閉める。
冬月は台所へ向かう。机の上に横倒しになった買い物袋から食材が顔を覗かせている。
灯りを点けて食材を冷蔵庫に仕舞っているうち、冬月はこれからの対処についてあれこれと考える。
勢いとはいえ、自宅というプライベートな空間に女性を招きいれたことは、冬月にしてみれば非常事態と表現するのが適切だろう。
だが、Nervに電話して誰かに対処法を尋ねることはあまりにも馬鹿げているし、同時にそれは自殺行為に等しい。
経験の有無や回数を問わず、このような話に目を輝かせる人間は多い。Nerv職員もその例に洩れない。
一息つかせて落着いたところでタクシーでも呼んで送り届けよう。
冬月は使用頻度の高い台所用品の一つであるコーヒーメーカーでコーヒーを沸かしながら、一つの対策を纏める。
コーヒーが出来上がった頃、ドアが開く音が聞こえて来た。
冬月は二人分のカップをテーブルに置くと、脱衣場へ向かう。
ドアの隙間から頬に赤みの戻った女性が顔を出している。
「もういいのかね?」
冬月が尋ねると、女性は声の方を向いて小さく頷く。
「じゃあ、そこを真っ直ぐ行った所にある居間で待っていてくれ。すぐ行くから。」
冬月が居間の方を指差すと、女性はもう一度小さく頷く。
冬月は台所に戻り、コーヒーをカップに注いで砂糖と共にトレイに乗せる。
トレイは勿論、自分が使うもの以外のカップが棚から出されるのは随分久しぶりのことだ。
ユイがかつて自分の研究室を訪れた時にコーヒーを振る舞った、セピア色の記憶が冬月の脳裏に蘇る。
あれから幾星霜の時が流れた今、ユイの面影を湛える女性にコーヒーを振る舞うのは何かの巡り合わせだろうか。
冬月はトレイを両手に持つと、女性が待っているであろう居間へ向かう。
閉じられたドアの向こうで、女性はどうしているのだろうか。冬月はそんな事を思いつつドアをノックする。
別に自宅でノックする必要などないのだが、やはり無意識の内に緊張しているようだ。
だがドアの向こうからの返事はない。
冬月はトレイをひとまず床に置くと、ドアをそっと開ける。
南向きの窓と向かい合う形でソファに腰掛けた女性の頭が見える。
冬月は再びトレイを両手に持つと、ドアを身体で押し開けながら居間へ足を踏み入れる。
「待たせたね。」
冬月が声を掛けると、女性は顔を上げて冬月を見る。
頬に赤みが戻ったとはいえ、悲しみに満ち溢れたその瞳からは、未だ生きている雰囲気が感じられない。
冬月は女性の木製のテーブルにトレイを置き、カップと砂糖を取り出して脇に退ける。
女性と向かい合う形でソファに腰掛ける。女性は再び視線を床の方へ落としている。
「冷めないうちに飲みなさい。冷えた体は内側から温めるのが一番だよ。」
冬月がコーヒーを勧めると、女性は全身を包み込む毛布の隙間から手を伸ばす。
肘の辺りまで覗いた白い腕がやけに冬月には眩しく見える。
女性はカップを手に取ると静かに口へと運ぶ。
それを見計らって、冬月もコーヒーを一口飲む。
喉を通って体内に注ぎ込まれたコーヒーの熱が、冷え切った身体にじんわりと染み透る。
冬月はカップをテーブルに置いて女性の様子を窺う。
カップは先にテーブルに置かれていて、力なく俯いている。
「・・・口に合わなかったかね?」
冬月が問い掛けると、女性は無言のままで首を横に振る。
「なら良いんだが・・・。」
そうは言ったものの、冬月はほとほと困り果てていた。
全くといって良いほど口を開かないため、何を考えているのか知る由もない。
かといってあれこれと問い質すような事は女性の様子を考えると出来ないし、それは冬月の性に合わない
。
八方塞がりになった冬月は、膠着した事態の打開に向けてひとまず行動に出ることにする。
行動とは言っても洒落た言葉や演出など知らない冬月が出来ることといえば、差し障りのない会話をする程度だ。
だが、ここから人間関係の第一歩が始まるといっても過言ではない。
「自己紹介がまだだったね。私は冬月コウゾウという。」
「・・・進藤・・・春香です。」
未だ衰えを知らずに降り続ける雨音にかき消されるような声だったが、女性は確かに口を開いた。
冬月は妙な感動すら覚える。
「進藤さん・・・で良いかな?暖房を入れたんだが寒くないかね?」
「・・・いいえ・・・。」
「そうか。服が洗濯されて乾くまで、ここでゆっくりしていきなさい。」
進藤春香と名乗ったその女性は、再び口を閉ざす。
何か気に障ったか、と冬月は自問する。
もしかして見ず知らずの初老の男性に連れられるままに家に入ったことを実感し、警戒心が芽生えてきているのかもしれない。
そう推測した冬月は、どうにかしてその警戒心を解こうと試みる。
「そう心配しなくてもいいよ。服は乾いたらきちんと返すし、タクシーを呼んで家まで送らせるから。
」
「・・・。」
「いや、変な意味で言ったのではなくて、その、何と言うかだね・・・。」
春香の俯いたままの沈黙に焦りを感じ始めた冬月。
次の言葉を必死に考える冬月の耳に、春香の消え入るような声が届く。
「・・・どうなってもいい・・・。」
「?」
「・・・もう・・・どうなってもいい・・・。どうなったって・・・私は・・・。」
うわ言のように繰り返しながら、不意に春香が勢い良く立ち上がる。
突然の春香の行動に、冬月は猛烈な緊張感に縛り上げられたような気がする。
春香はいきなり冬月に抱き着く、いや、飛び掛かる。予想外の事態に冬月は硬直する。
春香を包んでいた毛布が肩から背中の辺りまではだけ、木目細かい白い肌が顔を覗かせる。
「き、君?!」
「私を・・・抱いて下さい。」
「?!」
「どうにでもして下さい・・・。私なんか・・・どうなったっていいんです・・・。」
春香の華奢な体が小刻みに震えている。彼女は自暴自棄になっていると冬月は改めて悟る。
だが、冬月は程なく冷静さを取り戻すと、ずり落ちた毛布を春香の肩に掛ける。
「・・・進藤さん。自分を粗末にしてはいけない。」
「どうして・・・どうしてそんなこと言うんですか?」
「どうしたも何も・・・。」
「いいんです。私なんか死んだ方がましなんです!もう生きていたくないんです!」
冬月の表情が俄かに険しくなる。
パシンと乾いた音が居間に響く。春香の顔が横を向く。
「君は・・・今言ってはならないことを言った。」
「・・・?」
「『死んだ方がましだ』『生きていたくない』この言葉は今を生きる全ての生命に対する侮辱だ。」
冬月は春香の肩をしっかりと掴み、その瞳を見据えながら言葉を続ける。
春香はぶたれた痛みなどすっかり忘れ、吸い込まれるように冬月の瞳を見詰める。
「君に何があったのかは知らない。聞こうとも思わない。だが、たとえ何があっても、自分の生命を投げ捨てることは許されない。
病気や貧困で生きたくても生きられない人も大勢居る。死ぬことを望むなど、生きられる人間がする許されざる生命の浪費だ。」
冬月は怒気の篭った口調を徐々に抑え、春香に諭すようなそれに代えていく。
「私は望まぬ死に幾度となく直面させられた、年端も行かぬ若者を知っている。だが、彼らは懸命に生きた。
生きることに必死に執着した。そして彼らは生き延びた。今の君の言葉を聞いたら、きっと彼らは激怒するだろう。」
「・・・。」
「生きてさえいれば、きっと何時か、生きていて良かったと思える時が来る・・・。」
春香の瞳に涙が溢れる。唇が震えている。今にも破裂しそうな感情を必死に抑えているのが分かる。
冬月は先程までとは打って変わった優しい表情で、春香に語り掛ける。
「泣きたい時は泣いた方が良い。感情を現せるのもまた、生きている証なんだから。」
冬月の言葉が起爆剤になったのか、春香の目から感情の激流が溢れ出す。そして口からは慟哭が迸る。
感情を曝け出した春香を冬月は無言で抱き寄せ、その髪をそっと撫でる。まだ水分を含んだ髪が冬月の指に絡み付く。
泣きたくても泣けない時もある。泣ける時に泣いた方が良い。
冬月は荒れ狂う感情の激流に翻弄される春香を包むように抱き締めながら、そんな事を思う。
歴史の激動を生き抜く中で忘れ去った自分の感情を懐かしんでいたのかもしれない。
大地を激しく打ち付けていた雨粒が、徐々にその勢いを失っていく。
重苦しく大地に覆い被さっていた雨雲のあちこちに、光の亀裂が生まれる。
春香の心で吹き荒れていた嵐も、窓の外の風景に合わせるかのように収束に向かう。
春香は時折身体を小さく振動させながら、ゆっくりと冬月の胸から顔を上げる。
「・・・少し・・・楽になりました・・・。」
「そうかね。それは良かった。」
充血した瞳を軽く擦る春香だが、先程までとは違い、その顔には生きている雰囲気が戻り始めている。
流した涙が、心にあった絶望というよどみを押し流したのだろうか。
「・・・横、良いですか?」
「ん?あ、ああ、構わんが・・・。」
春香の意外な申し出に、冬月は中途半端な受け答えしか出来ない。
だが、春香は家に連れられてきた時とは別人のような動作で、冬月の脇に腰掛ける。
電灯を点けなけ
れば薄暗かった室内に柔らかい日差しが溶け込んで来る。
冬月は少しの間、室内の時間が止まったような気がする。
「私・・・失恋しちゃったんです・・・。」
静止した沈黙の時間が終わると、春香は少し俯き加減に話し始める。
その声は多少の感情の残響は残るものの、随分はっきりとしている。
「一年前から付き合っていた人が、このところ余所余所しくなって・・・。どうしてか聞きたくて、何度も電話しました。」「・・・。」
「でも・・・殆どは留守電で、たまに出たと思ったら『今忙しい』とか言われて・・・。
きっと彼は大変なんだ、そう思って寂しいのを我慢してきました。ずっと・・・。」
冬月は真情を吐露する春香の横顔をじっと見詰め、その話に無言で耳を傾ける。
相槌を打つことも、詳細を問い質すこともせず、ただ、春香が話すままを聞く。
「意を決して彼の家に押しかけたんです。二ヶ月も会ってなかったから、せめて一目会いたくて・・・。
でも・・・私を迎えたのは・・・私が見たこともない・・・別の女の人でした・・・。」
「!」
「彼が奥から出てきて、私に言ったんです・・・。『見ての通り、お前以外に好きな女が出来て一緒に住んでいる。
だから、もうここには来ないでくれ』って・・・。」
「・・・。」
「私、忙しいって言うから会いたいのも我慢してたのに、どうしてそんな事言うのかって聞きました。そしたら彼は・・・『お前と付き合っててもつまらない。つまらない女と付き合うのはもう疲れた。』って言って・・・追い出さ
れてしまいました・・・。」
春香の瞳に、再び押し寄せてきた感情の怒涛の兆しが浮かぶ。
思い出して語るにはまだ早すぎる心の傷。聞いていても余りに痛々しい。
「無理に・・・話さなくても良いよ。」
「いえ・・・いいんです・・・。気付いたらあの公園に居ました・・・。何処をどうやって歩いたのか分かりません
。
あの大きな木の下で色々考えているうちに・・・、どうして良いか分からなくなって・・・。」
「それで・・・
雨が降って来たのも気付かずに泣いていたんだね?」
春香は無言で頷く。冬月は突然に残酷な別れを突きつけられた春香の心情を察し、胸を押し潰されそうな感覚を覚える。
体を容赦なく打ちつける激しい雨とその冷気すら感じさせないほどの深い悲しみと絶望感。
それを考えると彼女が自暴自棄になったのも頷ける。
同時に厳しい口調で彼女を嗜めたことがチクリと冬月の胸を刺す。
春香は溢れそうになった涙を手で拭う。音を立てないように鼻を啜る。
傍らに冬月が居ることを多少なりとも気にかけるゆとりが生まれてきているのだろうか。
「このまま消えてなくなってしまえばどんなに楽かとも思いました・・・。いっそ死んでしまいたい、どうなってもいいって・・・。
でも・・・死んだらそれで終わりなんですよね・・・。冬月さんのお話を聞いて・・・分かったんです・・・。」
「君はまだ若いんだ。死を考えるのは、私くらい歳を食ってからでも十分間に合うよ。」
「そんなお歳には見えませんよ。」
「ははは。そう言われて嬉しく感じるようでは、私も歳を取った証拠だな。」
冬月が笑う。春香もそれに誘われるように微笑みを浮かべる。
その表情がユイの面影と見事に重なり合う。あの懐かしく、淡い思い出の数々と共に。
二人に出会いの時をもたらした雨雲は光の剣に切り裂かれて飛散し、代わりに秋特有の高い空が聳(そび
)え立つ。
エアコンの温風が止まった室内には、二人の笑い声が心地良い響きを産む。
背後から二人を照らし出す日差しが、優しく二人を照らし出す・・・。
to be continued
筆者後書き
長らく「オヤジの日」を欠席していたMoonstoneです。日付はずれましたが(^^;)。
今回は前から書きたかった、冬月が主役のお話です。
年齢が離れた二人の淡い恋物語を描きたいと思っていましたが、冬月が最も適任かと(^^;)。
企画連動ものでは初の前後編構成(予定)ですので、以降の二人に注目して下さい。m(_
_)m
今回のヒロインである進藤春香はそれなりの由来があります。「春香」は俊弥様の作品「春のあしおと」で
、
冬月の相手役として登場するキャラクターです。ででん様の作品「贋作の嵐」で名前のみ初めて目にして
強く印象に残った名前でして、今回使わせて頂きました。俊弥様に深謝します。m(_
_)m
で、進藤ですが・・・これは分かる人には分かるのでは?名前の「春香」とぴったりだと私は思っています
(^^;)。
Moonstoneさんへの感想メールをお願いします!
tomonori@ims.ac.jp
までお願いします。