新世紀エヴァンゲリオン Side Story

Rose Rouge

綾波レイ誕生日記念SS〜或いはこんな未来〜

written by Moonstone

 レースのカーテンを通して部屋に溶け込む柔らかい日差し。かつては容赦なく大地に照り付けた陽光に、表情が戻って久しい。
厳しい風雪に堪え忍んでいた草木が、陽光の指揮に誘われて一斉に歓喜の花弁を広げる季節。
身を切り裂くような冷気の中で体を膨らませていた鳥達が、眩い天の宝玉に向って羽を広げる季節。
 かつてはコンクリートの外壁と床とごく僅かな家具に、厚いカーテンの隙間から常夏の日差しが微かに潜り込んでいた
生活の匂いがまるでない、殺風景な常夜(とこよ)の世界だった部屋。
今では若草色の絨毯が敷き詰められ、中央には小さなガラスのテーブルと、ペアのクッションが置かれている。
鈍い白銀色だけを湛えていた台所には冷蔵庫や電子レンジ、オーブンといった家電製品も並んでいる。
真新しい戸棚では、食器や調味料が少しずつその数を増やしている。
そして何より違うのは・・・部屋の片隅に置かれた小さな鏡台。
観音開きに開かれたその鏡に、うら若き部屋の住人の姿が映る。
 部屋の住人の名は綾波レイ。
ベージュのパジャマに白色の大きなバスタオルを首にかけたレイの肌は、素焼きの陶器のような白さにほんのりと桜色が上塗りされている。
水分を吸い込んでしっとりとした蒼色の髪が、陽光を受けて宝石のような煌きを生む。

 レイは鏡台の前を通り過ぎ、髪をバスタオルで軽く拭うと、予めベッドの上に出しておいた服に着替える。
髪の色に合わせるかのような薄いブルーのワンピース。かつては着ることも、興味を示すこともなかった服。
 レイは鏡台の小さな椅子に座り、鏡に映る自分を見詰める。
鏡台のある位置は、かつてレイに妻の姿を追い求めた男との「絆の証」が納められていた戸棚があった場所。
だが、今やその「絆の証」は男との「決別の証」として湖の底に沈んでいる。
 櫛を手に取って少し乱れた髪を梳く。艶のある髪は絡まることなく整えられていく。
いつもより念入りに髪を梳くと、引き出しから美しい細工が施されたイヤリングを取り出し、鏡を見ながら耳朶に着ける。
そして今日は・・・もう一つの引き出しから、小さな筒状のものを取り出す。
筒の底部を数回回すと、赤色というより紅色の部分が顔を出す。
 「British Rose」という名のこの口紅は、この日初めて唇に触れさせる。
それは今日を溯ること半月程前、改めて想いを伝えた彼からこの言葉と共に受け取った宝物。
レイがもっともっと奇麗になるように・・・。  レイは鏡を見詰めながら注意深く真新しい口紅を唇に触れさせる。
口紅をゆっくり動かしていくと、柔らかい唇が弾み、鮮やかな、それでいて目障りでない薔薇色が重ねられていく。
上側を彩り終えると、続いて下側を彩る。
レイは無意識に前のめりになり、特徴的な紅い瞳も真剣に口紅の動きを追う。
 口紅が唇の上を通りすぎると、唇全体に紅色が上塗りされたのが分かる。
レイは上下の唇を軽くきゅっと結び、口紅の塗り斑を整える。
小さなティッシュを1枚取って、撫でる程度に唇を拭う。
その名に相応しい薔薇色が嫌みなく、自然に映えている。
 レイは今日、この口紅を使い始めようと決めていた。
今日は、この口紅をプレゼントしてくれた彼との何度目かのデートの日。そして・・・
初めて彼と二人だけで祝う、レイの17回目の誕生日・・・。


お待たせ。シンジ君。

レイ。・・・あ、今日の口紅違うね。

ホワイトデーに貰った口紅、今日初めて塗ってみたの。

良く似合ってるね。奇麗だよ。

・・・嬉しい・・・。

 レイが彼−碇シンジ−とデートをするようになって以来、早2年が経とうとしている。
シンジは心身共に深く傷付いたかつての同居人の少女−惣流アスカ−の病床にずっと付き添っていた。
未来永劫眠り続けると思われていたアスカが目覚めた時、シンジは我が事のように喜んだ。
 だが・・・アスカはシンジを固く拒み続けた。ある時は罵りで、ある時は暴力で。
シンジはこれが贖罪だと言い聞かせ、理不尽ともいえるその仕打ちに耐えた。
それでもなお、アスカはシンジを受け入れることを拒み続けた。日に日に酷くなるアスカの罵りと暴力。
 そしてある日、シンジは深い絶望と共にアスカの元を去った。
自らの無力さと卑劣さを責め続けるシンジが求めたのが・・・レイだった。

居たいなら・・・居ても良いわ。

 シンジの心中を象徴するような空を覆う暗雲と豪雨の中、部屋を訪れたシンジに、レイはそう告げた。変わらぬ表情のままで。
1年間続いた同居生活で、二人は少しずつ表情を取り戻していった−レイは獲得したというべきか−。
そして二人の間に、ぼんやりとして苦しく、それでいて心地良い不思議な感情が芽生えていった。
 その感情が何であるかを二人が知ったのは、皮肉にも二人が共に暮らすきっかけを作ったアスカが、退院してレイの部屋を訪れた時だった。
傲慢ともいえる言葉と共に強引にシンジを連れ帰ろうとするアスカ。
混乱する感情の渦に翻弄され、苦悶の表情を浮かべるシンジ。
傍観しているように見えたレイの口から、強い意志の篭った言葉が突いて出た。

碇君を拒んだ貴方に・・・碇君は渡さない。

 呆然とするアスカ。アスカは激しい罵りと暴力とは裏腹に、それを受け止めてくれたシンジを求めていた。
だが、レイとの間に芽生えた感情に気付いたシンジは、自分の腕を掴むアスカの手を振り払った。
乞うように愛されることを求めた少年と、自ら創った心の壁に突進し続ける愛を求めた少女との間に決定的な溝が生じた瞬間。
シンジが久しく戻らなかった「他人」との住処を離れ、「一人」の暮らしを始めたのは、それから間もなくのことだった。
 「一人」は「独り」ではない。
レイとシンジは互いに家を行き来し、料理を食べ、本を読み、音楽を聴き、そして語り合う。
日常の些細な話題の中に僅かに混ざる、未来の夢。
他愛もない日常の一こまでも、誰も知り得ない未来でも、思うが侭を語り、聞くことができる。
だから「独り」ではない。二人はそれを知っている。
それを知ったからこそ、今の二人の関係がある。
 ベージュのブレザーに純白のシャツ、グレーのズボンという服装のシンジが、レイの手を取る。
繊細な中に力強さが混じる手の感触に、レイは頬を少し赤らめ、軽くそれを握りかえす。
それを合図にするかのように歩き始める二人。
2年という年月を感じさせない初々しさに、それを目にした人も何処となく清々しい気分を感じる。


 二人が訪れたのはこの日初日を迎える管弦楽団のコンサート会場。
中に入った二人は、正面やや後方の指定席に並んで腰掛ける。
オレンジ色の柔らかい光に照らされた会場内には、小波のようなざわめきを漂わせている。
ゆったりとした待ち時間。シンジはふと隣のレイを見る。
正面の舞台を見詰めていたレイが、シンジの視線に気付いたのか、ゆっくりと振り向く。

何?シンジ君

ん・・・奇麗だなって思って・・・。

口紅が?

レイが。

 レイは再び正面を向く。少々俯き加減で薄く朱色に染まった頬が、その感情を如実に物語っている。
シンジには、レイのこんな微妙な変化を見せる仕草が魅力的でたまらない。
 会場の照明が落とされ、お決まりのアナウンスの後、降ろされていた分厚い真紅の幕がゆっくりと引き上げられていく。
拍手と共に迎えられる管弦楽団と指揮者。黒の衣装が白色の照明に映える。
 拍手が遠ざかり、やがて消える。
静まり返った闇の中に、柔らかい音色が浮かび、そして消えていく。
揺り篭に揺られるような心地良い気分に浸る二人。
シンジの左肩に微かな重みが加わる。
レイの蒼い髪がブレザーの肩口にふわりと広がる。
瞳と唇が僅かに届く舞台の照明を反射して、艶っぽい輝きを見せる。
シンジは自分の手を覆うように重ねられたレイの手に、そっと指を絡ませる。
レイの指がそれを受け入れるかのように開き、シンジの指に絡む。
二人の手に少し多めの力が篭る。互いの手の感触と温もりが伝わって来る。
 フレーズが緩やかな坂道を登り始める。眼を閉じて聞き入る二人。
眠っているわけではない。しかし、眠っているような気分。
二人が常に盛り上がることを要求されるライブではなく、兎角「退屈」「固い」と敬遠されるこのようなコンサートを
頻繁にデートコースに組み込むのは、二人でこの気分を感じたいためだろう。
 大きく波打つような抑揚が観客席に寄せては引く。
二人は眼を閉じたまま、深く、ゆっくりとした呼吸で音の干満に身を委ねる。
固く結ばれたままの二人の手は、波間に戯れる中でも離れることはない。
そう、激動の時を乗り越え、やがて芽生えた二人の想いを象徴するかのように・・・。

 指揮者のタクトが大きく振られ、最後の音節が鳴り響く。
一斉に沸き上がる拍手と歓声。二人も一時手を離して賞賛の拍手を贈る。
時間にして2時間。二人は打ち寄せる音の波と戯れ、身を委ねていた。
心地良いけだるさが全身に染み込んでいる。
 何回かのカーテンコールの後、ようやく拍手と歓声が収束の気配を見せる。
再び舞台に真紅の幕が降り、オレンジ色の照明が灯る。
観客が少しずつ席を立ち始めた頃、二人はゆっくりと立ち上がる。
二人の手は再びしっかりと結ばれる。


 日が大地に別れを告げ、夜が再開の挨拶を空に広げていく。
レイとシンジの二人は揃ってレイの家に戻ってきた。
二人のデートでめぼしいスポットといえば、せいぜいコンサートくらいのもの。
後は街や公園を語らいながら歩くだけだ。
時に遠出をすることはあっても、場所が変わるだけでデートの内容は変わらない。
傍目には退屈に思えるデートだが、世間の流行に殆ど関心のない二人は肩肘張らずに二人の時間を満喫する。
 そして最後は、どちらかの家で摂る二人だけの食事。
この日はレイの誕生日ということで、シンジが腕を振るう。
台所で手慣れた段取りで料理を作るシンジの後ろ姿を、レイは小さなガラスのテーブルに片肘を突いて見詰めている。
バックに流れる、少しボリュームは控えめのクラシック音楽。
 程なくシンジがトレイに料理を盛り付けた皿を乗せて運んで来る。
小さなテーブルに収まりきらない程の、豪華な、そして温かい食事。
かつては食事など呼吸をする程度で、さして意識することもなかったレイ。
今は温かい手作りの食事を、愛しい相手と二人で食べる喜びを知っている。

美味しそう・・・。

いつも以上に力が入ったんだ。

私の誕生日だから・・・?

そうだよ・・・。改めて・・・レイ、誕生日おめでとう。

ありがとう・・・。シンジ君。

 二人が名前で呼び合うようになったのは、昨年のレイの誕生日以来のこと。
パーティーの席上、「恋人同士なら、名前で呼び合わないと」とケンスケが言い出したのがきっかけだった。
長く姓で呼び合ってきた二人は、当初かなりの違和感を持った。
だが、回数を重ねるに連れて、自然に互いの名前を口に出来るようになった。
 二人は食事を口に運ぶ。
昨年の今日はパーティーの出席者−アスカは居なかった−に振る舞われたシンジの料理。
壮絶ともいえる盛り上がりの中であまり口に出来なかった料理を、今日は存分に味わえる。
高価なプレゼントがある訳でもない。名立たるレストランで優雅な気分を味わう訳でもない。
世間では半ば当然のように言われるお決まりの演出でない、手作りの祝福が、レイには何よりも嬉しい。
何時死んでも代わりが居たかつての自分とは違う。
表情も感情も涙の意味も分からなかったかつての自分とは違う。
たった一人の自分を、愛される喜びが分かる自分をレイは感じる。

人って、食事から色々なことを知るのかしら?

そうだね。栄養だけじゃなくて、生きるために欠かせない何かも取り入れている・・・。

だから私達は・・・笑えるようになったのね。

きっと・・・そうだよ。

 1年の同居生活の間、二人は食事を共にしていた。
絶望一色に塗り潰されたシンジが生きる気力を取り戻したのも、
3人目になって全てが白紙に戻ったレイが感情を獲得したのも、
生きるために食べていた食事から、それらを取り入れたからなのかも知れない・・・。

 食事を終えた二人はクッションを並べて座る。
テナーサックスの音色が甘い雰囲気を醸し出す中、シンジの肩に身を委ねるレイ。
今日何度めかの想いの結いを見せる二人の手。
手を取り合う時、二人の口数は自然と少なくなる。
二人の絆が結ばれている時、言葉は要らないのかも知れない。
 レイがシンジの肩から起き上がる。
ふと肩の重みが消えたことに気付いたシンジは、レイの方を振り向く。
シンジとの絆を結わえる手と違う、もう片方のレイの手が、シンジの頬に添えられる。
シンジの頬に伝わる柔らかい感触。 紅色の小さな薔薇が、シンジの頬で花開く。
 薔薇の背景の滑らかな白に、薔薇の色とはまた違う薄い紅色が浮かぶ。
レイにしては珍しい「積極的な」行動。
レイの突然の「積極的な」行動に、さすがにシンジは戸惑いを隠せない。

ど、どうしたの?突然・・・。

口紅が乾かないうちに、ね。あ、触っちゃ駄目。

今までレイの方からしたことなかったよね。

たまには私からしても良いでしょ?

 悪戯っぽく笑うレイ。シンジが今日初めて見る新しいレイの表情。
シンジはまだ柔らかい感触が残る頬を気にしながら、恥ずかしそうに笑う。
 レイはもう一度シンジの頬に手を添え、唇を近付けていく。
首筋に感じる柔らかく、温かい感触。
頬に咲く薔薇よりほんの少し色が薄くなったもう一つの薔薇が花開く。
 シンジは全身が内側から燃え上がるような感覚を覚える。
花言葉を裏打ちするような熱い想いが薔薇色の唇を通して伝わって来る。
体の奥底から突き上がって来るような何かを感じるシンジ。
レイを見ると、その頬が赤味を増している。
昂ぶる感情の液体に浸された真紅の瞳が、光を受けて鮮やかに煌く。
虜にされそうな、虜にされたいと思わせる妖しい魅力。
いつものレイと何処か違う、とシンジは思う。

ここにも・・・口紅つけてよ。

うん・・・。

 シンジは自分の唇を指し示す。
レイはシンジの頬に手を添えたまま、眼を閉じて唇を近付ける。
唇に伝わる柔らかくて温かい、そして少し異質な感触。
固く結ばれた二人の手に力が篭る。
シンジのもう一方の手が、レイの体を抱き寄せる。
 長いくちづけが終わる。シンジの唇に咲いた大輪の薔薇。
二人は同時に手の結いを解き、静かに、しかし強く抱き合う。

レイが今日初めて使った口紅。シンジから貰った大切な口紅。
レイが艶っぽさを帯びたのも、予期せぬ「積極的な」行動に出たのも、
シンジの熱い想いが口紅に篭っていたせいかも知れない。
「Rose Rouge」。それは・・・

想いを乗せる魔法の道具・・・。


筆者後書き
 何かと忙しさが続いているMoonstoneです。何が忙しいかって?まあ、色々と、ね(-ー-)。
それはさて置き、本作品は初挑戦のLRSです。レイが主役のSSはこれまで切ない役所でしたが、今回は存分に幸せを感じて下さい。
ちなみに登場する口紅の名前は架空です。実在するかもしれませんが、買う必要性が無いので知る由も有りません(断言)。
そう言えば、拙作群では「○○記念SS」はこれが初めてだと思います(企画ものはありますが)。
 私が書いたレイが主役のSSは、数こそ少なくても気に入っているものばかりです。レイは情景描写がし易くてそれが似合ってる(^^)。
・・・はっ、もしかして私は仮性アヤナミストなのでは?!(*o*;;)


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tomonori@ims.ac.jp
までお願いします。


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