「シ〜ンジ、私のお弁当は?」
赤毛猿が、私の碇くんに向かって偉そうな事を喚いている。耳障りな一言。
「はい、これ」
無言で赤毛猿は、碇くんが手にしたお弁当を奪った。目障りな光景。どうして、お礼を言わないの?もしも私が赤毛猿と同じ状況にあったなら、あんな事やこんな事もしてあげるのに。
それでも、碇くんが赤毛猿にお弁当を作らなくてはならないのは、現状では仕方が無いわ。だって碇くんは、赤毛猿に下僕としての誓いをしてしまっているから。
それから、碇くんは席を立つ。お弁当の包みを手にして。向かう先?無論、愛する私の元へよ。
「綾波・・・また作って来たんだけど・・・」
「・・・ありがとう・・・(ぽっ)」
嬉しいの・・・だって、愛夫弁当なんだから。
顔を真っ赤にして、碇くんはそそくさと私から離れ行く。そんなに照れなくても良いのに。
仕方なく、独り寂しく私はお弁当箱を開ける・・・まぁ豪華。
「・・・相変わらず貧相な弁当が好きなのねぇ・・・ま、私の分の残りだから仕方が無いわね」
うるさいわね、赤毛猿。わざわざ覗き込んで迄言う事じゃないでしょ。あんまりグタグタ抜かすんだったら、もう一度巨大化するわよ。
でも、今は碇くんが私の為に作ってくれたお弁当を食べる事の方が遙かに大事。だから赤毛猿を睨み付けるだけに止める。大体何処が貧相なの?そんな事言ってると、西瓜髭(加持)を代表とする農家の方々に殺されるわよ。←加持は農家じゃありません。
今日のお弁当は・・・白いご飯に梅干しと漬物と厚焼き卵と野菜のかき揚げときんぴらごぼう。これで甘いそぼろでハートマークでも描いてあれば完璧なのに。照れているのね、碇くん。
でも赤毛猿が言う様に、少し物足りなく感じているのは事実なの。
(私・・・お肉、食べられるのに・・・)
碇くんにそう言いたい。赤毛猿のお弁当みたいに、お肉を入れて欲しいの。でも、こんな会話になりそうで・・・。
『え?綾波ってお肉も食べられる様になったの?どんなのが食べたい?』
『(碇くんを・・・)良く判らないわ・・・司令の右腕しか食べた事が無いから』
又も碇くんのトラウマを抉ってしまいそうで・・・切り出す勇気がないの。だから、当分は菜食主義を貫かざるを得ないのね。
碇くんが、私の為に作ってくれたお弁当を口にする。お米の一粒を噛む度に、おかずの一品一品を食べる度に。私のお弁当にだけ施す、碇くんの愛情が口の中に広がる。幸せの時。至福の時。
そうよ・・・だから私は、一日も早く碇くんの愛情に応えなければならないの。
もう少しよ。悪夢の時が、永遠に続く事なんてないわ。言うでしょ、明けない夜は無いって。待っていてね、碇くん。着々と計画は進行しているから。
その名は・・・碇シンジ保管計画。命名者は私。
先ずは赤毛猿とアル中女に、ナルシスホモは言うに及ばず全ての使徒を一気にぶつけ、その混乱に乗じ碇くんを奪取するの。それから、二人の愛の巣・・・いいわね、この響き・・・田園調布に建設予定の綾波御殿で、二人だけの愛に満ちた生活を送るのよ。←こんなの計画っていいません。
絶対に、碇くんもそれを望んでいるわ。生活能力皆無者軍団の巣窟に、何時までも居たいと思う訳無いじゃない。←あなたも大差ありません。
私はそんな薄情な事はしないわ。ご飯を作ってくれるお礼は幾らでもするから。幾らでも私を食べさせてあげるから(ぽっ)。
そうよ。きっと碇くんも、それこそを望んでいるに違い無いのよ。
私の頭の中に、全裸の碇くんが居る。両手を広げ、微笑みをたたえ私にこう囁いている。
−綾波・・・ぼくと一つにならないかい?それは、とても気持ちのいい事なんだよ・・・−
あぁっ、碇くん(はぁと)!!
ぼんっ!・・・しゅうぅぅぅぅ・・・・
机に突っ伏して、頭から煙を立ち上らせる綾波レイ。感情に脳が付いて行けなくなり、熱暴走でもしたらしい。
「っ綾波ぃ!?」
「?・・・ファースト!?ちょっとアンタ、どうしたのよ!」
「綾波さん?・・・っ凄い熱よ!・・・」
「・・・!?」
「・・・!」
意識がどんどん遠くなって行く。みんなの喧噪が、ひどく遠い所から聞こえてくる感じがした。
けれども碇くんの声だけははっきりと聞こえる。それなのに嗚呼それなのに、碇くんは私の事を心配してくれていなかった・・・。蚊の鳴く様な声で、碇くんは幾度も幾度も繰り返し呟いている。
「・・・僕の料理の腕は、ミサトさんと同じだったんだ・・・僕の料理は、人を傷つける凶器なんだ・・・」
違うぅ、そうじゃないの。このままじゃ、又サルベージに一苦労する事になるわ。そんな事よりも・・・少しは私の事を心配してよぉ(しくしくしく)。
私の中で何かが切れる音が聞こえ、私の意識は闇の中に融け落ちる。そして今の私に、抗うだけの精神力は残っていなかった。
・・・お休みなさい・・・。
決戦!第三新東京市・・・再び 〜前編〜
「綾波、大丈夫なのかな?」
「今は眠ってる・・・みたい」
「みたいって・・・センセはおらんのかいな?」
「席を外していますって・・・すぐ戻ってくるみたいだけど」
「僕のせいだ・・・」
「おい・・・シンジ?」
闇を一身に背負うシンジに、声を掛けようとしたケンスケも引いている。トウジにしてもヒカリにしても、出来れば関わり合いたくないと言う顔をしていた。放っておくのはもっと不味いと言う義務感の様な物が、彼らをこの場に同席させているだけの事だ。
「何時まで落ち込んでるのよぉ、シンジぃ!ファーストがあんたのお弁当を食べたからって、別にあんたのせいって訳じゃ無いでしょぉ!?」
お気楽な大声で、シンジの背をばんばんと叩きながらアスカ様はシンジを慰める・・・いや、慰めているつもりらしい。
「・・・」
「?」
妙な空気を感じて、アスカ様が周りを見る。誰も目を合わせようとしない。シンジに至っては、顔の縦線が五本は増えていた。
(どう言う事?何か他に有ったのかしら?)
『・・・アスカ・・・それ、逆効果よ・・・』
ヒカリがアスカ様の耳元で、小声で囁く。
『え?』
『何も・・・改めて、碇くんのお弁当を食べたって事を言わなくても・・・』
『・・・あ!』
「うわああぁぁぁ!」
しまった!アスカ様の表情が、驚きと己の過ちに僅かに歪む。そして・・・まるでそれに呼応するかの様に。シンジは、又逃げ出した。
「僕が綾波を殺してしまったんだああぁぁぁぁぁぁぁ・・・!」
「ちょっと・・・シンジ!?」
アスカ様にも引き留める事が叶わない。全力で走り去るシンジを、呆気に取られて一同見送ってしまう。
・・・三十秒後。
「・・・殺したって・・・あらヤバいで!自殺でもする気なんちゃうか!?」
トウジが、最も早く立ち直った。その声で、アスカ様も我に帰る。
「鈴原、相田!手を貸して、シンジを追うから!」
「追い付ける訳あるか!それに、一緒に動いとったら時間の無駄やで!手分けしようや!ケンスケ、お前は森の方を捜せ!ワシは街を捜す!アスカはマンションに行け!いいんちょは、綾波の方を頼むで!」
言うが早いか、トウジは既に走り出している。完全に、シンジが自殺する事を前提とした行動だった。そんな細い神経の持ち主だったら、今までに何度自殺しているだろう。今この場にあるシンジが五人目か六人目と言う事になる。代わりが居れば、だが。
「じゃ、僕も行くよ!」
ケンスケも言うが早いか駆け出した。薄情者と罵られる事が怖いから・・・と言うのとは、少しだけ違う様だ。どうも、スクープ映像を押さえられるとでも思っているらしい。
「・・・ゴメン!ヒカリ、今度パフェでも奢るから!」
ヒカリの前で、一度手を合わせ。頭を下げてから、アスカ様もヒカリの前から去った。
「・・・そんな事、別にいいけど・・・本当に・・・どうしちゃったんだろう、綾波さん・・・」
一人保健室の前に残されたヒカリには、考える以外にする事が無い。
(・・・食あたりか何か・・・?でも、あの倒れ方って変よ・・・絶対)
「あら、どうしたの?えっと・・・洞木さん?」
呼ばれて振り返ると、そこには金髪で白衣を身に付けた女性が突っ立っていた。赤木リツコ。NERV技術顧問が本業ではあるが、ここではただの保健のおば・・・いや、お姉さんである。
「あ。赤木先生。あの、綾波さんが倒れて・・・」
「レイが?・・・ふぅん。それで、か」
「?他にも何か有ったんですか?」
驚くのでは無く、何かを理解したと言う口調に、ヒカリは疑問を口にした。
「さっきシンジくんを見かけたのよ。泣きながら、凄い勢いで走って行ったけど・・・そう言う事だったのね。取り敢えず、レイの様子を見るわ。レイが良くなれば、シンジくんも多分立ち直るでしょう。後は私の本来の仕事にもなるから、洞木さんはもう帰っていいわよ。・・・でも、そうね。気になるんだったら、後で電話でも入れるけど?」
「そうですか・・・判りました、では失礼します」
(パイロット三人組と違って・・・行儀がいいわねぇ・・・爪の垢でも煎じて飲ませようかしら?でも、それだったら薬で従順に・・・いえ、脳手術でロボトミー化も悪く無いわね)
赤木博士・・・あなたが言うと、洒落にならないです。
目が醒めると、私はベッドの上に寝されていた。私の視界には見慣れた天井が広がっている。ここ・・・保健室ね。
保健室・・・!反射的に私は時計を見た。午後四時三十分!背筋に冷たい物が流れる。不思議と身体が小刻みに揺れ出した。
不味い。私は、一気に身を起こした。この時間は、医務室にマッド赤木が居る。建前では私たちエヴァのパイロットをガードする為に、保険医としてNERVから出向しているんだけど・・・色々良からぬ噂は聞いているし体験している。
俗称行かず後家二号。因みにマッド赤木は通り名よ。役職はNERV技術顧問だけど、猫神教の教祖が本職らしい。怪しいヘッドギアや御神体と呼ばれる招き猫型洗脳ツールを用い、信者を続々と増やしているとも囁かれている。
そもそもインターフェースヘッドセットのデザインが猫の耳っぽいのも、単にマッド赤木の趣味で・・・なのよ。そうでも無かったら、もう少し取り付け易いデザインにするもの。
更に、NERVのマークも猫にしようと暗躍していたらしいわ。だから、髭司令に接近していたのよ。
その他にも恐るべき噂の数々が・・・駄目。これ以上は言えないわ、私の口からは。抹殺されるから・・・いいえ、死んだ方がマシって言う状況に追いやられるから。
恐る恐る、私は首を巡らせた。先ず右を向く。そこに有るのは壁。幾ら何でも居るわけが無いわ。じゃあ左・・・!!
「あら?ようやく目が醒めたのね、レイ」
優し気な笑みを浮かべるリツコ先生(って呼ばないと、はり倒されるの)。けれども今の私には、そんな姿も恐怖を呼び起こす。
「えっええぇ!もぉ大丈夫なのです!」
自分が動揺している事が良く判る。言葉使いが無茶苦茶。こんな言い方で納得する人はいないでしょうけど、これが目一杯の対応だった。
(あうぅ・・・何とかして逃げないと・・・実験材料は嫌ぁ・・・)
今迄の人体実験の光景が、走馬灯の様に脳裏を駆け巡る。でも、何故か肝心な光景にはモザイクがかかっていた・・・公表に堪えないのね。
「みんな心配してたわよ、レイが突然倒れたからって。シンジ君なんかすっかり憔悴しちゃって、精神汚染後のアスカみたいだったわ」
凄い例えをさらっと口にするマッド赤木。そうよね。あなたから見れば、私たちは実験材料なんだから、そんな見方しか出来ないわよね。今更だけど、髪共々ブルーになってしまう。
「でも、本当に大丈夫なの?もう予備は無いんだから、無理しちゃ駄目よ」
うぅ・・・優し過ぎる。怪しい。一体何をしようって言うの?
はうぅ!まさか・・・あの噂が本当だって事?
視界が一瞬でホワイトアウトする。真っ白な中に、ゆっくりと金色の髪をたなびかせた素っ裸のリツコ博士が現れた。そして妖しい笑みを浮かべ、私にこう囁く。
−レイ、私と一つにならない?それはとても気持ちの良い事なのよ−
ぞわわわっと何かが私の背を這う。嫌ああああぁ!私は碇くんと一つになるの、秘密結社ズーレ入りは嫌あぁ!そんなのマヤさんとやってよぉ!
身の危険・・・いいえ、貞操の危機を感じ取った私は跳ね起きた。転がる様にベッドを降りて、わき目もふらずに扉の方へ移動する。
「でわでわ、元気になりましたので失礼しますです!あうあう、あぁあありがとうございましたぁ!」
何もマッド赤木に言わせずに。扉を開け放ち、私は走った。音を追い光を越えよと両足に命令しながら!
(逃げなきゃ駄目よ逃げなきゃ駄目よ逃げなきゃ駄目よ・・・ってそんな事考えてるヒマがあるんならさっさと走れぇ!)
「あんまり大丈夫そうじゃないけど・・・あんな娘じゃ無かったのにね。薬・・・間違えちゃったのかしら?ま、大丈夫でしょ。生きてるんだし」
・・・おい・・・それでいいのか?
「嫌あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
涙を煌めかせ、全力疾走を続けるレイ。
やむを得ない事とは言え、この時レイはすっかり忘れていた。さっさとサルベージしなければならない人物が居た事を。
「そうなの、シンジ・・・部屋に籠もっちゃって・・・トウジとケンスケには見つかったって、言っておいて貰える?で、ファーストは?え?行方不明!?どぉ言う事?」
(まさか死んだの?・・・でも、そうだったらもっと騒ぎになってる筈よね)
「赤木先生が大丈夫みたいだから帰したって言うんだけど、家には戻って無いみたいなの」
「そう・・・じゃ、NERVに行ってるのかも・・・。ゴメン、ヒカリにも迷惑かけちゃって。あとは私が決着を付けるから・・・」
携帯電話に向かって、アスカ様は自らの決意をヒカリに語っている。
「(決着って・・・)乱暴な事しちゃ駄目よ、アスカ。碇くん、相当落ち込んでるみたいだから・・・いつもの調子じゃ、逆効果よ」
アスカ様の一言に、本気で心配しているヒカリ。どうやら、アスカ様の鉄拳制裁を予測している様だ。
「・・・や、やあねぇ、乱暴な事なんかしないわよぉ。い、いいえ、そもそも乱暴な事なんて、今までに一度だってした事が無いじゃない!おほほほほ・・・」
「(・・・自覚が無いの?)・・・でも、アスカ一人で大丈夫?」
白々し過ぎるアスカ様のごまかしに、ヒカリは凄まじいまでの不安を覚えている。
「だぁいじょうぶよ、もぉぜんぜんOK!二、三発ぶん殴・・・いやいや、とにかく!バカシンジの事は私に任せて!」
「(すっごく不安なんだけど・・・)・・・」
「あ、あら?どうしたの?黙っちゃって?じゃあヒカリ、まった明日ねぇ!」
ぴっ!
電話を一方的に切って、ソファーに放り捨てたアスカ様。
「ファーストが行方不明ってのは、いつもの事だからどうでもいいとして・・・さぁてと。ちょっとぉ、シンジぃ!出て来なさいよぉ!」
がすがす!
シンジの部屋の前で、アスカ様が喚き立てる。扉を蹴り飛ばす事も忘れない。十四歳の少女のする行為では無かった。どう見ても、立派な取立屋だ。
「・・・んくっ」
返事は無い。シンジは己の殻に閉じこもったままだ。息が詰まった様な声がたまに聞こえてこなければ、部屋の中に居るかどうかすら判らない。
(ちっ・・・ウジウジと・・・ヒカリが言う通りね、一筋縄では行かないわ・・・余り手間はかけたく無いし、どうしようかしら?)
しばし、思案にくれるアスカ様。
(同じ様な、過去の状況って言うと・・・確か天照大神ってのは、宴に釣られて天の岩戸から出て来たんだったわよねぇ・・・!そうか、日本の伝統的手法が有るじゃない!それにアレンジを加えて、と・・・よし、これなら大丈夫でしょ!)
無茶苦茶古い比較対象を記憶の奥底から引っぱり出すアスカ様。幾ら何でも古すぎると思うが・・・そもそも、何でそんな事を知っている?
「ねぇ〜シぃンジぃ、出て来てよぉ。お願ぁい、ご飯作ってぇ(はぁと)」
アスカ様LASフィールド展開。打算に基づいた作戦の割には、結構堂に入っている。これなら、騙される奴も多いだろう。
だが。
「・・・死ぬよ・・・」
「・・・」
シンジの身も蓋もない一言で、LASフィールドは容易く引き裂かれた。
「僕の料理を口にした人は・・・みんな死ぬんだ・・・」
「っ・・・待ちなさいよ、シンジ!まだファーストが死んだって訳じゃ・・・!」
「どうせ・・・又、あの時みたいに・・・今度は四人目の綾波が出て来るんだ・・・そうやって僕を欺き続けるんだ・・・」
「はぁ?四人目って?・・・何言ってるのよ、シンジ!?」
当時逃走中だったアスカ様は、綾波レイが複数存在した事を知らない。だからシンジの言っている事を、全く理解出来ないでいる。
「・・・」
ぶちん。
元々大して太くもない、アスカ様の堪忍袋の尾が簡単に千切れ飛んだ。
(冗談じゃ無いわ!こんな事でちんたらちんたらやってる程、私はヒマじゃ無いのよ!引きずり出せば早いじゃない!)
「くぉらぁああ!ぶわかシンジぃいい!!出て来おい!出て来ないんだったら、引きずり出すわよぉ!」
どかどかどか!
「・・・」
扉に連続で蹴りをくれるアスカ様。無論こんな状態で、シンジが出て来よう筈も無い。ひたすらに沈黙を守るだけだ。
「いいわ!あんたにも、覚悟を決める時間が要るでしょうから!十数えてあげるから、それまでに出て来なさい!十数え終わると同時に、私は扉をブチ破るからね!」
要するに、無駄な抵抗は止めろと言っているのだが。アスカ様・・・そんな言い方で出てくる奴はいません。
「ひとぉつ!ふたぁつ!みぃっつ!(ぷちっ)ああっ、もぉ!じゅう!!」
ざうっ!
右の拳を引き、アスカ様が身構える。
「おおりゃあああ!」
どかん!
渾身の右正拳が、扉に食い込む。扉は金属と木の砕片と化し、アスカ様はシンジを引きずり出す・・・筈だった。
「っ!?」
アスカ様の目が驚愕で丸く見開かれる。アスカ様の拳は、扉に届いていなかったのだ。紙の一枚も挟めない程の、扉と拳の僅かな隙間に。オレンジ色の、八角形の波紋が広がっている。
「ATフィールド!?どぉして!?」
扉を覆うATフィールドが、アスカ様の正拳の破壊力を完璧に吸収した。扉には傷一つ付いていない。何事も無かった様に、アスカ様の眼前に立ちはだかっている。
ロンギヌスの槍か、暴走した初号機でも無ければ破る事の叶わぬ絶対障壁が相手では、アスカ様ですら手も足も出ない。
何故ATフィールドが展開されたのか?アスカ様には判らない。判らないが、現実としてATフィールドはアスカ様の前に存在している。嫌々ながら、アスカ様はその現実を受け入れた。
「・・・打つ手無し・・・か。仕方ないわね。取り敢えずはミサトのカップ麺でも食べて、バカシンジが落ち着くのを待つ・・・それしかないか・・・出て来たら覚えてなさいよぉ・・・」
やけに大きな声で独り言を口にするアスカ様。間違いなくシンジには聞こえているだろう。だから・・・それじゃあ出てこないって・・・。
やれやれとでも言う様に、アスカ様は肩を竦めた。その瞬間。
「ん?・・・!完璧よっ、これならイケるわ!」
雷を受けた様に身体を伸ばし、自らの発案に・・・いや、自らの明晰過ぎる頭脳に戦慄を覚えるアスカ様。
(ああ、何で私はこんなにも素晴らしい作戦立案が成せるのかしら!ほらあんた達、もっと私の事を崇め奉りなさい!)
ぞくぞくっと背を這う感覚に、恍惚の表情すら浮かべるアスカ様・・・単なる危ない人にしか見えない。
「こんな時位あの女の才能を生かさなきゃね・・・(にやり)」
カップ麺にお湯を注ぎながら、アスカ様は己の才覚に酔っていた。
「たっだいまぁ!シーンちゃん、ご飯はぁ?」
脳天気な迄にに明るいミサトの声がマンションに響く。
「・・・無いわよ・・・」
それとはうって変わって、凄まじく暗い声がミサトを迎えた。何だかんだで長らく一緒に暮らしているミサトで無ければ、その声がアスカ様の発した物だとすら判らないだろう。
「えーっ!何でよぉ、シンちゃん風邪でも引いちゃったの?」
「・・・ミサト。今日学校で何があったか知ってる?」
「そんなの知らないわよ。NERV行ってたんだし」
「ファーストが倒れたのよ」
「?それが?」
あんた作戦部長だろう。パイロットの事を、少しは心配しろよ。
「・・・倒れた原因が、どうやらシンジの作ったお弁当にあるらしいのよ。状況から見て、それ意外にはあり得ないわ」
そう言ってから、アスカ様は大雑把に今日の学校での出来事を説明した。しかしその言葉の中に、かつての戦友を労るそれは微塵も無い。
「へーっ、シンちゃんってばアスカのだけじゃ無くってレイの分までお弁当作ってたんだ(・・・だったら私の分も作ってくれればいいのに)・・・ん?ちょっと待って。って事はシンちゃんは・・・」
「あのバカは責任感じたらしくって、部屋に篭もってるわ・・・だから晩御飯は無いのよ」
「そんなぁ・・・」
情け無く床に座り込むミサト。こんなんだったら食べてくるんだった・・・後悔の念がミサトを包み込む。
「で、ミサト!」
「何よぉ・・・そんなに大きな声を出さなくても聞こえてるわよぉ・・・お腹に響くじゃない・・・」
「単刀直入に聞くわ!あんた、シンジのお弁当に何かしたでしょ!」
「・・・何よそれ」
不機嫌さを隠そうともせずに、ミサトはジト目でアスカ様を見上げた。空腹のせいで、嫌でもそうなってしまう。大半の人間であれば、この後己の身に降りかかる恐怖を感じ口ごもってしまうだろう。
だが、それでも引かない人物は居る。その筆頭であるアスカ様は、矢継ぎ早に反論を許さず追い込みをかけた。
「口にしただけで倒れるなんて、アンタの料理しかあり得ないわ!」
これこそが、アスカ様の作戦だった。所詮どれだけ慰めても・・・いや、慰めただけではシンジが立ち直らない事を、アスカ様は過去の経験で嫌と言う程味わっている。だから犠牲が必要だったのだ。あんたのせいじゃないの、みんなこいつが悪いのよ。要するに、責任を一方的に擦り付けられる犠牲・・・いや、人身御供が必要なのだ。
そして、この場には格好の生け贄が居る。
葛城ミサト。作戦立案及び遂行能力は人並み以上でも生活能力は皆無の女。この女を犠牲にして、シンジを立ち直らせる。そうしなければ、私が料理をしなけりゃならない。そんな面倒臭い事はイヤ。アスカ様の行動指針はそれだけだった。
「ちょっと・・・アスカ・・・」
もう冗談やシャレでの対応は終わりね。そう宣告するかの様に、作戦部長の目がすっと細くなる。ミサトにも、アスカ様の考えが読めたのだ。伊達に作戦部長はやっていない。
断じて引く訳にはいかないわね。ミサトは自らに言い聞かせていた。
ここで引けば、私が完全に悪者になる。それは未だいい。むしろ問題は、私が余計な事をしたせいで綾波レイが倒れたとシンジ君に思われてしまう事にある。
レイが絡んでいる以上、シンジの復讐が尋常な物で終わるとは思えない。想像を絶する程、陰惨な手段を取るに違いなかった。どんな手を使って来るか。最低でもエビチュは当分飲ませて貰えないだろう。
人はパンのみに生くるにあらず。されど私はエビチュの為に生くる。だから断じてそんな役割を引き受ける訳にはいかない。故に戦わねばならない。
「それ以外の理由で、人が倒れる訳無いでしょ!」
みしっ。ミサトの眉間に青筋が音を立てて浮く。考えてみればレイが倒れたのだ。ミサトから見れば、アスカ様が何かしたと言う方が遙かに自然である。それをこのガキ・・・ずぇったいに許さないわ!
「何バカな事言ってんのよぉ!そんな事今まで一度も無いでしょ!?あんたらが勝手に寝ちゃうだけじゃない!」
「あんたバカぁ!?何で私たちが、あんたの作った料理を食べた時だけ都合良く寝なきゃなんないのよ!あんたの料理の余りの不味さに、意識を失ってるだけよ!」
「むきーっ!加持はおいしいって言ってくれたわよ!」
「そんなの加持さんの訓練の賜物でしょ!諜報部なんだからいかなる拷問にも耐える位の訓練は受けてるに決まってるじゃない!」
自分の料理を拷問呼ばわりされた事に、一瞬だが絶句し思考が停止するミサト。だが今の段階での沈黙は肯定にも等しい。何か言わねばならなかった。それがどれほど低レベルな発言であったとしても。
「拷問って・・・そんなのアスカの料理に言えた義理じゃないわ!」
「なっ・・・!私はアンタみたいに核廃棄物まがいの料理なんて作らないわよ!」
ぶつん。
音を立てて何かが切れた。それは和解と言う名のか細い糸が、アスカ様の一言で引き千切られた音。こうなっては、もう笑っておしまいと言う事はあり得ない。とことんまで、行き着く所までやるしかなかった。そうそれが、例え殺し合いであったとしても・・・。
「ッ〜〜〜〜〜〜〜!!」
この三十路直前の行かず後家が・・・!アンタが刑場の羊になれば、全部丸く収まるって言うのに・・・!大体ここは私のHPよ、どんなSSだろうが私とバカシンジ以外の人間が存在する必然なんか無いのよ!所詮あんたはその他大勢の内の一人にしか過ぎないんだから!この私の素晴らしい計画に協力する気が無いって言うんなら・・・殺すしか無いわね。
「ッ〜〜〜〜〜〜〜!!」
ピーッの毛も生え揃って無い様なガキが・・・!あんたが邪魔するから、シンちゃんとの約束が果たせないって言うのに。片が付いたら、リツコに実験材料としてくれてやるわ・・・生きていたら、だけどね・・・。その間私はたぁっぷりと大人のキスの続きをさせて貰うわ・・・。
ゴゴゴゴゴ・・・とか言う地鳴りが聞こえてきそうな対峙は続く。二人の間の空気は歪みねじ曲げられ、机や椅子がかたかたと音を立てる。
(ミサト・・・死にたいのね・・・)
(アスカ・・・そんなに死にたいの・・・?)
お互いの考えは完全に一致した。口元が歪み、陰惨な笑みが浮かぶ。
「叶えてあげる」
確かにそう、ふたりは口にしていた。
つづく
あとがき
余りに長くなる為、前後編とさせて頂きました。申し訳ありませんが、しばしお付き合いの程を。
INAさん、本当にありがとうございました!!
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