「こらー!起きろー!バァカシンジィー!」
「う〜ん……。」
「ほらっ!」
バサッ!
「起きろ!」
「う〜ん……何なんだよぉ……。」
「とっとと起きなさい!そろそろリハビリして貰うからね!」
「んん……りぃはぁびぃりぃ?……」
「そ!現場復帰は近いんだからね!いつもアンタが起きてる時間でしょ!」
「何言ってんだよぉ……。何だかんだ言っていつもこの時間に起こしてるじゃないか……ふぁあああ……。」
「は?……そうだった?」
「そうだよ……ったく……よいしょっと……」
「う……ジジくさー。」
「別に良いだろぉ、掛け声ぐらいさぁ……。」
Tomi's EVA vol.13
「さーて、今日はアタシにとことん付き合って貰うわよ♪」
「『今日も』だろ?……。」
僕が退院してから今日で丁度4日目、アスカによる”外出禁止令”が解除される日だ。
と言う事で、今日は二人で買い物に出掛ける事になっている。この1週間で底をついてしまった、生活必需品の買い出しが主な目的だ。食料については、さすがに毎日レトルトカレーとインスタントラーメンでは持ちそうになかったから、ミサトさんに頼んで買って貰っている。
やっぱりと言うべきだろうか、この4日間、アスカは外出しようとしなかった。でもよくよく考えてみると、この家に来てから、アスカは一人で外に出た事が無かったから、町の事なんか知っている筈は無く、当然の事だと思う。
「さてシンジ、何をしたら良いの?」
「『何を』って、昨日もやったじゃないか。」
「ぐだぐだ言わない!アタシはあくまでもアンタの代理なんだからね、アンタがいつもやっている通りの事をなぞらなきゃいけないの、解る?」
「あのねアスカ、家事に限った事じゃないけど、こう言う事は自分がやり易い様に手順を組み換えないと、疲れるだけだよ。」
「良いのよ。アタシは、アンタがやってる通りの事がやり易いんだから。」
「それは絶対にあり得ないよ。」
「じゃあ、ここで証明してあげるわ。さっさと指示を出しなさい。アタシに命令出来るまたと無いチャンスなのよ。」
「僕は……そう言うの、好きじゃない。」
「……ふう、分かったわ……それじゃ、今まで通り、アタシが質問するからそれに答えて頂戴。」
「分かったよ。」
「それじゃあねぇ……朝食は何食べる?」
「パンで良いよ。」
「何かつける?」
「今日は……ジャムにしよう。」
「種類は?」
「マーマレードで良いよ。」
「りょーかい。じゃあ座って待ってなさい。」
「うん……あっと、先に歯を磨いてくるよ。」
「ダメよ、それは食後にしなさい。」
「はいはい、分かったよ。」
自分の思う通りに動けないと言う事がこんなに疲れるものとは思はなかった。いつもなら、僕が家事をしているのをアスカがちょっかいを出してくると言う構図なんだけど、今はアスカが家事全般をこなしていて、僕が側で監督させられている。僕がちょっとでも手を出そうものなら、すぐにアスカに止められてしまう。完璧に僕の代理を果たそうと言う訳らしい。
そのアスカの”完璧症”によって、僕は完全にリツコさんの指示を守らされていると言う訳。
このアスカの”完璧症”、すっかり消え失せていたと思っていた昔のアスカが顔を出してきたものだと思う。何でも完璧にこなし、絶えずトップを走り続けなければならないと言う、悲愴感に満ちた彼女の業が。
しかし悲観はしていない。なぜなら、アスカ、失敗しても笑って誤摩化そうとするからなんだ。それだけ肩の力が抜けていると言う事だと思う。僕の以前のイメージからすれば、
「アンタの所為よ!」
とか
「この機械壊れてるんじゃないの!」
とか言って当り散らしていた筈だから、今のアスカの反応は顎が外れる位の変化だと言っても良いと思う。
****************************************
4日前の様子は結構酷かった。アスカは、自分の部屋の掃除と洗濯以外は全くと言って良い程、家事をやった事が無かった。だから、何をするにしても、僕にいちいち聞いてきたのだった。
‥‥朝食の準備の時‥‥
「ちょっとシンジィ〜、これどうすんのぉ?」
「どれどれ……あ、これはね……。」
「へえ、そうするんだ、さすがねぇ……。」
トースターの使い方がイマイチ掴めなかったらしい。
「だってぇ……アタシが起きてきたら、もう出来てるんだもん!分かる訳無いじゃない!」
普通、表示を見たら判りそうなもんだけど……。
‥‥洗濯の時‥‥
「シンジさぁ、洗剤、どの位入れようか?」
「う〜ん……スプーン1杯でいけると思うよ。」
「ありがとっ!」
洗剤の量って、結構感覚で量るモノだからね。
「シンジィ〜、泡切れないよぉ〜。」
「あ……『すり切り1杯』で良かったんだ……。」
勘が鈍っちゃったな……。
‥‥掃除の時‥‥
「シンジィ、コード届かないよ?」
「ああ、そこはこっちからこう進んでいったら出来るよ。」
「ふんふん、なるほどね……きゃあ!カーテン吸い込んだぁ!!」
「あははは……。」
「ぶう〜っ!」
僕が居ない時は相当苦労したんだろうね……。
‥‥昼食前‥‥
「ねぇシンジ、今日は何作ろうか?」
「冷蔵庫にピラフが有った筈だよ。それにしよう。」
「う〜ん、アタシに出来るかなぁ……。」
「じゃあ僕が……。」
「ダメ!アタシがやる!だからコツ教えてよね。」
「うん、分かったよ。」
この時のピラフ、凄く美味しかったんだ。
でも、アスカは
「シンジが作ってくれるのと全然違う、こんなんじゃダメだわ!」
って悔しがってた。そこまで合わせようとしなくったって……。
‥‥午後のひととき‥‥
「はあ……疲れるわ……。」
「そりゃそうだろう、あれだけの事を一気に片付けたんだから。」
「あ、そうだ。シンジ、お茶にしよ。」
「もう良いよ、疲れてるんだから、少し昼寝でもしたら?」
「アタシが飲みたいの!付き合ってくれたって良いでしょお!」
「う、うん。分かったよ……。」
言い出すと聞かない所はやっぱりアスカだね。
‥‥洗濯物の取込み‥‥
「わあー、あったかーい!」
「こらこら、そんな事したら皺が寄っちゃうよ。」
「おっと、そりゃ大変だわ。……ところでさ、これ全部……アイロン掛けるの?」
「そうだけど……。」
「……ウソ……。」
「嘘だよ、まずタオルは除外だね、あとは、ちょっと手抜きをしようか。下着類も必要無いし、これとこれと……。
ほら、これで大分少なくなったろ?」
「あんまり量変わんないよぉ……。」
「そっかな?……」
‥‥夕食の準備中‥‥
「シンジシンジ!『おたま』何所ぉ?」
「下の収納の扉の裏だよ。」
「サンキュ!」
「御飯はそこのパックの奴を使ってよ。」
「えー、アタシ一からやりたいなぁ〜。」
「今からじゃ間に合わないよ、だから今回は、ね。」
「う〜……。」
‥‥お風呂の準備‥‥
「えっと、温度の設定はっと……。」
「そのままで良いよ。それで、完了のアラームが鳴って、5分したら丁度入り頃になるよ。」
「5分ね!」
「だからってね、きっちりストップウォッチで測らなくったって良いだろ?」
「だってぇ……タイミングが判らないんだもん……。」
「毎晩僕が呼ぶだろ?あれとアラームとは殆ど同時だからさ……そうだ、いつも通りにしてたら?僕が呼んであげるよ、これ位良いだろ?」
「う〜ん……。良いわ、特別に許可してあげる。」
****************************************
結構退屈するんじゃないかなと思っていた僕は、アスカの役に立てて嬉しかった。
でも、さすがは天才少女と言われるだけの事はあって、すぐに手順をマスターしていった。僕の言う事を寸分の狂いもなく実行しようとしてしまうのだから驚きだった。細かい事を言い出すとキリが無かったけど、それはこれからの経験を積めば良い事なんだから、気にはしなかった。
でも、僕が唯一心配していたのは、アスカの体調の事だった。
アスカが退院してから、まだ3ヶ月も経っていない。奇跡的な回復を見せたそうだけど、あの時は確実に生死の境を彷徨っていた訳で、僕達3人の中では一番長期に渡っての入院生活を送っていたのを考えると、気にならない方がおかしいと思う。
にも拘わらず、箱根に出掛けてから、運動量が格段に増してきている。一気に皺寄せが来るんじゃないのか?もしそうなったら……。
折角、あの旅行のお蔭で、互いの思いが通じ合う事が出来るって事が判ったんだ、あれが間違いの元にはなって欲しくないな……。
2日目も、アスカに頼まれるままに、側で指導をした。でも、アスカはさくさくと仕事をこなしてしまい、僕はただ呆然と立っているだけだった様に思う。
お蔭で、久し振りに自分の時間がのんびりと持てた。と言っても、アスカがリビングでうたた寝をしてしまったので、暇になったと言うだけだったけど。
一つだけ危なっかしかったのが、料理に関してはからっきしだった事。昼食の時に、
「一人でやるから何も言わないで!」
って言われたから黙って見ていたら、案の定パニックを起こしてしまって、何だか凄いモノが出来上がってきたんだ。でも、言っちゃあ悪いと思うけど、ミサトさんのよりは数段ましだった。悪いのは見掛けだけで、味はとても良かったからね。
でも、アスカは地団駄踏んで悔しがってたな。
その日の深夜、僕はいつもと違う雰囲気を感じて目を覚ました。部屋の外の様子を伺うと、キッチンの灯がついていて、人の気配がしていた。またミサトさんがビールでも煽ってるのかと思って、そっと覗いてみると、アスカがコンロの前でじっと腕組みをして立っているのが見えた。そして、フライパンを持つと、さも炒めものをしてるかの様に動かし始めた。中に何かを入れている様だ、砂の様な物が擦れ合う音が聞こえてきた。
あれは、中華料理で練習する時の方法だな。そう思いながら、そっと部屋に戻った。
余程昼間のが悔しかったのかな?ちょっと心配だけど、あのままそっとしておいた方が良いな。声を掛けちゃいけない、掛けたら彼女を傷つける事になる、そう思うから。
僕が再び眠りにつくまでの間も、ずっとフライパンの音が聞こえていた。
これで僕の出番も無くなっただろうと思っていた3日目、やっぱり、アスカの側に居る事になった。
アスカの行動が変だと思い始めたのはこの頃からだった。家事をこなしている最中にも、何か探している様な素振りを見せているのに気付いたからだった。手は動いているんだけど、意識だけが絶えず辺りを探っている、そんな雰囲気が感じ取れた。そして、口元が少しだけ緩むと、決まって「ねぇシンジィ……。」
と質問を浴びせてくる。
なんで、わざわざ質問内容を探してくるんだろうか?……
そう言えば、僕が家事をしている時のアスカって、こう言う感じじゃなかったのかな?……そうだ、あの時は忙しくて気にしなかったけど、退院してからのアスカはいつもそうやってちょっかいを出してきたじゃないか。いつも僕の方をジッと見ながら突っ込みを入れる機会を窺っていて、そして僕の動きを止める事が出来た時の、あのしてやったりの笑顔、まさしく、今の質問している時のアスカの表情そのままだ。
……そうか、立場が逆になってもやってる事は全く同じって事なんだな。
昼食の時間は、アスカが希望したので、炒飯を作ることになった。今度は、米とぎからの挑戦となった。側でずっと見ていたけど、夜の特訓の成果だろう、とても上手く出来上がった。
「御馳走様。凄いよ、アスカ。こんなに上手く出来たんだから。」
「当然よ。アタシを誰だと思ってんのよ、これ位訳ないわ。」
「これからの課題は、レパートリーを広げる事と、それから……もっとスピード上げる事……かな?」
「そ、そうね……。」
因みに、この会話が交わされたのは午後2時頃だった……。
****************************************
「さあシンジ、準備は良い?」
「うん、良いよ。アスカは?」
「もち、OKよ。じゃ、道案内よろしくねっ!」
「OK。しっかり掴まっててよ。」
「まっかせなさあい!じゃあ、出発!」
僕達は自転車に乗って、いつも利用しているスーパーまで出掛けた。
家からスーパーまでは歩くには少し離れた距離にあるので、僕はいつも自転車で通っていた。今日は二人で行く事になったので、歩いて行こうと提案したけど、アスカがどうしても『いつもの様にしろ』と言って聞かなかったので、仕方なく二人乗りで行く事になった。
自転車の漕ぎ手は僕で、アスカは後ろで立ち乗りしているという恰好。実は、アスカは自転車に乗った事が無いらしい。『らしい』と言うのも、重心が高くなる筈の立ち乗りを、さも当然と言った顔でやっているからだ。一応気を使って漕いでいるけど、一人で乗っているのと余り変わらない調子で走る事が出来た。僕に自転車を漕がせる為の口実なのでは、と訝る事も出来るが、やはり天性のものなのかも知れない。そうだったら、直に自転車もマスター出来るだろうと思う。
「うーん……自転車ってこんなに気持ちの良い風が感じられるんだ……。」
「じゃあアスカ、自転車練習してみたら?それでさ……何時か、何処かにサイクリングに行かない?」
「う〜ん、そうねぇ……でも、漕ぐの辛そうだから、やっぱいいわ。」
「あははは……。」
「それにさぁ……アタシ、今度はバイクに乗ってみたいのよ。もち、シンジの運転でね。」
「ダメだよ、原付きは二人乗りは出来ないんだよ?」
「もう!そんな堅い事言わないの!みんなやってるじゃないのよ。いつも外見てるんだからね、アタシは。」
「ったくぅ……。」
スーパーに着いた。カートを押して店内を回る。家事一才厳禁の身分なので、アスカの行動に助言を与える程度の事しか出来なかった。お蔭で周りの様子に自然と意識が向いてしまう。
「……。」
「……。」
「……。」
「……はあ……。」
若い男女が会話を交わしながら買い物をしている、こんな光景はやはり目立ってしまう様だ。しかもアスカは目立ってしまう要素をふんだんに持ち合わせているから、衆目の的となってしまっていた。
「シンジィ、アンタ何コソコソしてるのよ。」
「いや……みんなこっち見てるからさ……。」
「なんだ、そんな事か。いいじゃないの、そんなの気にしない気にしない。あっちはあっち、こっちはこっちなんだから、もっと堂々としなさいよ。」
「でもやっぱり、こう言うのって、ダメ、なんだ……よね……。」
「……う〜ん……。」
アスカは、『しょうがない奴』と言った面持ちで僕の方を見ていたけど、何か思い付いた様にポンと手を叩いた。
「ちょっとシンジ、あっちに行こ!」
「え?ええ!?ちょ、ちょっと!」
アスカに手を引かれながら、やって来た所は、生活消耗品の売り場だった。
「いつも何買ってるの?」
「え?……えーと……これだよ。」
と言って、僕はトイレットペーパーを手に取った。
「じゃあなくて!これよこれ!。」
「へ?……え!」
アスカが指を指していたのは……その……生理……用品……だった……。
「……。」
「あーら、すっかり茹で上がっちゃってまあ……。」
「だっ、だって!そ、そうじゃないか!……ぼっ、僕にはっ!……え、縁が無いもんだろ!……。」
「ま、普通ならね。でも、ウチの場合は環境が違うでしょ?ねぇ、専業主夫のシンジ君?」
「うう……。」
「前々から不思議に思ってたのよね。なんで、ミサトのとアタシのとが別々になってる訳?」
「……ミサトさんのは自分で買って来るらしいんだ……あれが一番良いんだって……。」
「そうね、ここには置いてない様だし。こう言うのって、使い心地が大切だからねぇ……。で、アタシの方は?」
「それは……僕が……買った。」
「どうしてかなぁ?」
「……僕だって、本当は恥ずかしいから嫌だったんだ。だからミサトさんに頼んだんだ。そうしたら、ミサトさん、
『アスカを護ってあげるんでしょ?だったらこれ位で逃げちゃ駄目よ。』
って言われたんだ……。」
「アンタ……巧く丸め込まれてどうすんのよ……。」
「……ゴメン……。」
「ま、良いわ、予想通りだったからね。じゃ、本題よ。」
「へ?……じゃ、今までの話は?」
「前振りよ、前振り。じゃ、質問。これを買った時と、さっき見られていたのと、どっちが恥ずかしかった?」
「!……う〜ん……やっぱり、これだな……。」
「でしょ?だから、あんまり気にしちゃダメなのよ。解った?」
「……うん。」
「あ、それから、これに関しては心配無用だからね。こんな事までアンタに任せているとあっちゃ、こっちが恥ずかしいわ。」
「そう、良かった……あの……でもさ……」
「ん?何?」
「あの……こういう話をこんな所でしている方が……もっと恥ずかしいよ……。」
「な!!」
たちまちアスカの顔が真っ赤になる。どうやら、家の中と同じ調子でいたらしい。目だけでキョロキョロと辺りを見回して、自分が置かれている状況を確認している素振りを見せた後、
「なっ、なんて事言うのよ!アンタ、ここが何処だか判ってんでしょうね!」
「え?ここはスー……。」
「もうっ!つべこべ言わない!さっさとしなさいよ!恥ずかしいわねぇ!」
「いててて!耳引っ張んないでよぉ!」
全部僕の所為とでも言っているかの様な調子で、僕を引き連れてその場を立ち去るアスカ。耳を引っ張られながら僕が見たのは、哀れみの視線を僕に投げかけるその他大勢の人達の姿だった。
……泣いても良いかな……僕……
****************************************
「はあ……疲れたわぁ……。」
「右に同じ……。」
家に戻ってきた僕達は、ソファの上にへたり込んだ。
「アスカぁ、もうあの店には行けないじゃないか……どうしてくれるんだよ……。」
「……悪かったわねぇ……でも、どうしようもないでしょ。」
「そりゃそうだけど……。」
「もう、こうなったらハラ括って行くしか無いわね。」
「……他人事だと思って……。」
「アタシだって同じでしょうが……。」
「あ……そうか……。」
今日の夕食はレトルトカレーだった。実は、あのまま店を出てしまった為に、夕食の材料を全く買っていなかったのだった。
ミサトさんが出張で居ないのが唯一の救いかな?最後に残っていたのは2人分だったから。
「折角最後は決めてやろうと思ってたのに……。」
「まあ、しょうがないよ。」
「さてと、あとは、これを洗えばお風呂だけか。」
「そうだね、お疲れさま。」
「ふふっ……まだ早いわよ。」
「そうだね……。」
簡単に後片づけを済ませて、風呂の支度をするアスカ。さすがに4日目ともなると手慣れたもの。リビングにやってくると、テレビを見ていた僕の隣に座った。ここで風呂が沸くのを待つ事にした様だ。
時々、肩に何かが当たるの感じた僕は隣を見た。アスカがうつらうつらと舟を漕ぎ始めていた。髪の毛が触れていたと言う訳だ。
「う……ん……。」
「眠いの?」
「ん……まあね……。」
「大丈夫?」
「平気よ……あと少し……だもんね……。」
「お風呂で沈まないでよ。」
「そんな事……しないわよ……よっと、もう入るわ。」
「もう?まだ湧いてないよ?」
「シャワーだけにするわ。これで沈まないでしょ?」
「そうだね、いってらっしゃい。」
アスカが席を外してから、僕はテレビを見ながら考えていた。
これで、少しは僕の苦労も解って貰えたかな?やっと生活当番の復活が出来るな。でも、そんな一気に分担を割り振る事も出来ないよな。
……そうだ、ミサトさんにも掃除位やって貰わないと……自分の部屋だけでも……。
「シンジ……上がったわよ……。」
「あ、早かったね。」
「まあ、色々とね……」
フラ……
「!」
突然崩れ落ちる様に倒れ込んだアスカを寸での所で受け止める。
「アスカ!大丈夫か!?アスカ!!」
「う……ん……あれ?どしたの?」
「『どしたの』じゃないよ。突然倒れたんじゃないか。」
「え?……あ、そうか……やっぱ持たなかったか……ダメね、アタシって……。」
「そんな事ないよ。アスカは良く頑張ってくれたよ。ただ、体が本調子じゃなかっただけで、疲れが溜まっただけなんだよ。」
「……そうね、そうだと思うわ……。」
「とにかく、もう寝た方が良いよ。」
「え?まだやる事が残ってるんじゃないの?」
「明日僕がやっておくから良いよ。そんな事よりアスカの方が心配だよ。ほら、歩ける?」
「うん、何とかね……。」
アスカを部屋まで連れて行って、ベッドに寝かせる。相当疲れがきているのか、力が全然入らなくなっている様だった。さっきまであんなに元気だったのに……。
「ゴメンね。アタシ、最後までやり通せなかった。なんか悔しいな……。」
「気にしなくて良いんだよ。もう、今日やる事は全部やったんだからさ。」
「戸締まりと火元の点検が残ってる。」
「だから、もう良いんだって……。」
「ねぇシンジ、お風呂入らないの?」
「そうだったね、じゃあ、入ってくるよ。すぐ戻ってくるから。」
「うん、待ってる。」
僕は風呂を手早く済ませた。アスカが倒れたっていうのにのんびり浸かってなんかいられないよ。
そして、一旦自分の部屋に戻って、必要な物を持ってから、アスカの部屋に行った。
「入るよ。」
「良いわよ。随分早かったわね。」
「うん、アスカを待たせちゃいけないと思ってね。」
「バカ。アタシはそんなせっかちじゃないわよ。……でも、嬉しいな……。」
「さて、直ぐには寝られないだろうから、話し相手になるよ。」
「そうして貰えると助かるわ。」
「じゃあ、僕から。今日のアスカ、わざわざ質問を探していた様だけど、僕が退屈しないように、なんて心配してくれてたんなら、ちょっと心外だな。」
「アタシはそんな積もり無かったんだけどな……。一応聞かせ貰おうかしら、アタシが何もしなくて良いって言ってたら、アンタ何してたの?」
「僕だって、結構暇つぶしの方法はあるんだよ。例えばこれとかね。」
と言って、僕が取り出したのはチェロだった。
「ふ〜ん。そういやそう言う特技が有ったわね。ついでだから、何か聞かせてよ。」
「良いよ。これなんか今のアスカにぴったりかもね。」
そう言いながら、僕が演奏したのは、サン・サーンスの『動物の謝肉祭』から『白鳥』だった。
「……それって、皮肉?」
「そうかも知れない。白鳥って見た目は水面を優雅に泳いでいる様に見えるけど。」
「水面の下では必死に足を動かしてるのよね。」
「そう。」
「と言う事は、アタシが努力家だって言いたいの?この天才のアタシが?」
「そうだよ。トーマス・エジソンも言ってるじゃないか、『天才は1%の才能と99%の努力』だって。幾ら才能があっても、それを磨く努力を怠れば何の意味も無いんだよ。」
「解った様な事言っちゃって……。」
「昨日の夜に見たんだ。キッチンでアスカが練習してるのを。」
「……やっぱりね……気配は感じてたんだけど、隠す様な事でもないかと思って、知らん顔してたのよ。」
「毎晩してたの?」
「まあね。」
「無理しちゃダメだろ。アスカはまだ病み上がりなんだから。」
「そうね、すっかり忘れてたわ。だから、明日から全部お願いね。」
「……分かったよ……あ!」
やられた!そう思った。これで元の木阿弥、生活当番復活の夢は潰えた訳だ。
渋い顔をしている僕を見て、アスカはフッと軽くため息をついてこう言った。
「そんな辛気くさい顔しないの。もうアンタ一人でやる訳じゃないのよ。いざとなったら手伝ってあげるわよ。安心しなさいって。」
「……有り難う。」
「でもまあ、今のアタシはこんなだから、ちょっとは頑張って貰わないとね。」
「分かった。」
「じゃ、もう寝るわ。」
「うん、お休み。」
「……ところでさぁ、アンタ、なんで布団なんか羽織ってんのよ。」
「いや、その、再開後初仕事が、アスカの看病って言うのも悪くないなと思ってさ、ここで付き添って居たいんだ。」
「……ダメ。」
「そう、迷惑だって言うんなら引き上げるよ。」
「違うわ。そんな中途半端なことじゃあダメよて言ったの。どうせなら、ここに来なさいよ。」
と言って、アスカは布団を少し捲った。
「シンジ、アンタが退院した日の夜にアタシがした事、覚えてるでしょ?」
「……うん……。」
「じゃあ、アタシがどうして欲しいかも解るでしょ?」
「……どうしても?」
「どうしてもよ。」
「やっぱりこうなるの?」
「付き添い人のお約束よ。さあ、早くしなさいよ。」
「分かったよ。」
またもアスカと同じ布団で寝る事になった。なんか、恥ずかしいし、緊張するし……でもやっぱり、こうしてアスカが直ぐ近くに居る事を感じられるって、凄く嬉しいなと思う。
「う〜ん……。」
「わっ!」
「(すぅーっ)」
「……。」
いきなり寝返りをうったアスカが僕に抱き着いてきた。びっくりさせないでよぉ……。
何時しか、毎晩こういう風にして眠りに就く日が来るのだろうか。正直、そうなって欲しいと思う。でも、僕だけこんな幸福感に浸ってて良いのだろうか……。拭いきれない不安が時々こうして僕を苛んでいた。
****************************************
翌朝、目が覚めた僕は、時計を見ていつも通りの時間である事を確認して、アスカを起こさない様にそっとベッドから抜け出した。
早速朝の作業を開始する。朝食は、アスカの分は軽めにしよう。風呂は入らないだろうから省略出来るな……、等々。
「お早う、シンジ。」
意外に早くアスカが起き出してきた。
「あ、お早う、アスカ。気分はどう?」
「まあまあ、ってとこね、悪くはないわ。」
「もう、今日はずっと寝てたら良いよ。」
「そうさせて貰うわ。でね、ちょっと頼みが有るんだけど……。」
「何かな?」
「これ、洗濯しといて。」
「えーと……これって……。」
アスカが渡してくれた袋の中には……下着が入っていた……。
途端にパニクる僕。
「なっ、なんで今頃!?今まで自分でやってたじゃないか!どうしてさ!しかもこんなに沢山……。」
「アタシ、シンジってさ、結構家事のプロみたいな所があるって思うのよ。料理も掃除もさ。
でも、洗濯だけは評価のしようが無いから、この前、試しにこっそり混ぜておいたのよ。そしたら、なんかふかふかしてて、着心地スッゴク良かったのよねぇ……もう病み付きって感じ?アンタ、商売出来るわよ。もう太鼓判捺しちゃう。
だから今日からお願いしようと思ってね。大丈夫よ、それ新品だから、糊落としの積もりでやって頂戴。」
僕は思わず天を仰いでしまった。アスカ、またミサトさんに近付いた……。
「何よ、そんなに嫌な訳ぇ?ミサトのは平気でやってんのに……そっか、やっぱアタシのじゃ意識しちゃうって事?いや〜美しいって罪ねぇ〜。」
「そ、そんなんじゃないよ。ただ……又仕事が増えたって……。」
「随分あからさまねぇ……良いわ、今度からアタシが掃除機担当してあげる。これでどう?」
「……分かったよ、そこまで言うんなら、良いよ。」
「よし、交渉成立ね。じゃ、アタシもう少し寝るわ。あと宜しくね。」
「うん、お休み。」
そのまま部屋に戻りかけたアスカは、立ち止まって僕の方に向き直った。
少し不安げな表情で僕を見る。
「ねぇシンジ……。」
「?何?」
「いつもゴメンね。それから、これからも宜しくね。また……アタシの我が儘聞いてくれる?」
「うん、出来るだけね。」
ここでアスカの表情が明るくなった。やっぱり君にはそれが似合ってるよ。
「それじゃあ早速……食事、持って来てね。」
「了解。」
「それから、さっさと用事片付けるのよ。」
「はいはい。」
「で、アタシの相手をするように。分かった?」
「分かったよ。」
「じゃあ、待ってるから。」
またアスカの表情が変わった、小悪魔的な表情に。……やば。
「もし、アタシが寝てたとしても、変な事するんじゃないわよ。」
「そ、そんな事するもんか!」
「シンジになら……良いんだけどな……。」
「え!?」
「なーんてね!それじゃ!」
ぴっと軽く敬礼をして、アスカは部屋に消えた。
絶対何かするぞ、絶対狸寝入りで僕を引っ掛けようとしてるんだな。そう言い聞かせる僕。
結局、僕に安息の日々は訪れる事は無いんだな、永久に。立場が逆転しても僕とアスカの関係に変化は無かったしな、やっぱり一生このままなんだな。
でも、悪くはないな。逆に、このまま居られたらどんなに良いかとも思える。”住めば都”なのかも知れないけど、僕にはここに居る事が一番良い事なんだと思う。
そう思いながら、朝食を持ってアスカの部屋に向かった。
「アスカ、入るよ。」
お久し振りです。
今回は、話を続けるにあたって、戻しておかなきゃならないものを戻す為に、急遽書きました。
ですから、前作程内容を詰めたつもりはありません。サラッと流して下さい。
次回は誕生日記念ですか?はよ書かなしばかれるわな。ほな、この辺で。
跡見さん、本当にありがとうございました!!
跡見さんへの感想メールを!
tomi-yoshina@mba.nifty.ne.jp
までお願いします。